理と衝撃
転送の光が消えた瞬間、三人は硬質な床へと投げ出されていた。
見覚えのある無機質な空間。だが、そこに漂う霊子濃度と、何より“死”の気配が異常だった。
「ここは……討魔高校、地下の練武場か……」
直人が呻くように呟く。だが答えはなかった。いや、声すら出せない空気圧がそこにあったのだ。
空間の中心、まるで地獄の焦点のような一点に、それは立っていた。
長髪を一つに束ね、上裸に血染めの着流しを翻し、黒き長刀を腰に吊るした巨漢。
その名は――骸斬狼。禍憑ノ王庭、凶兆ノ座にして、災厄の権化。
「あーぁ……小僧どもかよ….ハズレだ。少しは、楽しませてくれるんだろうなぁ」
その声は、低く、獣の咆哮に似ていた。
霊子が震える。重圧という言葉では到底足りない、“殺意”そのものが襲いかかる。
「くっ……!」
瀬奈が即座に弓を構えるも、その指は震えていた。玲央は一歩前に出るが、足が粘土のように沈む。
直人は、冷や汗を垂らしながら呻いた。
「……戦うしか、ない……!」
「いーぜぇ?楽しませてみろ。」
骸斬狼の目が、戦場を舐めるように光った瞬間――音が割れた。
咆哮にも似た咄嗟の斬撃。数十メートルの間合いを瞬時に詰め、黒き長刀《骨喰藤四郎》が玲央の頬を掠める。
「ッ!」
「うぉおおおおおっ!!」
玲央が叫びながら受け止めるも、手首が軋む音と共に吹き飛ばされた。
霊子が狂う。予測できない斬撃が襲う、見えない軌道――それでも直人は、手を震わせながら立ち上がった。
(見ろ……未来を、掴め……!)
その瞬間、彼の網膜に、無数の数式とベクトルが走る。
それは竹中半兵衛の魂が与えた“神算”の覚醒。
「視える……あと5秒だ……瀬奈、狙え!!」
「――ッ!!」
その瞬間、鼻から血が噴き出し、耳からも赤い線が伝う。それは脳への明らかな過負荷だ。
だが、直人の演算は止まらない。
「玲央、今だ、懐へッ!!時間を稼いでくれっ!」
血に濡れたその身で玲央は再び立つ。
弁慶の魂が、鼓膜を打つように叫んだ。
「退くな。討魔士は、盾だ」
痛覚を捨て、怒りと使命で体を支えた。
「うぉおおおおおッ!!」
仁王立ちで骸斬狼の剣を受ける。全身が軋み、骨が折れる音すらも力に変える――
握った弓が、熱を帯びる。
視界が赤白に染まり、那須与一の記憶が脳内に炸裂した。
筋繊維が断裂する感覚。身体が壊れると本能が叫ぶ。だが――
「必中……そして必滅、それがこの一矢……!」
霊子が凝縮され、巨大な一矢となって骸斬狼を貫く為に標準が固定されてゆく――。
だが。
その意思に身体が“耐えきれない”。放った一矢は骸斬狼の左腕を抉り取り彼方へと消えていく。
「外したっ…!」
骸斬狼の口が歪む。
「ほう……戦士の顔になったじゃねぇか……だがよ」
《骨喰藤四郎》が闇を裂くと、傷口から黒き煙が噴き出す。
「俺の“侵蝕”はな……魂すら腐らせるんだよ」
直人は脳機能に異常を感じ、瀬奈は弓を持つ手が崩壊寸前、玲央は治癒が止まり出血が加速する。
「チッ……終わるかよ……こんなとこで……!」
三人は、それでも抗おうとする。
――斬撃が、空間を裂いた。
骸斬狼が振り抜いた一閃は、空気すら切り裂く“死の風”だった。
玲央は己の体を盾にして、直人と瀬奈を庇ったが――
「がっ……あぁあッ!!」
右肩から斜めに切り裂かれ、血飛沫が弧を描く。
だがその傷は――ただの“斬創”ではなかった。
そこから、黒い瘴気のような何かが滲み出し、筋肉と神経を蝕んでいく。
「ッ……こ、れ……治らない……!?」
「そうだ。“侵蝕”――俺の刀に斬られた傷は、癒えねぇ」
骸斬狼は舌なめずりをしながら言った。
「体だけじゃねぇ……お前らの“能力”ごと喰らってやる」
次の瞬間、骨喰藤四郎の刃先から迸る黒霊子が地を走り、瀬奈の弓を握る指へ到達した。
「くっ……!! ゆ、指が……動か、な……い……!」
霊子の流れが、断ち切られている。否、腐食している。
「侵蝕は、力も殺す……これは“戦い”じゃねぇ。処刑だ」
骸斬狼は高らかに笑い、血塗られた着流しを翻して迫る。
直人の視界が歪む。神算は作動している。けれど、脳の奥で火花が散るような痛みが走る。
「ダメだ……これ以上、演算したら……脳が……ッ」
それでも、立ち止まれば――全員が死ぬ。
玲央も瀬奈も、もう立てない。自分も、もはや限界。
だが、止まることだけは……できなかった。
「……頼む、もう一手……誰か……!」
――その時だった。
「やあ。三人とも、まだ死んでなかったか」
その声は、信じられないほど無感動で、温度がなかった。
振り返った先、崩れた扉の影から現れたのは、一人の白衣の男だった。
細身の体、ぼさぼさの黒髪、欠伸まじりに肩を竦め、やる気の欠片もない顔。
「……月詠……先生……?」
玲央が目を疑う。
瀬奈と直人も、ほぼ同時に呻いた。
「な……んで、先生が……」
「え、えっ……? 確か、研究班の人だよね……?」
「武器も持ってないじゃんか……!」
骸斬狼も、その姿を見て目を細めた。
「おい……お前、“本当に”討魔士か?」
「まあ、一応……特級だけどね」
「はっ!?」
骸斬狼が噴き出すように笑った。
「……マジで言ってんのか。テメェの霊圧、ゴミみてぇなもんだぞ」
「まあね、堂島と違って荒事は苦手だから」
「はぁ…..つまらねぇ、だったらさっさと消えろ。それとも小僧三人を生贄にして、命乞いでもしてみるか?」
「嫌だね、そういうの面倒だし」
骸斬狼の口元が歪む。
「…………イラつく野郎だな。てめぇから殺してやるよ、“ゴミが”よォッ!!」
骸斬狼の肉体が跳躍し、地面を砕いて月詠へと突進する。
刃は黒き残像を引き、骨喰藤四郎が空を裂いた。
「避けた!?…..だとっ?」
面倒くさそうに月詠は呟く
「はぁ、それはもう“解析済み”だよ」
月詠は指をピストルの形に構えると「解析開始」とつぶやいた。
その声が合図となり、視界に数式と構造図が浮かび上がり、骸斬狼を構成する霊子の配列、侵蝕能力の因子がデジタル数値で分析されていく。
「対象:凶兆ノ座・骸斬狼。霊子骨構造率76%、左腕欠損、侵蝕因子稼動中。必要衝撃:38,…754……ニュートン。収束角:12.3°。応力限界突破可能」
「準備OK」
「“君は、もう敗れる”―― 理として、答えが出たから」
何の前触れもなく。
ただ、静かに。
ただ、指先から。
“音”が、空間ごと砕けた。
「な、に……?」
骸斬狼が突進の途中で止まり、その胸元に、光の一点が宿る。
それは――
原子核解析により圧縮された霊子構造破砕点。
「僕の能力はね、湯川秀樹の能力。《解析》……対象物の原子構造を解析し、“最も壊れやすい場所”に必要な衝撃を一点集中させるんだ」
「何を言ってやがる……」
「合理的に解説すると……1.526秒後に君の核は破壊される」
「だから…..君はもう“壊れる”んだよ。物理的にね」
――“パン”という指の音と共に、
骸斬狼の胸から光が漏れた。
その瞬間、彼の肉体が中心から音もなく粉砕された。
「な……ッ、ばか……な……!」
そのまま、黒灰となって風に消えゆく骸斬狼。
「……舐め……て……たのは……この俺の方か……!」
そして、完全に――骸斬狼は、跡形もなく霧散した。
「……は、終わった……?」
玲央が、頭を抱えながら呻く。
瀬奈は腕を押さえ、ぼろぼろの弓を見下ろす。
「……せ、先生が……倒したの?」
直人は、鼻血まみれの顔で叫んだ。
「つ、つえええ……! 何あれ、解析とかズルくね!?」
月詠は、白衣を軽く払って言った。
「いやいや、君たち三人が追い詰めてくれたから、倒せただけだよ。僕なんて、何もしてないさ」
「いやいやいや、最後のあれ何!?」
「てか先生、なんでそんな平然としてんの!?」
月詠はめんどくさそうに片手を振って、
「はいはい。帰って報告書書くのが一番面倒……」
そう呟きながら、ゆっくりとその場を後にした。
――三人の心に、強く刻まれる。
“知識”と“理”は、戦場においても絶対的な力となりうるのだと。




