進む者、退けぬ者
荒野に近い岩地帯。風は強く、霊子は重く澱み、そこに立つだけでも心が軋む場所だった。
その中央に、黒木玲央はいた。
武器もなく、仲間もいない。
ただ彼一人が、巨大な岩の前に立っていた。
「ここは、“守護”の素質を持つ者しか踏み込めん地だ」
背後から、山本平八郎の声が響く。
「お前の能力──《不退転》は、名の通り《退かぬ意志》の具現だ。絶体絶命の状況でこそ力を発揮し、傷つくほどに強くなる。
だが……それは、裏を返せば“倒れるまで突き進む”という呪いでもある」
玲央は黙って拳を握った。
平八郎は一歩前へ出た。
「このままでは、いずれお前は“自分を殺す意志”に飲まれる。敵を倒すのではなく、“自分を壊すことでしか進めない者”になる」
玲央の額から、汗が落ちた。
だが、その言葉は、胸の奥に深く突き刺さっていた。
──“お前は、どう生きたい?”
(……それが、わからない)
平八郎は、巨大な岩を指差した。
「この“霊子の巨壁”は、己の信念に曇りがあれば決して壊れん。力ではない。“意志”で進め。
……さあ、己の《信念》を語れ、黒木玲央。その上で進め」
玲央は、壁の前に立ち、拳を握る。
(信念……)
その言葉が、過去の記憶を呼び覚ました。
──黒木家の三男として生まれた。
──長兄・長門は魔徒掃討任務で殉職。
──次兄・隼人も、仲間を庇い討ち死に。
──父も同じように、名誉の死を遂げた。
「“黒木の男は、己の命を使って誰かを救う。それが誇りだ”」
小さい頃から、幾度となくそう教えられてきた。
家には、三人分の位牌と勲章が並んでいる。
母は、泣きながらも誇らしげに彼らを語った。
玲央も、自然とそう思うようになっていた。
──いつか自分も、兄たちのように。
──仲間を庇って死ぬ。それが“立派な討魔士”の証だと。
(……でも)
拳に、力がこもる。
(それが“正しい”なんて、誰が決めた?)
思い出す。任務で逃げ遅れた仲間。
迷った末に助けに行けなかった自分。
「逃げるな! 兄さんたちは逃げなかった!」
「死ぬのが怖いのか? 恥を知れ、玲央!」
──耳にこびりついた親族の声。
(あれは、“呪い”だったんだ)
(誰かを護るために死ぬことしか、誇りに思えなかった)
(俺は……俺自身を、生かす理由を、ずっと持ってなかった)
「けど」
拳をゆっくりと掲げた。
「だからこそ、俺は“もう逃げない”と決めた。……恐怖も、後悔も、呪いも、全部背負って進む。
兄たちのように死ぬことじゃない。俺は、俺自身として、生きる意味を探す」
全身の霊子が、爆ぜるように膨れ上がる。
《不退転》の能力が、真の姿を現す。
「俺は……俺は、誰かの背中を見て進むような生き方は、もうやめる。
“死ぬこと”じゃない、“生き抜くこと”を誇りにする。そう決めた……!」
不退転は《不壊進道》へと至る
「死んでも退かない」ではなく、
「生き抜いてでも前に進み続ける」へ。
かつての《不退転》は、「後退しない」ことが主軸だった。
しかし進化後の《不壊進道》は、「あらゆる絶望と苦痛に晒されても、砕けずに生きて進む」こと。
“死に美徳を見出していた男”が、
“生きることに意味を見出した”その覚悟が霊子と結晶化した。
次の瞬間――
黒木玲央の全身から、《岩色焔》のごとき霊子が溢れ出した。
岩壁が、震えた。
いや、“震えさせた”のだ。意志によって。
「進め、進め……! 俺は、“退かない”だけじゃない、“前に進む”って決めたんだ!」
爆発的な一歩。その拳が、巨大な壁を撃ち抜く。
鈍く響く音のあと、反り立つ巨壁が真っ二つに割れた。
立ち上る霧の中で、玲央の肩は大きく上下していた。
それでも、彼の目は前を見据えていた。
山本平八郎が、彼の背に小さく言う。
「……“ 不壊進道”とは、過去に縛られることではない。“過去を踏み越えた者”にこそ、宿る力だ」
霧の向こうに、かつての兄たちの幻影が見えた気がした。
だが、もう彼はそこへ還ろうとは思わない。
玲央はそれに、静かに背を向ける。
(兄さん、父さん。……俺は、生きていく)




