第274撃:境章・第一の運命《後編》
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※今回は重要回のため、やや長め(約9000文字)です。
姫咲はそれから慎重に源十郎を担ぎ、隠れ家へと向けて空を駆ける。
源十郎は意識を失いながらも、無意識に身体の止血を行っている。
流石としか言いようがない。
だがこのままでは、危険であることには変わりがない。
隠れ家に着くと同時に可能な限りの応急処置をして、協力者たちに連絡を取る。
協力者たちが駆けつけてきて、そのまま源十郎の治療へ。
長い時間をかけて、交代で源十郎の治療に努める一同。
その甲斐あってか、源十郎は一命を取り留めた。
封神の徒の協力者は、実に多岐にわたる。
中には医療従事者も多くいるのだ。
だが。
一命は取り留めた。
取り留めはしたが、此度の負傷で現役は退く事となった。
姫咲は胸が抉られたような気持ちになる。
あれほどの強さを誇った源十郎が、このような事になるなんて……。
それと同時に、胸中の不安も日増しに大きくなっていく。
自分に闘神童子が務まるのか。
自分はまだまだ未熟だ。
学ぶべきこと、源十郎から教えてほしいこと、それこそ数え切れないほどある。
それでも、今は自分が動かねばならない。
こうしている間にも、悪神は誰かを脅かしているのだ。
どこかで、かつての自分のような思いをしている人がいるのだ。
姫咲はそれから、世界中を駆け巡った。
それまでは師と共に戦っていた悪神。
それを今は、自分ひとりで倒さなければならない。
プレッシャーだ。
悪神の化身なら、協力者の中にも倒せる者はいる。
事実、多くの協力者たちが倒してくれている。
だが、悪神自体はそうはいかない。
姫咲は時に一人で、日本の裏側まで行くこともあった。
——兄弟子は、自らの気が向いたときにしか動かない。
楽しくないと本人が判断したら、彼は戦おうとはしないのだ。
その代わり、一度戦うとその強さはまさに闘神。
兄弟子の才能やセンスは、歴代の封神の徒でも並ぶ者がいないと言われていた。
姫咲が一人で行動を始めて数週間。
昏睡していた源十郎が目を覚ました。
「先生!良かった……本当に……」
涙を必死に堪える姫咲を見て、源十郎は笑みを浮かべる。
「あの程度でくたばったりはせん。これでも先代闘神童子だったのでな」
そう、明るい口調で言う。
その言葉を聞いた姫咲は、顔色を曇らせた。
何かを言いたそうにしながらも言い淀んでいたが、やがて口を開く。
「先生……やはり私には、闘神童子は務まりません。
私ではなくて、京牙兄さんを八代目に……」
自信なさげに、そう呟く姫咲。
しかしその言葉を聞いた源十郎は、瞳を閉じて首を横に振った。
「……駄目だ」
姫咲の肩がビクリと震える。
その様子を見つつ、源十郎は言葉を続ける。
「京牙は確かに強い。あいつは……天才だ」
そう。姫咲の兄弟子の“天童京牙”は、文字通りの天才。
しかも努力をする天才だ。
強さの追求のためならば、どの様な苦行も厭わない。
今の自分と源十郎が二人で戦ってようやく、京牙と互角といった所か。
——だが。
「京牙は誰にも属さない。京牙は何処にも属さない。
あいつが唯一従うのは、自分自身のみ」
源十郎のその言葉は、姫咲も痛いほど理解できた。
八代目を継げと言われれば、あるいは継ぐかもしれない。
しかし継いだとして、闘神童子としての使命に運命を捧げるかと問われれば——答えは否だ。
京牙は強すぎるのだ。
飄々としていて、いつも人を食ったような笑みを浮かべている。
しかしその瞳の奥には、常につまらなそうな感情が沈んでいた。
京牙が封神の道に足を踏み入れたのも、おそらくは退屈しのぎなのだろう。
悪神やその眷属との戦いが、京牙には面白そうに映ったのかもしれない。
そしてそれすらも、京牙は飽きつつある。
天童京牙という男にとって、もはやこの地球すら狭いのかもしれない。
暗く沈む姫咲の表情。
その表情を見て、源十郎は苦笑を浮かべた。
「そんな顔をするな、姫咲。
お前に全部、押し付けようという訳ではない。俺も傷が癒えたら、戦いに復帰する。
まだまだお前に教えなければならないことも、多く残っているしな」
その言葉に、表情を明るくする姫咲。
ホッとした。
もしかすると、もうこれ以上何も教えてもらえないかもと、思っていたから。
だが同時に心配でもある。
これほどの怪我で、戦場に復帰させても良いものか。
源十郎はそんな姫咲の不安を感じ取ったのか、笑みを穏やかなものに変えた。
「俺はあくまでも、裏方としてお前をサポートする。
無茶はせんよ」
そう言って、再び姫咲に問いかける。
「……継いでくれるな?闘神童子を」
姫咲は一瞬瞳が揺れたが、それでも次の瞬間には答えていた。
「……はい。八代目闘神童子……謹んで襲名いたします」
◇
それからの姫咲は、今までに増して使命に没頭した。
源十郎から様々なことを教わり、今まで以上に世界を飛び回った。
ただひたすら、愚直に訓練を繰り返す。
源十郎から習ったことは、どんな事でも何千、何万回と繰り返した。
対して京牙は、独自に封神拳を理解して、自らその技を深めていった。
まさに二人は対極。
方や王道を進む。
方や覇道を歩む。
源十郎と姫咲が真に驚愕した事がある。
京牙はなんと、神威闘装を独学で習得せしめたのだ。
姫咲が源十郎の指導のもと、数十年かけて習得した秘奥の片割れを、京牙は自身だけで使いこなしてみせた。
姫咲は残念でならなかった。
京牙が封神の使命を受け入れてくれたのなら、喜んで八代目は譲ったのに。
自分には才が無い。
故に姫咲は、愚直な努力をただひたすら続けた。
——そんな姫咲の努力は、決して無駄ではなかった。
いつしか姫咲は、仙気の運用が非常に上手くなっていた。
美しく、無駄が殆どない仙気の制御。
姫咲が操る紅の仙気。
いっそそれは、芸術とも言えるような美しさだった。
だが技の洗練とは裏腹に、姫咲の心はどんどん凍りついていった。
終わりの見えない悪神との戦い。
どれだけ己を鍛えようとも、救えない——届かない命がある。
悪神に取り込まれた、元人間の眷属などもそうだ。
源十郎曰く。
『一度眷属に堕ちた者は、二度ともとには戻れない』
——殺すしか無いのだ。
仕方がない事なのは分かっている。
だがそれでも、かつて人であった眷属を一人倒す度に、自分の心が一つ死んでいくような気がした。
いつしか姫咲は、悪神とその眷属を屠るためだけの“装置”となりつつあった。
七十数年を生きてきた“少女”は、恋も知らずに戦い続けてきた。
人であることを捨て、女としての幸せも諦めて。
師の源十郎は言う。
「それでは駄目なんだ。姫咲。
人であることを捨てるな」
しかし姫咲は、その言葉を受け入れることが出来なかった。
たとえ辛かろうとも、自分が悪神や眷属を屠れば、その分誰かが助かる。
自分が封神の道を選んだのは、復讐のためではない。
自分と同じ悲しみを味わう人間を、一人でも減らしたいがために。
そのために姫咲は、女であることすら捨てたのだから。
誰かを救うために、自らの心を削る。
そんな生活を、更に数年続けた時……姫咲の人生を大きく変える出会いが訪れた。
昭和五十五年。
姫咲が七十九歳の時である。
それは日本国内での出来事であった。
悪神の眷属の出現の報を受け、姫咲は現場に向かった。
そこでは、眷属が二人の子供を襲おうとしていた。
十代前半と思しき少年を、十にも満たない幼女が必死に守ろうとしている。
慌てて助けに入る姫咲。
「はぁぁぁ!封神拳・破天掌!」
圧縮された紅の仙気が渦を巻き、眷属に叩きつけられる。
眷属はうねり、拉げ、そのまま身体が崩壊する。
『■■■——』
——一撃。
永くを戦い続けた姫咲の実力は、この程度の眷属なら一撃で屠れるほどになっていた。
訪れる静寂。
姫咲は振り返ると、二人の子供に声を掛ける。
「……よし。もう大丈夫よ。二人とも怪我はない?」
その言葉を聞き、少年は泣き出してしまう。
無理もないことだろう。
だが、どうやら怪我は無いようだ。
一方の幼女の方は、驚いたことに泣かなかった。
ただ苦しそうに胸を抑え、蹲ってしまう。
姫咲は青くなり、慌てて幼女の無事を確認し始める。
「あなた、大丈夫!?何処か怪我をしたの?」
姫咲の言葉に、しかし幼女は首を横に振って答えた。
「はぁ、はぁ……んぐっ。……大丈夫……怪我はしてないよ。
お姉ちゃん、助けてくれてありがとう」
そう言って、無理やり笑みを浮かべる少女。
どうやら本当に、怪我は無いようだ。
苦しそうにしているのは、もともとの持病なのかもしれない。
姫咲は幼女の様子に胸を痛めながらも、幼女に問いを飛ばす。
「無事なら良かったけど、無理はしないでね?
……そちらの男の子は、あなたのお兄ちゃん?」
この問いに対しても、幼女は首を横に振った。
「ううん。知らないお兄ちゃん。
何か怖いお化けに襲われてたから、助けなくちゃって思って……」
そう言った幼女の瞳は苦しそうに揺らぎながらも、その奥には強い光が宿っている。
——ズクン——
姫咲の胸の奥が疼く。
自らが必死に“捨てよう”としているもの。
——捨てなくてはならないと”思い込もう”としていたものが。
姫咲は慌てて頭を振ると、ひとまず気持ちを切り替える。
まずはこの子達を、安全な場所まで送り届けることが先決だ。
泣き止まない少年を落ち着かせ、家の場所を聞いて送り届ける。
続いて幼女を、家へと送り届けようとした姫咲。
この辺りには、悪神の気配も眷属の気配も、もう感じられない。
幼女を送り届けて今回は一件落着。
——そうなる筈だった。
姫咲はこの幼女の事が、どうしても気になって仕方がなかった。
なぜだかこの少女の事を知りたくて、我慢ができなかったのだ。
姫咲は幼女から了承を得て、落ち着ける場所へと移動する。
そこで飲み物と食べ物を購入して、幼女へと差し出す。
彼女はよほど空腹だったのか、喜んでそれを食べ始めた。
そんな彼女を見て、気付いたら姫咲は“自然”に笑っていた。
いつぶりかの——作り物ではない自然な笑みを。
幼女が食べ物を食べ終えて、一息ついた所を見て、姫咲は彼女に様々なことを問いかけていった。
◇
幼女の名前は、草薙綾女と言うらしい。
今年九歳になったそうだ。
家族は両親に兄が一人の四人家族。
生まれつき身体が弱く、特に最近は肺が悪くなってきた。
そのせいで綾女は、やりたいこともまともに出来ないという。
——それなのに……綾女の瞳の輝きは、一切の陰りを見せていない。
気付いたら姫咲は、綾女の事を真剣に聞いていた。
あっという間に過ぎ去る時間。
時間を忘れて誰かと話すなど、久しく忘れていた。
だが流石に、これ以上時間を掛けるのはまずい。
姫咲は後ろ髪引かれる思いで、綾女を家へと送り届けて別れを告げた。
——再会の約束をして。
それ以降姫咲は、何度も綾女に会いに来ることになる。
戦いの日々の中で、綾女に会っている時だけが、心が安らぐことに気付いた。
——心が解きほぐされていく。
それまでの姫咲は、人であることを捨てようとしていた。
対して綾女は幼い頃からの病弱は治る様子もなく、依然としてやりたいことも出来ない。
にも関わらず、綾女は明るさや優しさを決して失わなかった。
人を辞めて戦うための機械となろうとしていた姫咲は、綾女の心に触れて人であることを取り戻していった。
姫咲は闘神童子としての日々を送っていたために、滅多に綾女に会うことはできなかった。
会う度に綾女は幼女から少女、そして女性というように、どんどん変わっていく。
対して自分の老化は止まっているために、自分の外見は変わらない。
時の流れから外れた者の孤独。
それでも姫咲にとって、綾女に会える僅かな時間は癒やしだった。
◇
ある時期に、悪神の眷属の活動が活発になった時があった。
もう長らく綾女に会いに行けていない。
——綾女が心配だ。
最後に綾女に会った時、綾女は病にかかっていた。
『間質性肺炎』
現在の医療でも治せない、進行性の不治の病。
綾女とは何度も連絡はとっていたが、直接会うだけの余裕はない。
……会いたい。
ひと目でいいから、綾女の無事を確認したい。
そんな思いを抱きつつ、戦い続けた姫咲。
どれだけの時間が経過したか、年号は平成になり、十八年の時を数えていた。
この時、姫咲は105歳。
綾女は35歳になっているだろう。
ようやく戦いが落ち着いてきて、久しぶりに綾女に会いに行ける。
——そう思っていた矢先だった。
一人の男性が姫咲の元へと訪ねてくる。
歳は十八歳。まだ何処か、僅かに幼さが残る男の子。
その男性は、自らのことを草薙一真と名乗った。
唯一の親友——綾女の甥であった。
その事にも驚いたが、一真が告げた言葉は、姫咲の心を奈落の底へと突き落とした。
——草薙綾女の死。
綾女は病が悪化し、数ヶ月前に命を落としたのだという。
目の前が暗くなる。
足元がぐらつく。
完全に自身を制御できるはずの姫咲が、その時ばかりは自身を御しきれなかった。
衝撃はそれだけではない。
一真と名乗ったこの子は、綾女からの手紙を持参してこう言ってきたのだ。
「俺を……弟子にしてください」
——我が耳を疑った。
一瞬、何かの冗談なのかと思った。
だが違う。
一真の口から、仙女という言葉が出たのだ。
この子は確信している。
自分が封神拳の使い手であることを。
一真から預かった手紙を確認する姫咲。
そこには、姫咲に対する多くの感謝が綴られていた。
幼い日に助けてくれてありがとう。
自分と友達になってくれてありがとう。
大変なのに、会いに来てくれてありがとう。
たくさんの思い出をありがとう。
人である事を辞めないでくれて——ありがとう。
涙が出た。
止めようとすら思えない。
綾女には分かっていたのだ。
姫咲が、人であることを捨てようとしていた事が。
姫咲は封神の道を歩んで以来初めて——大声を上げて泣き崩れた。
どれだけの時間を泣いていたのか。
その時間の全てを、一真は一言も話さずに、姫咲を見守っていた。
まるで姫咲の痛みを、自らの痛みとして感じているかのように。
◇
一生分泣いたのではと言うほどの涙。
その涙の果に、ようやく姫咲は落ち着きを取り戻した。
一真は何も喋らない。
姫咲は、手紙の続きを読み始める。
そこには、一真の身の上が書き記されていた。
五年前、一真が十三の時に、家族を失ったこと。
それ以降は綾女が引き取って、これまで育ててきたこと。
自分はもう、長くは生きられないこと。
一真が望むなら……一真を託したいという旨。
姫咲は迷った。
なぜ綾女が、自分に甥を任せたのか。
綾女には、自分の使命を話していた。
どれほど危険な事なのか。
どれほど時間がかかるのかも分からない。
いつか命を落とすかもしれない可能性。
なのに綾女は、それを承知で一真を預けてきたのだ。
混乱する。
だが同時に、一真に大きく惹かれてもいた。
同じだと思ったのだ。
——自分と。
経緯は違えど、目の前で家族を失った。
ある日突然運命から、無慈悲に全てを奪われた。
姫咲は大いに悩んだ。
だが結局、一真の弟子入りを認める事にした。
目の前の少年を、どうしても放っておけなかった。
こうして月城姫咲と草薙一真は、草薙綾女の導きによって出会いを遂げた。
◇
一真はよくついて来た。
常識では考えられない事を経験しても、普通なら逃げ出すような経験しても。
最初はあくまでも、一人の弟子であった。
綾女の忘れ形見だということもあり、可愛がってはいたが。
——いつの頃からだろうか。
いつしか姫咲は一真の事を、ただの弟子として見ることが出来なくなってきていた。
一真とともに過ごす時間は、綾女と同じくらい——
いや、それ以上に、姫咲の心を解きほぐしていった。
綾女の死を知り、砂漠のようだった自分の心が、いつしか潤わされてきている。
不思議な子だった。
一真は気づいたら、心の一番深い所にするりと入ってきていたのだ。
それでも姫咲は自分の心を制御して、どうにか誤魔化してきた。
それが明確に出来なくなったのは、あの時だ。
一真を初めて、悪神の眷属と戦わせた時。
衝撃だった。
一真はそれまで不可能とされてきた、悪神の化身へと堕ちた者の心を、最後の最後で解き放ったのだ。
それを見た瞬間、姫咲の中で一真の居場所は、決して動かぬものとなった。
男を愛することも知らずに百年を生きてきた“少女”は、生まれて初めての恋をした。
その瞬間からだろう。
百歳以上の“少女”だった者。
その者の——月城姫咲という名の一人の“女”としての人生が始まったのだ。
◇
初めて会った頃は、まだ幼さを残していた一真だったが、今や立派な大人になっていた。
三十歳前後の頃に——一真の肉体も時の流れから外れる事になる。
それから五年程は、一真と共に行動する時は、悪神の眷属の討伐だけを行ってきた。
危険すぎるが故に、それまでは悪神自体と戦わせるわけにはいかなかった。
だが今ならば大丈夫だろう。
今や一真の仙気生成量は、自分よりも多くなっているのだ。
……なら。
一真が三十五歳になる頃。
とある悪神の眷属を倒した後の事。
姫咲は思い切って、一真へと一つの提案をする。
「ねえ、一真……闘神童子を継いで欲しいの」
——心臓が破裂しそうだ——
「私の代わりに九代目闘神童子に……なってくれる?」
——何度制御しても、心臓が言うことを聞いてくれない——
——ずっと一真と共にいたい。
でも……自分は封神の道を捨てることは出来ない。
そんな自分が、一真と寄り添える道があるとするのなら——
一真に九代目を継いでもらい——自分が支えること。
胸が苦しい。
自分の身体じゃないみたいだ。
一真の顔を……まともに見れない。
それでも姫咲は、勇気を出して一真の顔を見上げる。
その顔に浮かんでいた表情は。
——苦笑。
ズグン。
先程までとは違う痛みが、胸に走る。
「かず、ま?」
掠れる声を出す姫咲に、一真は困ったように言葉を返した。
「姫咲さん、気持ちは嬉しいよ。だけどな、俺はまだまだ未熟だ」
——違うの一真……そうじゃない——
「俺はもっと強くならなくちゃいけない。
それまでは——」
——やめて……それ以上は言わないで——
「俺には務まらないよ」
——目の前が暗くなる。
今にも泣き崩れてしまいそうだ。
それでも姫咲は、無理やり顔に笑みを浮かべた。
「そっ……か。それじゃあ仕方がないわね」
自分が何を言っているのか分からない。
平常心を保てているのだろうか?
表情は大丈夫?
一真は少し寂しそうな表情で言葉を続ける。
「俺は姫咲さんみたいに、仙気の扱いが上手くない。
すぐに腹が減っちまうしな。
……だから、その弱点を少しでも補えるように、中国に渡って武術の修行をしようと思う」
(やだ……やだ…やだ…いやだっ!)
喉元まで出かかった言葉を、既のところで飲み込む姫咲。
代わりに口から出した言葉は。
「……貴方が選んだ道だったら、応援するわ。
どうせならとびっきり強くなって帰ってきなさい!」
一真と背中を合わせて共に戦ったのは、その日が最後となった。
その日から数日後、一真は中国へと旅立っていった。
姫咲の心に、ポッカリと穴が空く。
それは姫咲にとって、あまりにも耐え難いものであった。
闘神童子としての使命を捨てられない姫咲にとって、一真に言った「九代目を継いで欲しい」とは。
彼女に言える精一杯の——
『ずっと私の傍にいて』
◇
姫咲は心に虚無を抱えたまま、それから三年間戦い続ける。
そんなある時、中国に悪神の眷属が現れたとの情報が入って来た。
それを聞いた姫咲の胸が、三年ぶりに跳ね上がる。
不謹慎だとは分かっている。
不純だと言われても仕方がないだろう。
それでも……思ってしまった。
——一真に会えるかもしれない。
姫咲は直ぐ様中国へと渡った。
悪神の眷属を倒し、余った時間を使って一真を探す。
会いたい——会いたい——会いたい——!
だが——
一真の姿は何処にも見当たらなかった。
姫咲は意気消沈して、日本へと帰って来る。
それからはまた、悪神や眷属との戦いの日々。
それから、一月経つか経たないかと言った頃。
姫咲は一つの夢を見る。
一真が見た事もないような世界で、物語に出てくるようなモンスターと戦っている夢を。
——その日からだろう。
なぜか妙に、一真の存在が身近に感じられるようになった。
何処にいるのか分からないのに、とても近くにいるような感覚。
そんな不思議な感覚を覚えながら、姫咲は戦いの日々を続けていた。
近頃は悪神や眷属の動きが活発になっているように感じる。
忙しくあちらこちらを飛び回っている姫咲だったが、その日は源十郎が代わりを務めてくれた。
「お前は少し動きすぎだ。しっかりと休みを取れ」
そう言って、定期的に姫咲を休ませてくれる。
言葉に甘え、姫咲はその日休暇を取った。
だが、その日の休暇は唐突であったために、中々気持ちが切り替わらない。
やむを得ず姫咲は、セーフティハウスで休むことを諦め、少し外に出ることにした。
特に当てもなく、外へと出てきた姫咲。
——ふと、姫咲は思い立つ。
一真の実家に行ってみたい。
何度か一真に連れられて行ったことがある、一真の実家。
なぜだか無性に、その場を見たくなった。
——もしかすると、一真が帰ってきているかもしれない——
姫咲は居ても立っても居られず、天駆空歩で空を駆ける。
あっという間に一真の家の近くへ。
これ以上は目立つ。
姫咲は天駆空歩を解除して、大地へと降り立った。
胸がソワソワする。
自分でも不思議だった。
早くその場所へ行かなければならない。
何故かそう、強く思うのだ。
姫咲が一真の家へと向かい、一つの学校の前を通り過ぎようとした時。
——世界がズレる。
姫咲は強い違和感を覚え、その場で立ち止まった。
(なに……この違和感?)
まるで薄い膜を一枚隔てた、“別世界”にでも迷い込んだかのような感覚。
違和感はどんどん強くなる。
なのに、姫咲はなぜか思った。
『この場所から動いてはいけない』
今この場を動いたら……一真から遠ざかるような気がした。
姫咲が立ち止まり、辺りの気配を探っている時。
——それは始まった。
世界から唐突に色が抜けていく。
色鮮やかだった視界が、灰色に塗り潰される。
「な、にが……起こって……」
明らかな異常事態なのに、身体を動かせない。
——いや、“動かしたくない”。
まるで誰かに呼ばれているような感覚。
“何か”が救いを求めているような感覚。
姫咲がその感覚を強く受けた次の瞬間。
空に——眩いばかりの巨大な光の“魔法陣”が浮かび上がった。
「な、に……あれ?」
不思議と姫咲が動けずにいると、その魔法陣から光の柱が降り注いできた。
その光は、姫咲を力強く包み込む。
その瞬間。
運命の歯車がまた一つ——音を立てて動いた。
やがて光の柱は細くなり、そして音もなく消える。
空に浮かんでいた魔法陣も、跡形も無くなっていた。
何の変哲もない日常が戻って来る。
ただ一つ、それまでと違うことは。
その日、その瞬間……地球から月城姫咲の姿は消えて無くなった。
八代目闘神童子・月城姫咲、召喚。
その想いは運命すらも置き去りにし――一真の待つ異世界へと駆け抜ける。
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