知らない背中
体中が軋む、悠真の体は衣服からして誰が見てもボロボロだった。
黒衣の者たちが治療しようと悠真に群がったが構わず払い除けると、引きずる足で自宅へと戻った。
山の斜面に建てられた、木造の家。
あの日まで、祖父とふたりで暮らしていた家。
扉を開けても、返事はない。
それが現実だとわかっていても、どこかでまだ信じきれていなかった。
ふと背後に気配を感じ、振り返る。
廊下の隅に、人影が見えた。
「勝手に入ったのは謝るわ。でも、あの人の――日向隆正の痕跡を辿るには、ここが最適だと判断したの」
神崎月夜。
討魔省の特別対処班所属。
さきほど山で会った女性だった。
「……何のつもりですか。家にまでついてきて」
悠真の声は怒りとも戸惑いともつかない。
月夜は数歩、ゆっくりと近づいた。
「あなたには、知る権利があるわ。
そして私には――話す義務がある」
その声は、いつもの冷淡な調子とは少し違っていた。
「日向隆正。……あなたの祖父は、かつて討魔省の“最高戦闘顧問”の1人だった人物よ。
一線を退く直前の時点でも、彼に並ぶ者はほとんどいなかった。
現役の幹部たちでさえ“生ける伝説”と恐れていたほど」
悠真は目を見開いた。
「……じいちゃんが? あの、林業と薪割りが日課の……?」
「ええ。日向隆正は、あえて表舞台を降りたの。理由は明かされていないけれど……私は、彼が“家族を守る”と決めたからだと思ってる」
月夜は窓の外を見た。
朝焼けがゆっくりと空を染めていた。
「……私は、あの人に育てられたの」
「え?」
「血は繋がっていない。でも……父が任務で命を落として以降、あの人がずっと気にかけてくれていたわ。
報告書の書き方、戦術の基礎、武器の扱い、日常の何気ない振る舞いまで――
“生き残る術”を、私はすべてあの人から教わった」
その横顔は、どこか遠くを見つめていた。
「……そうか。爺ちゃん、そういうとこ、あるもんな」
悠真はポツリと呟いた。
薪を割るときに、いつも力加減を教えてくれた。
鍋の火加減、斧の手入れ、山道の危険箇所……全部、繰り返し、優しく。
だが決して「戦い」については、何も語ろうとはしなかった。
「彼はあなたに、“普通の人生”を生きてほしかったんでしょうね」
月夜はふと、悠真の方を見た。
「でも……あなたは、目覚めてしまった。
“何か”を、この世界の深部にあるものを、引き寄せてしまった」
悠真は拳を固く握り締めた、掌にはうっすらと血が滲んでいる
「……じいちゃんは、あの闇の中に消えた。俺のせいで….」
「それは違うわ」
月夜は即答した。
「彼はあなたを守るために、自らそう選んだ。あの人なら、きっと――まだ生きてる。そう、私は信じてる」
沈黙が、ふたりの間に落ちた。
その静寂は、不安でも絶望でもない。
何かが少しだけ繋がった、そんな空白のようだった。
「……ねえ、悠真くん」
「……なんだよ」
「教えて、……あそこで何があったのか。」
悠真は答えない。
「………..、……..。」
「そう、……ならこれを見て。」
月夜は古びた護符を取り出し悠真に見せる。
「これは封印の護符、昔、隆正様に頂いた物。」
それは隆正が戦いの最中取り出し、ゲートを封じた護符と同じに見えた。
「ーーーそれは!あの時爺ちゃんが使った?」
「この護符……ね。状況に応じて力を発動するように、術者の力を込めてあるものよ。まるで、“その人そのもの”が封じられているようなもの。」
「使用する、又は術者が何らかの理由で能力を行使できない状態になると燃え尽きてしまう物なの。
………..例えば、そう……死亡してしまった場合などね。」
悠真の瞳に色彩が戻り、月夜の護符に視線が集まる。
「ーーーじゃあっ!」
腕組みをしながら、小さく頷く月夜。
「少なくとも……彼の力は、まだ失われていない。それが、この護符が示している事実よ。」
「だから、話して。」
「少なくとも私には、あの方が簡単に死ぬなんて所……..想像出来ない。」
悠真は静かに息を吸い、言葉を探すように語り出した。
昨日の夕刻から、その夜に起こった事その全てを。
堰を切ったように悠真の感情が溢れ出した。




