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38歳、婚活に疲れた私が再会した人  作者: 早乙女リク


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第4話 静かな時間

店は、駅から少し離れた住宅街の中にあった。


派手な看板もなく、知らなければ通り過ぎてしまいそうな小さなイタリアン。土井が「落ち着くと思って」と言っていた理由が、扉を開けた瞬間に分かった。


「こんばんは」


先に来ていた土井が立ち上がり、軽く会釈をする。

スーツではなく、柔らかい色のニットにジャケット姿だった。


「こんばんは」


それだけの挨拶なのに、前回よりも緊張が少ない。

名前を呼ばれることにも、もう驚かなくなっていた。


席に着くと、店内には穏やかな音楽が流れていた。

隣のテーブルとの距離がほどよく、声を張らなくても会話ができる。


「こういう店、好きそうだと思って」


「……当たってます」


里紗は少し笑った。


婚活のデートでは、「万人受けする店」を選ぶことが多かった。

相手の好みに合わせ、無難な空間を選ぶ。


でもこの店は、土井の基準で選ばれている。

それが、なぜか心地よかった。


ワインは頼まず、二人ともソフトドリンクにした。

その選択も、どちらからともなく自然に決まった。


「仕事は、相変わらず忙しいんですか?」


「忙しいけど、前よりは自分で調整できるようになりました」


土井はそう言って、少し肩をすくめた。


「昔は、全部仕事が優先でしたから」


その言葉に、里紗は黙ってうなずいた。

責める気持ちは、もうなかった。


「早川は?」


「私は……特別な変化はないです」


そう答えながら、少しだけ迷う。


「婚活は、してますけど」


正直に言うと、土井は一瞬だけ目を伏せた。


「そうなんだ」


それ以上、何も言わない。

その沈黙が、妙に優しい。


「やっぱり、焦ります?」


里紗は、自分からそんなことを聞いていることに驚いた。


「焦る、というより……置いていかれる感じ、かな」


口に出して初めて、自分の本音に触れた気がした。


「周りはみんな、次のステージに進んでいて。私はずっと、同じ場所にいるみたいで」


土井は、フォークを置いて里紗を見た。


「同じ場所、ではないと思う」


その言葉は、慰めではなかった。


「進み方が違うだけで」


簡単な言葉なのに、胸に残る。


料理が運ばれてくる。

味付けは優しく、食べることに集中できる。


会話は、途切れ途切れだった。

でも、気まずさはない。


沈黙が怖くない。

それが、どれほど久しぶりの感覚か。


「結婚って、どう思ってる?」


食事の終わり頃、土井がぽつりと聞いた。


里紗は、すぐに答えなかった。


「……前は、絶対したいと思ってました」


「今は?」


「今は……分からないです」


また、その答えだった。


でも今回は、自己嫌悪はなかった。


「一緒にいたい人がいれば、その延長にあるもの、って思えたらいいなって」


そう言うと、土井は少し考えてからうなずいた。


「俺も、同じだ」


店を出ると、夜風が心地よかった。


駅までの道を、並んで歩く。

歩幅が自然に合っていることに気づく。


「今日は、ありがとう」


「こちらこそ」


改札の前で立ち止まる。


「また……会ってもいい?」


前回と同じ言葉。

でも、里紗の胸の奥に響き方は違っていた。


「はい」


答えながら、はっきりと分かった。


この人といるとき、

自分は「ちゃんとした自分」でいなくていい。


改札を通り、振り返ると、土井が軽く手を振っていた。


その姿を見ながら、里紗は思った。


婚活では、いつも未来の話をしてきた。

でも今は、今日の時間が、ちゃんと心に残っている。


それだけで、十分だと思えた。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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