第272撃:境章・第一の運命《前編》
高評価有難うございます!
本当に嬉しい!
さて、今回の話は前後編になります。
この話を境に、また物語が一段動く。
一人の少女の人生を語るとしよう。
時は明治三十四年。
一人の少女が、とある家庭に生まれた。
その家庭は何の変哲もない、どこででも見るような家庭。
両親に、翌年生まれた弟が一人の四人家族。
決して裕福とは言えないが、それでも幸せな家庭だった。
一家の家名は月城。
両親は生まれた赤子に、姫咲と名付けて可愛がった。
姫咲が生まれてから十年ほどは、とても穏やかな時間が流れた。
優しい両親に、可愛い弟。
そんな家族に囲まれて育った姫咲も、優しく明るい子に育っていった。
姫咲はとても利発な子であった。
幼いながらも自らの幸せを理解しており、毎日を精一杯生きていた。
いつまでも、こんな時間が続いてほしい。
いや、いつまでも続くはずだ。
そう信じて疑わなかった。
だが。
姫咲のそんなささやかな願いは、ある日突然音を立てて崩れ去る事になる。
時代が変わり、大正二年。姫咲が十二歳の時である。
新たな時代の到来に、日本中が浮足立っていた頃。
——両親と弟が——姫咲の目の前で殺された。
犯人は人間ではなかった。
少なくとも姫咲は、十二年の僅かな人生において、あの様な“モノ”を見たことはなかった。
人の形をしていながら、明確に人ではない。
文字通りの“化け物”。
家族のように接してくれていた、近所の者たちも全て殺されている。
昨日まで共に遊んでいた友達が、物言わぬ肉の塊となって転がっていた。
糞尿と血が混じり合った、吐き気を催すひどい臭気。
蹲り、胃の中のものを全て吐き出す姫咲。
その瞬間を相手が見逃す筈は無く、化け物の凶撃が姫咲に迫る。
(——あ。私死ぬんだ)
口元を拭いながら、冷静にそう理解する姫咲。
相手の動きが、妙に遅く感じる。
引き伸ばされた思考の中で、姫咲はゆっくりと考える。
(死ぬのって痛いのかな?)
(天国って本当にあるの?)
(死んだらまた、ちーちゃんに会えるかな?)
——それはただ冷静なのではなく、今際の際において、心を守ろうとする作用だったのかもしれない。
(……痛いのは……嫌だなぁ)
そんな考えが、姫咲の最後の思考になる。
——かに思われたその時。
「姫咲ぃぃぃぃぃっ!」
姫咲の父が、その身を盾にして彼女を守った。
『ザシュ!ブシュゥゥゥゥゥゥ!』
——ピタピタ——
姫咲の頬に付く、生暖かい“何か”。
「……え?」
姫咲は意味が分からず、頬についた何かを指で拭う。
——ヌル。
指先についた何かを見ると、それは粘ついた赤い液体。
頭が必死に理解を拒む。
だが目の前の父の姿が、それを許さない。
背中から化け物の腕を“生やして”いる父の姿が。
父が湿り気を含んだ声を上げる。
「早苗ぇぇぇぇっ!
姫咲と甚太を連れて逃げ——」
それが、父の最後の言葉だった。
『ブチブチっ!ズチャ!!』
父の身体が——“上下に”分かれる。
「あなたぁぁぁぁぁぁっ!」
喉が裂けるような母の悲鳴が、姫咲の耳を打つ。
地面に転がる、大好きな父の上半分。
物言わぬ姿となった父に、姫咲は手を伸ばす。
「あぇ?……おとう……さん?」
しかしその指先が父に触れる前に、姫咲の身体は母によって抱きかかえられる。
姫咲と甚太を抱えて走る早苗。
その速度は、女の細腕で子供二人を抱きかかえているとは思えない。
「あなた!あなた!……うぁ……隆二さぁん!!」
父の名前を呼びながら、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして走る母。
姫咲は今度は、母の頬に触れようと手を伸ばす。
「お母さん、泣かないで?」
場違いとも言える優しさを見せる姫咲。
その指が母の顔に届こうかというその瞬間——姫咲は母から投げ飛ばされた。
「きゃあ!」
「あう!」
弟と共に、地面に叩きつけられる姫咲。
痛みを堪えて、慌てて母に視線を向ける。
——そこには母はいなかった。
“人形”の黒い塊が、炎に包まれて佇んでいるだけ。
その塊も、音も立てずに崩れ落ちる。
姫咲は辺りを、キョロキョロと見渡す。
「お母さん?どこ?どこにいるの?」
いない。
いくら探せど、母の姿はどこにも無い。
——本当は分かってる——
立ち上がれずに、地面にへたり込む姫咲。
そんな姫咲の腕を引っ張るものがいた。
「お姉ちゃん!立って!逃げよう!」
虚ろな表情を、弟へと向ける姫咲。
「逃げるって……ダメだよ甚太。
お母さんを探さないと……」
弟は涙を流しながら泣き叫ぶ。
「お母さんはもういないよ!
お母さんは……お母さんは!」
——甚太は何を言っているのだろう?
意味が分からない。
……あれ?そう言えば、お父さんはどこに?
姫咲は立ち上がり、辺りを調べ始める。
「甚太も手伝って?
お父さんとお母さんを探さないと」
姫咲がそう言って、両親を探そうとしたその瞬間。
姫咲の手が弟に引っ張られる。
「逃げ……ないとっ……っ!
お母さん最後に言ったもん!二人で逃げなさいって!」
必死に自分を引っ張る弟。
その弟の顔も、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
——分かっている。
自分にも聞こえてた。
姫咲の頬を、涙が伝う。目を背けている場合じゃない。
背後から化け物が近づいてくるのが分かる。
このままだと、甚太も危ない。
姫咲は嗚咽を噛み殺し、喉から声を絞り出した。
「ご、めん……じんた……っ。逃げよう!」
姫咲は甚太の手を引いて走り出す。
何が起きているのか分からない。
理解が追いつかない。
でも。
それでも。
(甚太だけは……私が助けなくちゃ!)
走る——走る——甚太の手を引き、どこまでも走る。
背後に甚太の息遣いが聞こえる。
とても苦しそうに呼吸をしている。
甚太はもともと、身体が強くない。
本来なら、こんなに走らせるのはまずいのだ。
でも自分の力では、抱えて走ることは出来ない。
無力感が胸を刺し貫く。
情けなくて涙が溢れてくる。
守りたいのに、その力が自分にはない。
走る——走る——甚太の手を引き、走り続ける。
——ふと、姫咲の手に伝わる感覚が軽くなる。
衝撃を伴う、何かが千切れる感触と共に。
ひと一人を引っ張っている感じがしない。
姫咲は立ち止まり、恐る恐る振り返る。
……そこに甚太の姿はなかった。
姫咲の手には、甚太の手だけが——握りしめられていた。
「じ……んた?……じんたぁぁぁぁぁぁっ!」
その場で崩れ落ちる姫咲。
身体が言うことを聞いてくれない。
化け物がこちらへと近づいてくる。
ゆっくりと。嬲るような速度で。
その姿を見ても、既に姫咲は恐怖を感じなかった。
ただただ虚ろな表情で、化け物を見つめるだけ。
化け物が、姫咲の前で立ち止まる。
姫咲には、その化け物が笑ったように見えた。
化け物が腕を振りかぶる。
その腕が姫咲の命を刈り取ろうと、振り下ろされる。
姫咲は、その一撃を覚悟して目を閉じた。
(お父さん……お母さん……ごめんなさい。
甚太……お姉ちゃん何も出来なくて……ごめんね)
次の瞬間。
「封神拳!仙気流光!!」
空気を斬り裂く裂帛の叫びと共に、灰銀色の光が飛来して——化け物を吹き飛ばした。
『ズドォォォォォォォン!』
「■■■——!!」
吹き飛ぶ化け物を追うように、姫咲の背後から一人の男が凄まじい勢いで駆けていく。
「封神拳・臥竜崩拳!!」
その男の放った拳は、眩い輝きの灰銀光を纏って、化け物を跡形もなく打ち砕いた。
『ズガァァァァァァン!!!』
「■■■■っー!!!」
先程までが嘘のような静けさ。
残されたのは、姫咲と目の前の男のみ。
男はゆっくりと振り返ると、姫咲に向かって歩いてくる。
年齢は、四十代後半程だろうか。
鋭い目つきに、身に纏う着流しの上からでも分かる、一切の無駄がない肉体。
その男は、姫咲の前まで来て立ち止まる。
そして姫咲を怖がらせないように、ゆっくりと腰を下ろした。
先程までの鋭い目つきは鳴りを潜め、その瞳には悲しみと優しさが同居していた。
男は姫咲の目を見ると、姫咲の肩に手を置いて話し始める。
「……遅れてすまなかった」
そう言って周囲を見渡すと、再び姫咲に視線を戻して言葉を続ける。
「俺がもう少し早く来ていれば。
本当に……すまない」
男の言葉を聞いて、姫咲は場違いとも言える様な声色の言葉を落とす。
その瞳には、光が灯っていない。
「おじさん……誰ですか?」
——それが月城姫咲と、七代目闘神童子・古賀源十郎との……初めての出会いであった。
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