第99撃:紅き魔王、慟哭の空
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アリステリアが謁見の間を出ていったあと、少しして。
古くからグラウザーンに仕える近衛の一人が、おずおずと口を開いた。
「……よろしかったのですか、グラウザーン様……」
グラウザーンは玉座に深く腰を下ろしたまま、その近衛の方を向くこともせずに静かに聞き返す。
「……何がだ?」
問い返された近衛は、一瞬言葉に詰まる。だが、覚悟を決めて続けた。
「此度の勇者召喚……今までにない規模の人数が一度に召喚されたと聞きます。三十人以上だとか。……今までとは違い、今回のアリステリア様たちの被害は、かなりのものになってしまわれるのではと……」
グラウザーンは淡々とした声で、まるで何でもないことのように言った。
「それで?」
その冷淡な一言に、近衛は再び口を閉ざす。
「それ……は……」と、かすれた声で言いかけたが、続く言葉は喉で凍りついた。
グラウザーンはわずかに息を吐くと、冷ややかに言い放った。
「俺はアリステリアに猶予をやった。一年もの猶予を、だ。だが奴は、首を縦に振ることはなかった」
そう言うと、ようやくグラウザーンは近衛の方へと視線を向ける。
その瞳には、どこか禍々しい光が宿っていた。
「優しく言って駄目ならば、少々痛い目を見てもらうしかあるまい?……アリステリアには、心折れてもらおうではないか。自ら魔王の力を譲り渡す気になるまでな」
冷たい炎がその双眸の奥で燃えていた。
近衛はその視線を正面から受け止めることができず、ただ沈黙するしかなかった。
(……グラウザーン様は変わってしまわれた……。たしかに昔から自信過剰なところはあった方だが、以前はこれほどまでに冷酷な方ではなかったのに……)
アリステリアがまだ幼かった頃、グラウザーンは本当にアリステリアを可愛がっていた。まるで自らの子供のように。
父であるマグナとの関係も、弟であるレイゼルとの関係も良好だった。
当時、マグナはグラウザーンを後継者に選ぶつもりでおり、レイゼルもそれに賛成していた。
なのに――いつ頃からか、グラウザーンは徐々に変わっていった。
すでに“歴代最強”とまで称えられていたにもかかわらず、さらなる力を求め、魔王の力を渇望し、遂には邪神の復活まで望むようになってしまったのだ。
マグナもレイゼルも、何度もグラウザーンを止めようとした。
「正気に戻れ」と。
しかし、グラウザーンは聞く耳を持たなかった。
いつしか彼は、魔族こそが最も優れた種族だと信じるようになり、
最強の魔族である自分こそが、この世界を統べるに相応しいのだと思い込むようになった。
マグナは何度も、邪神の危険性を説いた。
だが結局、彼の声も、誰の言葉も、グラウザーンには届かなかった。
マグナとレイゼルは酷く落ち込み、そしてついに――グラウザーンを危険と判断するしかなくなったのだ。
マグナは後継者の座からグラウザーンを外し、弟レイゼルを次の魔王に選んだ。
それが、魔王派とグラウザーン派の決定的な分裂――すなわち穏健派と過激派の誕生の瞬間であった。
とはいえ、「過激派」とは言っても、暴れることを目的とした者ばかりではない。
むしろ半数以上は、グラウザーンが変わってしまう前から、彼を慕い、敬愛してきた者たちだった。
現在ファレナ・エルサリオンに化け、エルサリオン王国に潜入しているセレフィーネも、その一人である。
――たとえ変わってしまったとしても、彼らはなお、グラウザーンを信じていた。
近衛は胸の奥から湧き上がる悲しみを抑えきれなかった。
(このまま進めば……我々はどうなってしまうのだ……? グラウザーン様……どうか、かつての貴方様にお戻りください……)
その思いは、言葉になることはなく、ただ静かに胸の奥底へと沈んでいった。
◆ ◇ ◆
アリステリアは魔法を纏い、空を翔けていた。
一刻も早く魔王城へ帰るために。
ヴァルドランを始めとする強き者たちが留守を守ってくれているとはいえ、胸騒ぎは抑えきれなかった。
美しく長い赤髪を風に靡かせながら、アリステリアは険しい表情で思考する。
(……なんなの、この胸騒ぎ……。何か……今までと違う……っ)
父の代からこれまでにも、何度となくエルサリオンの召喚勇者が攻め込んできた。
被害が出たこともある。しかし、それでも乗り越えてこられた。
アリステリア自身が前線に立ち、幾度も勇者を退けてきたのだ。
セレフィーネが勇者たちに施した洗脳を解こうと試みたこともあったが、結局それは叶わず、勇者たちを倒すしかなかった事が、アリステリアの胸には今も棘のように残ってはいたが。
――けれど、今回は違う。
上手く言葉にはできないが、彼女は確信していた。
これまでとは、何かが決定的に違う。
(伯父上……いいえ、おじ様……。昔はあんなに優しかったのに……なぜ……)
溢れそうになる涙を必死に堪え、アリステリアは速度を上げる。
しばらくして、遠くに魔王城の影が見えた。
そのとき、争いの光も音も感じられなかった。
――良かった、大事にはならなかった。
一瞬、安堵が胸を満たす。
だが、近づくにつれ、その安堵が錯覚であったことを知る。
アリステリアは早鐘を打つ胸を押さえながら、魔王城前の大地へと降り立った。
そして目にした光景に、息を呑む。
――“凄惨”という言葉すら、足りなかった。
魔王軍の兵と勇者であろう少年少女たちの遺体が、あちらこちらに横たわっている。
血の匂い、焼け焦げた肉の匂い、糞尿の臭気が入り混じり、吐き気を催すほどだった。
アリステリアは膝が折れそうになるのを必死に堪え、よろめきながら歩き出した。
そして、すぐに見知った顔を見つける。
側近のヴァルドラン――。
彼は自らのマントを外し、二人の遺体にそっと掛けようとしていた。
ヴァルドランがアリステリアに気づき、悲痛な声を漏らす。
「……アリステリア様……」
アリステリアはヴァルドランの視線の先、マントに覆われようとしている二人の遺体へと目を向ける。
それは、一組の兄妹の魔族だった。
とても仲睦まじく、常に笑顔を絶やさない兄妹。
「いつか他の種族と手を取り合える世界が来てほしい」と口にしていた二人だった。
妹は急所を貫かれ、兄は炎か雷の魔法によって全身を焼かれ、黒く焦げていた。
その兄の手が、妹の手に重ねられたまま、動かない。
その光景を見た瞬間――アリステリアは、崩れ落ちた。
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