第7撃:―未知なる森にて、龍を穿つ者―
朝の光が差し込む森の拠点。焚き火の残り香がほんのりと漂う中、一真と晶は果物と焼いた魚で簡単な朝食をとり、腹を満たしていた。
食後のひととき、火の揺らめきを眺めながら、一真が口を開いた。
「さて、そろそろ情報収集していかないとな」
晶が首をかしげる。「情報収集…魔族との戦いのことですか?」
「もちろん、それもあるが――」一真は焚き火の枝を摘んで弄びながら、静かに続けた。「それ以前に、俺たちはこの世界そのものを、あまりにも知らなすぎる。地図もなけりゃ、常識もわからん。まずは、知れることを知っておく。それが生き延びる最短ルートだ」
「……じゃあ、この森を出ていくんですか?」
「うーん、すぐにとは限らんな。いつかは出るだろうが、タイミングを間違えたら命取りだ」
晶はどこか不安そうに、小さく肩をすくめた。「それって……どういうことですか?」
一真は微かに笑って、静かに告げた。
「晶、気づいてるか?」
「え? 何をですか?」
「俺たちがこの森に入ってから、俺たち以外の人間を一度も見ていない」
「……あ。でも、まだ二日目ですし……たまたま、じゃ?」
「そうかもしれん。だが、この森――資源が豊富すぎる。果物に水、魚、建材になる木材。あれだけの巨木があれば、家一軒建てられる。にも関わらず、明らかに“人の痕跡”がないんだ」
晶は不安げに眉をひそめる。「そんなこと、分かるんですか?」
「まあな。地球と違って、日本と違って、この世界の文明レベルはまだ低い。だからこそ、こうした場所は本来、人間が真っ先に群がるべきなんだ。なのに、それがない。不自然だとは思わないか?」
「……つまり、ここの資源は魅力的だけど、それ以上に“危険”ってことですか?」
「そのとおりだ。昨日のスライムを覚えてるか?」
晶の表情が曇る。「はい……スライムなのに、怖かった……」
「普通ならいくらなんでも、スライムにあんな攻撃力はないはずだ。だが、ここにいる魔物は違う。どこか異常なんだ」
一真は立ち上がり、森の奥へと視線を向ける。
「だから俺は、この場所を“避難所”として活用するつもりだ。いずれ街へ出て情報を得るが、状況が悪けりゃ、ここへ戻る。ここなら少なくとも、俺たちのペースで動ける」
晶はそれを聞いて少し考え、「でも……この世界の人が近寄らない場所ってことは、やっぱり危ないんじゃ……」
一真はニヤリと笑って答えた。
「モンスターなら大歓迎だよ。食えるなら、な」
「……それ、食べられる前提なんですね……」
「人間の方が怖ぇよ。ときに、魔物よりよっぽどな」
その言葉は、晶にも理解できるものだった。あのエルサリオン王城の冷たい目、勇者を“道具”としか見ていないあの空気……思い出すだけで、背筋が寒くなる。
その時だった。ふと、一真の表情が変わる。瞳が鋭く、静かな気配の中に緊張が走った。
「……晶。悪いが、ちょっと下がってろ。来るぞ」
「え……?」
一真の背後、森の薄暗がり。そこに――信じられないものがいた。
全長は五メートルをゆうに超える、岩のような鱗を纏った巨大な蛇。
「お、大きい。岩の蛇…ロ……ロックスネーク……?」晶が無意識に呟いた名は、この世界の者であれば震え上がる存在だ。
この世界に来て間もない二人は預かり知らぬことだが、中級勇者でも単独撃破は困難とされるモンスター。
だが、一真は一歩も退かなかった。いや、それどころか余裕すら見せていた。
「なんともまたゴツいモンスターが来たな……よし、“石ころ蛇”と名付けよう」
「そんな場合じゃ……っ!」
晶が声を上げる暇もなく、一真の呼吸が一変する。
仙術・封神拳――
次の瞬間、一真の姿が掻き消えたように見えた。
晶の目では、もう追えない。
一真はロックスネークの目前に瞬時に迫り、両の足を地に強く踏みしめ、上体と下半身を逆方向にねじり、そこから一歩踏み出す。
「封神拳・――臥竜崩拳」
瞬間、空気が爆ぜ、重い衝撃音が森に轟いた。
――ロックスネークが、粉々に砕けた。
穴が空いた訳でも、千切れた訳でもない。ただ、そこに“在った”ものが、跡形もなく破壊された。
「……え?」
現実を飲み込めず、晶は目を見開いたまま固まっていた。だが、一真はどこ吹く風といった表情で、
「ありゃ、ちと加減をミスったか?」
と呟く。
あれで、手加減……?
思考が追いつかない晶を尻目に、一真はバラバラになった肉片を集め始めた。
「さてと……お、やっぱりあった。スライムのより立派な石だな。綺麗な赤色。本当に“魔石”ってやつかもな」
朱く輝く宝石のような石を拾い、手持ちの袋に放り込むと、一真は火の傍にいた晶へと呼びかけた。
「おーい晶! もう大丈夫だ。ところで――この肉、焼いてくれないか? 張り切って封神拳使ったら、また腹が減っちまってさ」
晶はしばらく無言のまま、一真の顔を見つめていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「……はい。焼きますね」
(現実感なんて、もうとうに無い。でも――)
晶は火のそばにしゃがみ、ロックスネークの肉を焼き始めた。
(それでも、この人が隣にいてくれるなら……)
揺らめく炎の向こうで、一真の笑顔がやけに頼もしく見えた。