第91撃:闇に潜む牙――
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「……っ!!」
晶、紫音、柚葉の三人は、唐突に呼吸が詰まったような錯覚に襲われた。
圧倒的な威圧感――いや、捕食者に睨まれた被捕食者の本能的恐怖。胸が押し潰されるようで、肺が酸素を取り込むことすら拒んでいる。
まともに呼吸が出来ているのは、一真ただ一人だけだった。
紫音は強張った身体を必死に動かそうとするが、膝も腕も言うことを聞かない。
(な…んだ、これ……!?今まで、こんなのに気づかなかったのか、オレたち……)
柚葉も同じだった。止まらない震えが全身を支配し、必死に否定するように心の中で叫ぶ。
(ダメ、ダメ…!昨日の牛よりも強い?…“強い”なんて言葉じゃ済まない……!)
彼女の頭に浮かんだのはただひとつ――
この相手には「勝てない」じゃない。「戦ってはいけない」。
いや、紫音と柚葉の力量を考えれば――
出会ってはいけなかった。
晶はその場にうずくまり、震える腕で必死にルナリスを抱きしめていた。顔色は血の気が引いて青白く、声にならぬ声を絞り出す。
「こわい……こんなの……ボク……」
かつて魔王軍の将を見たときすら、これほどの恐怖はなかった。腕の中のルナリスも小刻みに震え、声を上げることすら出来ない。
三人は痛感していた。
この森がどれほど危険なのか。そして、自分たちがどれほど一真に守られていたのか。
“帰らずの森”――その名の由来の一端が、今まさに目の前に迫っていた。
紫音は歯を噛みしめ、恐怖と悔しさに声を震わせる。
「オレたちが一真さんたちに出会うまで無事だったのは……ただ、運が良かっただけかよ……はは……」
その言葉の直後、圧し掛かる威圧感が唐突に霧散した。
柚葉が驚きの声を漏らす。
「……え?」
助かった?去ってくれた?一瞬の安堵。
だが、その淡い期待を打ち砕いたのは、一真の低い声だった。
「油断するな。……まだいるぞ」
緩みかけた緊張の糸が、再び鋭く張り詰める。
一真の瞳は森の闇を射抜き、静かに息を整えていた。
(気配を消すのが上手い……強さは魔王軍の将をも上回るな。なるほど、“帰らず”とはよく言ったものだ)
仙気を練り、全身に巡らせる。
「すぅ……ふぅ……」
呼吸音だけが静寂の中に響く。鳥の声も、虫の羽音も、森のざわめきさえ消え失せていた。
――次の瞬間。
一真の姿が三人の視界から消えた。
「なっ!? 一真さん、どこに……!」紫音の声が裏返る。
同時に、三人の背後から気配が現れる。
慌てて振り返った彼らの目に飛び込んできたのは――
巨大な“影”。
狼にも似た獣。だがそれは狼ではなかった。
全長三メートルを超え、漆黒の体毛に覆われた巨体。
ところどころに甲殻のような黒い板が疎らに浮かび上がり、鈍い光を放っている。
爪も牙も異様に肥大化し、氷のように冷たい双眸が、晶たち三人とルナリスを射抜いた。
その巨大な前足が、死角から三人を薙ぎ払おうと振り下ろされていた。
――だが、止まっている。
一真が、受け止めていた。
分厚い皮のコート越しでも分かる。盛り上がった筋肉が、その圧力を弾き返しているのだ。
柚葉はカラカラに渇いた喉を潤そうとするように唾を飲み込む。
(うそ……一真さんが守ってくれなければ、私たち今頃……)
そのモンスターの名は、ダスクハウンド。
その隠密性の高さから、存在そのものを知る者は少ない。たとえ名前を知っていても、実物を見たことが無い者がほどんどだろう。
この森に入り込んで、運悪くダスクハウンドと出会ってしまった者は、今この世にはいない者が多いだろうから。
一真たちは知る由もないが、邪神の瘴気に影響を受けてしまい、存在そのものが変質したモンスター。
帰らずの森とは、邪神ゼルグノスが残した瘴気によって、生態系が狂った魔境なのである。
前足を押さえつけられたダスクハウンドは、口から涎を垂らしながら咆哮を上げた。
「■■■■■ーーーッ!!!」
耳を劈くような不快音に、晶たち三人は耳を震え上がる。
だが、一真だけは違った。
普段の穏やかな笑みを消し、猛獣のような笑みを浮かべる。
「随分と煩い犬だ。いきなり襲いかかってくるとは、躾がなっていないな」
押し込む腕に力を込め、獣の眼を真っ直ぐに射抜く。
「どれ……俺が“躾けてやろう”。」
三人とルナリスを襲おうとしたモンスターに対し、一真の奥底で静かな怒りが燃え上がり始めていた。
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