千の未来、ひとつの覚悟
高峯家。
討魔省の中でも名門と呼ばれる家系であり、代々「軍師の継承者」を輩出してきた由緒正しき一族。
その血筋に生まれながら、直人は幼い頃から「落ちこぼれ」と呼ばれ続けた。
兄――高峯真也。
天才と称えられ、幼少の頃から異能を自在に操り、未来を見通すかのごとき采配で仲間を導いた存在。
家族も親族も、誰もが彼を誇りとし、直人と比べた。
「直人、お前はなぜ兄のようにできない?」
「同じ血を引いているはずだ。なぜそれほど鈍い?」
叱責と失望の言葉は、いつしか直人の心に棘のように突き刺さっていった。
けれど兄だけは違った。
「大丈夫だよ、直人。お前にはお前にしかできないことがある」
常に笑って庇い、陰口や嘲笑から守ってくれた。
直人にとって兄は、唯一の拠り所であり、英雄だった。
しかし――運命は残酷だった。
真也の任務中、憧れからこっそりと後を付けた直人だったが。
迂闊にも魔徒に近づき過ぎ、襲われそうになった瞬間、兄は迷わず身を投げ出し、直人を庇って命を落とした。
その日から、直人の胸に重く沈む思いがある。
――本当は俺が死ねばよかったんじゃないか。
兄のような天才ではなく、家の期待を背負えない自分が。
だからこそ、直人は“お調子者”を演じ続けた。
明るく、軽く、冗談ばかり言っていれば――誰も本当の自分の弱さに気づかない。
劣等感も、不安も、仲間には悟られない。
けれど仲間が傷つく時だけは、本気になれる。
「俺にしかできないこと」を探し続けて。
そして今――修行の場で、直人は過去と向き合うことになる。
平八郎に連れられ訪れた、古い寺院に足を踏み入れた瞬間、直人の心臓がどくりと跳ねた。
視界の正面に、在りし日の兄――高峯真也が立っていたからだ。
堂々とした姿勢、冷静な眼差し、そのすべてが記憶の中の兄そのものだった。
「……兄貴……?」
その声に応じるように、幻影の真也が口を開く。
「直人。まだ逃げ続けるのか? 冗談で誤魔化し、軽口で自分を縛り……結局は誰かの陰に隠れるだけか」
刃のような言葉に、直人の胸が締め付けられる。
「ち、違う! 俺だって……俺だって、やる時は本気なんだ!」
「本気……? 兄を死なせたお前が?」
その瞬間、幻影の真也が一歩踏み出した。
空気が震え、直人の脳裏に無数の未来像が流れ込む。
高峯真也の――神算。
兄の神算は圧倒的で、直人が動くより先に、全ての手を読まれて潰され、そして襲いかかってくる。
「ぐっ……! 頭が……焼ける……!」
直人は額を押さえ、呻きながらも必死に立ち続けながら防御に専念する。
脳が裂けそうな負荷。未来を視るごとに、意識が削られていく。
「分かるか、直人。これが“本物”の神算だ。お前のはただの猿真似。未来を視るだけで、導く力もない」
「……っ、やめろ……!」
必死に未来を追いかける直人。しかし兄の幻影は、あらゆる手を先読みし、叩き潰してくる。
避けても、受けても、全ては掌の上。
(やっぱり俺は……ダメなんだ。兄貴みたいに……なれない……!)
その時、不意に胸の奥から声がした。
――「直人、お前にはお前にしかできないことがある」
兄が生前に残した言葉。
(俺にしか……できないこと……?)
視界が揺らぎ、次の瞬間、無数の未来像が浮かび上がった。
一つではなく、百も千も。勝つ未来、負ける未来、倒れる未来、立ち上がる未来――。
「……そっか。兄貴みたいに完璧にはできなくても……!」
直人の瞳が輝きを帯びる。
「正解だけじゃない、俺は……その全部を使えばいいんだ!」
叫びとともに、直人の周囲に幻影が広がった。
剣を振るう直人、避ける直人、叫ぶ直人、笑う直人――無数の直人の未来が、光の残像となって現実に投影される。
「神算――千幻陣ッ!」
無数の未来像が一斉に動き出し、兄の幻影を包囲した。
幻影の真也が未来を読もうとするが、見えるのは分岐し続ける無限の未来。
どれが本物で、どれが虚像かを判別できない。
「なっ……これは……!」
直人は一歩踏み込み、渾身の拳を叩き込む。
「兄貴……俺は俺だ! この力で、仲間を守る!!」
直撃を受けた兄の幻影は、静かに崩れ、光に溶けていった。
――最後に、微笑みだけを残して。
光が晴れ、寺院には直人ひとりが立っていた。
無数の未来を操る負荷で頭は割れるように痛み、全身が重い。
それでも、胸の奥に広がるものは――不思議な静けさだった。
「……兄貴」
崩れていった幻影の最後の表情を思い出す。
叱責でも、失望でもなく。
ただ、弟を誇るような微笑み。
「俺……ずっと、怖かったんだ。兄貴みたいにできないって、家の恥だって……。でも……」
拳を見下ろし、わずかに笑みを浮かべる。
「俺は俺だ。これでいいんだ……いや、これが俺なんだ」
膝が震え、思わずその場に座り込む。
熱いものが頬を伝うのを止められなかった。
「……ありがとな、兄貴」
涙を拭い、直人は大きく息を吐いた。
そして立ち上がり、ふっといつもの調子を取り戻す。
「よーし! 神算・千幻陣! これで俺もモテモテだな!」
おどけた笑みを浮かべながらも、その瞳は確かに揺らぎのない光を宿していた。
――お調子者でありながら、誰よりも仲間を思う戦士。
高峯直人の新たな一歩が、静かに刻まれた。
直人が汗を拭いながら笑っていると、柱の隅からゆったりとした足音が響いた。
現れたのは平八郎だった。腕を組み、にやりと口角を上げる。
「……ようやく顔つきが変わったな」
直人は目を瞬かせる。
「へ、平八郎さん……?」
「お調子者の面は相変わらずだが、その奥に芯が見えた。――それでいい。武は才覚じゃない、覚悟だ」
その一言に、直人の胸が熱くなる。
思わず頭をかき、いつもの調子で笑ってみせた。
「ははっ……やっぱ、バレてましたか。俺のビビりっぷり」
平八郎は鼻で笑い、背を向ける。
「ビビりでよい。恐れを知る奴だけが、本当に守れる」
その背中に、直人は静かに深呼吸をした。
――胸の奥に刻まれた兄の微笑みと、師の言葉を抱いて。
彼の歩みは、もはや劣等感に縛られるものではなかった。




