第87撃:揺らぐ心、湖畔に映す影
晶は皆から見えないように、少し距離を取って服を脱ぎ始めた。
森の空気の冷たさに肩をすくめながらも、衣服を畳んで草の上に置くと、そのまま湖へと足を踏み入れる。
「冷たいけど……気持ちいいや」
肌を刺す水温に最初は息を呑んだが、やがて心地よさへと変わっていく。
湖の水で身を清めながら、晶は思わず胸の内で呟いた。
(ボク……どうしちゃったんだろ……。昔は女の子みたいな外見でからかわれて、それが本当に辛かったのに……。今は逆に、一真さんから“男の子”として扱われると……なんだか、胸がモヤモヤする……)
晶は濡れた髪を指で梳きながら、自らの身体を見下ろす。
そこにあるのは紛れもなく男性の身体。当たり前であるはずのその事実が、今日に限って妙に悲しく思えた。
ちらりと遠くを見る。焚き火を囲む三人の姿はぼんやりとしか見えないが、温かな雰囲気が漂ってくるのは分かった。
(やっぱり……紫音も柚葉も……一真さんのこと……)
そこまで考えた瞬間、晶は慌てて首を振る。
(やめよう……きっと疲れてるんだ。だから変なこと考えちゃってるんだ……)
その時、背後からか細い鳴き声が聞こえた。
「キュー……キュゥー……?」
振り向けば、心配そうにこちらを見つめるルナリスの姿があった。
「ルナリス……ボクのこと、心配してくれてるの?」
問いかけに、ルナリスは小さな体を擦り寄せながら鳴いた。
「キュウ、キュウ……」
晶は思わず微笑み、濡れた手でその水色の身体を優しく撫でる。
不思議な感じがした。
ルナリスとは今日出会ったばかりなのに、ずっと前から知っていたような…すっと前から可愛がっていたような…そんな感覚に襲われる。
「えへへ……ボクは大丈夫だよ。ちょっと変なこと考えちゃってただけ。ありがとうね、ルナリス」
「キュッ!」
ルナリスが強く鳴いた瞬間、湖面がきらめき始めた。
紫音や柚葉の時と同じように、水は透き通る光を帯び、宝石のように輝きながら晶の身体を包んでいく。
「わぁ……綺麗……。本当に、宝石みたい……。ルナリスって、すごいんだね」
浄化の光はすぐに収まり、晶の身体は澄んだ水と共に清められた。
晶はそれから少しだけ綺麗な湖を堪能した後、ルナリスを連れて湖を出た。
そこで晶はあることに気がつく。
「あ……タオル……どうしよう……」
身体を拭くものを持ってきていないことに思い至る。
「紫音と柚葉……どうやって拭いたんだろう……」
困り果てていると、不意に背後から声がかかった。
「晶、少し良いか?」
次の瞬間。
「キャァァァッ!!」
女の子のような悲鳴を上げた晶は、慌てて身体を掻き抱き、しゃがみ込んでしまう。
(見られた……!ボクの身体……一真さんに……!)
自分でも説明のつかない感情が胸を満たし、涙が溢れそうになる。
「あー……いきなりスマンな、晶。驚かせてしまった」
優しい声音がかかり、恐る恐る顔を上げると――一真は瞳を固く閉じたまま、片手にタオルを持って差し出していた。
「え……一真さん、これ……」
晶の声を聞いた一真は、瞳を閉じたまま説明を始める。
「まずはそのだ。お前の裸は見ていないから安心しろ。いくら同性とはいえ、年頃の子だからな」
彼は気配だけを頼りに迷いなく歩き、晶の傍らにしゃがみ込んだ。まるで目が見えているかのように。
「紫音と柚葉から聞いたんだが、二人は風魔法で身体を乾かしたそうだ。その事を失念していてな……悪いことをしたと思ってる。お前も困っているだろうと思って、俺のバッグに入れていた私物を持ってきた。洗ったまま使わなかったから、汚れてはいないはずだ。悪いが、これで我慢してくれないか?」
差し出されたタオルを両手で受け取り、晶は小さく礼を言う。
「あの……ありがとうございます、一真さん。それと……変な声出しちゃって、ごめんなさい……」
落ち込む声に、一真は笑いながら応えた。
「気にするな。俺も急すぎた。身体を拭いて服を着たら、焚き火のところまで戻って来い。紅茶を入れて待ってる」
そう言うと立ち上がり、焚き火へと戻っていく。その背に片手を振りながら。
晶はその姿を目で追い、やがて手にしたタオルを顔に近づけた。
「あ……一真さんの匂いがする……」
胸の奥から温かいものが込み上げてくるが、ハッとなって慌てて顔から離す。
「って!ボク……何やってるんだろ……!身体拭かなくちゃ……」
必死に自分を誤魔化しながら身体を拭きつつ、ふと頭をよぎった考えに心臓が跳ねる。
(もし……もしもボクが女の子だったら……一真さんは……ボクをどう思ってくれるんだろ……)
考えてしまった自分を否定するように、晶は頭を強く振った。
「ボク……何考えてるんだろ……ばかみたい……」
その様子を、ルナリスは心配そうに見上げ続けていた。




