第2話 再会は、少し遅れてやってくる
「本当に、土井さん……なんですね」
電話を切ったあとも、里紗はしばらくその場に立ち尽くしていた。
胸の奥がざわついているのに、表情は驚くほど落ち着いている。三十八歳という年齢は、こういう時に感情を外に出さない術だけを、無駄に身につけさせる。
翌日の昼休み。
指定されたのは、会社から徒歩五分ほどの、昔からある喫茶店だった。
里紗は少し早めに着いてしまい、奥の席でメニューも見ずに水を飲んでいた。時計を見るふりをして、何度も入口に視線が向く。
――何を着てくればよかったんだろう。
今さらだと思いながらも、そんなことが頭をよぎる。
派手すぎず、地味すぎず。若作りに見えず、でも「おばさん」には見えない服。
結局、いつもと同じ無難なブラウスとスカートを選んだ自分を、少しだけ責めた。
ドアベルの音が鳴った。
反射的に顔を上げると、そこに立っていたのは、記憶より少しだけ大人になった土井だった。
背は変わらない。
髪にはわずかに白いものが混じっているけれど、不思議とそれが似合っている。全体の印象は、昔よりも柔らかい。
目が合った瞬間、土井が小さく息を吸ったのが分かった。
「……久しぶり」
その声を聞いた途端、里紗の中で、二十代の記憶が静かにほどけた。
「本当に、お久しぶりです」
敬語が出てしまったことに、内心で苦笑する。
昔は、もっと近い距離で話していたはずなのに。
土井は軽く頭を下げ、向かいの席に座った。
「変わらないね」
そう言われて、里紗は一瞬言葉に詰まった。
変わっていないわけがない。年も取ったし、いろいろ諦めも覚えた。
「そんなことないですよ」
そう返すと、土井は少しだけ笑った。
「そう言うと思った」
注文を済ませると、少しだけ沈黙が流れた。
気まずさというより、どう距離を測ればいいのか分からない沈黙。
「連絡もらった時、驚きました」
里紗が先に口を開いた。
「こっちの台詞だよ。名前を見て、まさかと思って」
仕事の関係で、偶然里紗の名前を見つけたのだという。
それだけのことなのに、「偶然」という言葉がやけに重く感じられる。
「今も、この辺で働いてるんだね」
「はい。もうずっと」
「そうか」
それ以上、過去を掘り下げる言葉は続かなかった。
二人とも、あの頃の終わり方を思い出しているのだろう。
好きだった。
でも、将来の話になると、少しずつすれ違った。
里紗は結婚を現実として考え始めていて、土井は仕事に集中したい時期だった。どちらが悪いわけでもなく、ただ、タイミングが合わなかった。
「……結婚は?」
唐突に、土井が聞いた。
一瞬、心臓が跳ねた。
「してないです」
里紗は、できるだけ軽く答えた。
「そっか」
それだけで、深掘りはされなかった。
その優しさが、少しだけ痛い。
「土井さんは?」
「してない」
短く、はっきりした答え。
「仕事ばっかりでさ。気づいたら、今になってた」
それは、言い訳でも後悔でもない、ただの事実のように聞こえた。
コーヒーが運ばれてくる。
湯気の向こうで、土井がカップを持ち上げる。
「早川は……今、幸せ?」
その問いに、里紗はすぐに答えられなかった。
幸せかどうか。
婚活のプロフィールには書けなかった質問だ。
「……分からないです」
正直に言うと、土井は少し驚いた顔をした。
「でも、不幸ってほどでもなくて。ただ……」
言葉を探す。
「ちゃんと生きてるつもりなのに、時々、何かが足りない気がするんです」
言い終えたあと、こんなことを話すつもりじゃなかった、と少し後悔した。でも、土井は否定しなかった。
「分かる気がする」
その一言で、胸の奥が少しだけ緩んだ。
婚活で出会った人たちは、たいてい「前向きな答え」を求めた。
将来像、理想の家庭、ポジティブな言葉。
でも土井は、「分からない」という曖昧さを、そのまま受け取ってくれた。
「また、会ってもいい?」
帰り際、土井がそう言った。
条件も、目的も、約束もない一言。
里紗は少し迷ってから、うなずいた。
「……はい」
喫茶店を出て、別々の方向へ歩き出す。
数歩進んでから、里紗はふと思った。
――婚活の再会ではない。
――でも、確かにこれは「再会」だ。
帰り道、胸の奥に、久しぶりの感覚が残っていた。
期待と呼ぶには、まだ怖い。
でも、無視できない何か。
里紗はスマートフォンを握りしめながら、空を見上げた。
少し遅れてやってきた再会が、
自分の人生をどこへ連れていくのか。
その答えは、まだ分からない。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




