第204撃:解き放たれる影、休息の裏で
遅くなっていまい、申し訳ありません。
セレフィーネは、まるで幽鬼のように、ふらりと身を起こした。
その動きには力強さも焦りもなく、ただ静かで、しかし不吉な気配だけが漂っている。
跪いたままのガーラの部下たちを見下ろし、セレフィーネは低く、冷え切った声を落とした。
「……お前達……今すぐ魔族領へ戻れ」
その一言で、二人の背筋が強張る。
「アビス・ケイルから――ヴェイルを連れてこい」
一瞬、時間が止まったかのようだった。
ガーラの部下たちは、言葉の意味を理解した直後、弾かれたように目を見開いた。
「なっ!? 何を急に!」
「セレフィーネ様、正気ですか!?」
悲鳴に近い声が、部屋に響く。
だが、セレフィーネの表情は微塵も揺らがない。
「正気か、だと?」
淡々と、しかし底冷えする声音で、彼女は言い放った。
「……無論、正気だとも」
声を荒げているわけではない。
錯乱している様子もない。
だが二人は、彼女の瞳の奥に、黒く澱んだ怒り――冷酷で、抑制された憤怒を見た。
——アビス・ケイル。
それは、魔族領に存在する、最悪の隔離施設。
魔族という種族は、本来穏やかな気質を持つ者が多い。
しかし、広大な魔族領の中には、どうしても例外が存在する。
理性を持たず、力を振るい、秩序を破壊する者たち。
アビス・ケイルとは、そうした例外中の例外を収容するための監獄だった。
そして――ヴェイルもまた、そこに幽閉された危険人物の一人。
彼の能力は、「他者に化ける」こと。
それだけ聞けば、ありふれた擬態能力に思えるかもしれない。
事実、セレフィーネ自身も、ファレナ王女に化ける際に似た力を使っている。
だが、ヴェイルの能力は、その次元が違った。
外見や声色だけではない。
肉体の構造、戦闘技量、魔力量――
相手の能力と強さそのものを、かなりの精度で模倣する。
流石にユニークスキルまでは再現できないが、それでも脅威には十分すぎた。
——能力だけならば、ここまでにはならなかった。
だが、ヴェイルはその力を、欲望の赴くままに使った。
戦場では英雄を装い、政争では要人に成り代わり、
裏では暗殺と扇動を繰り返した。
そして、それは個人的な快楽のためにも使われた。
彼の行動は、数え切れない犠牲を生み、
ついにセレフィーネ自身が動く事態へと発展する。
激闘の末、勝利したのはセレフィーネだった。
ヴェイルは捕縛され、アビス・ケイルへと終身収監。
それ以来、一度たりとも外に出されることはなかった。
その名を、再び口にした――今、この場を除いては。
「は、反対です!」
女性の部下が、耐え切れずに声を上げる。
「何であんな奴を! 危険すぎます!」
「私も反対です!」
男も必死に続いた。
「何をしでかすかわからない!
どうか、考え直してください!」
だが、セレフィーネは二人を睨みつけ、低く言い放つ。
「黙れ……貴様たちと問答するつもりはない」
拳を握りしめ、そのまま言葉を続けた。
「……奴に、私の代わりを務めさせる」
一瞬の沈黙。
「ファレナ姫の姿が、城から消えるのは不味いからな」
「ほ、本当に……ご自身で出られるのですか?」
「王の洗脳は……どうなされるおつもりですか……?」
吐き捨てるように、セレフィーネは答えた。
「一度、洗脳をかけ直してから出る。
効果が弱まる前に戻れば、それでいい」
普段の冷静沈着な彼女からは、想像できない言葉だった。
明らかに、冷静さを欠いている。
それほどまでに――
ガーラという存在は、彼女の中で大きくなっていた。
「しかし……」
男が、最後の望みをかけて問いかける。
「奴が、素直に協力するでしょうか……?
外に出した途端、暴れる可能性も……」
セレフィーネは顎に手を当て、ほんの一瞬だけ考え込む。
そして――
恐ろしい結論を、あっさりと口にした。
「……協力するなら、解放すると伝えろ」
二人は、言葉を失った。
「し……正気ですか……?
他にも、変身能力を持つ者はいます!
僅かな時間なら、他でも……!」
女性の必死な訴えに、セレフィーネは冷酷な笑みを浮かべる。
「時間をかけるつもりはないが、それでも力があるものに任せたい。
何があるか分からんからな。
それに……ヴェイルには用が済めば、再びアビス・ケイルへ戻ってもらう」
淡々と、残酷な現実を突きつける。
「私が力ずくででも黙らせる。
その後に運べばいい」
二人は、それ以上何も言えなかった。
セレフィーネの瞳に宿る怒りを見てしまった今、
自分たちの言葉が届かないことを、理解してしまったのだ。
セレフィーネは冷笑を深め、心の中でガーラに語りかける。
(ガーラ……貴方の無念は、私が必ず晴らす……)
◆ ◇ ◆
場所は戻り、バッカスの宿。
宴の後、一真たちは数日に渡って宿で休息を取っていた。
理由は、明確だった。
一真の体調――。
この世界に来てから、封神拳を用いて過ごした日々。
遺構内での疲弊した状態での連戦。
そして、限界を超えた状態での九竜鳳天滅神。
いくら一真といえど、肉体も精神も、酷使しすぎていた。
行動を起こそうとする度に、オラクルとリュミナが止めに入る。
「いや……だが、早くバルト王の洗脳を解かなければならないだろう」
一真の言葉に、オラクルは静かに首を振る。
「確かに急がねばならない。
だが、相手は過激派幹部のセレフィーネだ。
万全の状態で挑むべきだ」
「十分に休んださ」
一真は苦笑しながら言う。
「もう問題はない。
大金貨もあるし、食料も揃えられる」
「だめだよ」
今度は、リュミナが口を開いた。
「……私のせいで、一真くんに無理させちゃったし……」
長い耳を垂らし、申し訳なさそうに俯く。
その姿に、一真はため息をつき、歩み寄る。
「……わかった。
だから、そんな顔するな」
頭に手を伸ばし、優しく撫でる。
「もう少し、休ませてもらうさ」
リュミナは嬉しそうに目を細めた。
結局、一真たちが動き出したのは、
それからさらに数日が経過してからだった。
知らぬ間に――
事態は、水面下で、確実に動き始めていた。
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