第35撃:密命と説得の空振り
セレフィーネは、玉座の裏にある静かな執務室で羽ペンを走らせると、細長い紙片に短い命令文を記し、机の上の黒い水晶に手をかざした。
水晶の内部がぼんやりと赤く輝き、そこから影のような翼を持つ使い魔が音もなく浮かび上がる。
「……空将ガズラに届けろ。――追放した勇者の行方を追え。必要なら、希少な偵察型の使い魔の使用も許可する」
低く響く声には、抑えきれぬ興味と警戒が入り混じっていた。
なぜ、あの男だけが“確認不能”という結果になったのか。
これまで一度も出たことのない鑑定結果――それは彼女の記憶に焼き付いて離れなかった。
セレフィーネは唇を歪める。
完全に支配しきれぬバルト国王の存在が、また胸中の苛立ちを煽る。
本来なら、こんな人形はすぐにでも処分したい。だが、それはできない。
――勇者召喚の秘術はエルサリオン王家の血にのみ伝わるもの。今、王国でそれを行えるのはバルト国王だけ。
さらに、本物のファレナ王女は、現魔王アリステリア=ゼラシアの庇護下にある。
下手に手を出せば、穏健派の反発を招く。現状では手が出せなかった。
「……あの女め。父が魔王だったというだけで、その地位も力も継ぐとは……」
爪が白くなるほど拳を握り締める。
「本来、その玉座も魔王の力も……グラウザーン様のものだ」
数秒後、深く息を吐き出し、己を落ち着けた。
「……まあいい。どのみち、魔王の力だけでは足りない。グラウザーン様の目的には――女神エルフェリーナの力が必要だ」
口元に、静かな狂気を孕んだ笑みが浮かぶ。
「私が必ず……その魂を見つけ出してみせる」
そして再び、冷たい声色が部屋を満たした。
「明日には“勇者様”方に、穏健派の前線で戦ってもらおう。中級以下でも、肉の壁にはなる……せいぜい役立て」
その言葉を、光の消えた目でバルト国王が見ていた。
しかし――瞳の奥底で、微かに揺らぐ感情の火が灯っていたことを、セレフィーネは気づかない。
時は召喚の翌朝へと戻る。
天城紫音と千歳柚葉は、王城の客間を一つずつ回り、クラスメイトたちの説得を試みていた。
一緒に逃げるために。
「なあ、信じてくれ! 本当に勇者を使い潰すって言ってたんだ!」
紫音は必死に訴える。
「このままじゃ、オレたち全員……危ないんだよ。一緒に逃げよう!」
だが返ってくるのは、能天気な笑みと軽薄な言葉だった。
「何バカ言ってんだ? 俺たちは選ばれた勇者なんだぜ? 魔族をぶっ倒すのが使命なんだよ。スゲェよな、ゲームみたいで!」
柚葉が同級生に声をかけても、反応は似たり寄ったりだ。
「千歳さん、何言ってるの? 選ばれた私たちが死ぬわけないじゃない」
そして、どこか見下すような笑みを浮かべて続ける。
「……ああ、そうか。あなたと天城さんは中級勇者ですもんね。あなたは攻撃と支援魔法、天城さんは剣術……それじゃ怖いのも無理ないわ。大丈夫、私の千里眼スキルで危険を見通してあげるから」
まるで話が通じない。
いや、それ以上に――彼らの目には妙な熱が宿り、以前の同級生とはどこか違って見えた。
紫音と柚葉は顔を見合わせ、息を呑む。
「……なんで、オレたちの言うことを聞いてくれないんだ……?」
「……不味いよ、紫音。このままじゃ……」
「わかってる……けど、クラスメイトを見捨てるなんて……」
迷いと焦りの中、無情にも時間切れは訪れる。
「そこの女二人、何をしている!」
鋭い声が廊下に響き、甲冑の兵士が現れた。
「勇者は全員、謁見の間に集合だ。余計なことはせず、さっさと行け!」
互いに一瞬だけ視線を交わし、紫音と柚葉は心の奥で絶望を押し殺しながら、王の待つ広間へと足を向けた。




