第10撃: ―村の門を越えて、初めての交渉―
小屋を出てから、そう遠くはない距離を歩いた先に――その村は、姿を見せた。
簡素な木柵で囲われた境界線。門と呼ぶにはあまりに質素な入り口。それでも、明確な「人の営み」が、そこにはあった。
空はまだ高く、太陽は正午の少し前。
一真は空を仰ぎ、心中で呟く。
(……感覚的には、時間の流れも一日の長さも、地球とほぼ変わらんようだな)
隣では、晶が小さく息を呑み、肩を強張らせている。表情に浮かぶ不安は、隠しようがなかった。
無理もない。エルサリオンで受けた仕打ち――それは、晶にとって深く刻まれた恐怖だった。
一真は微笑み、晶の頭を軽く撫でる。
「大丈夫だ、晶。無条件で信じるのは危険だが、世の中全部が悪人ってわけじゃねぇ。きっと、この世界にも“良いやつ”はいるさ」
晶は頬を少し赤くしながら、こくりと頷いた。
やがて二人は、村の入口に到達する。
門の脇には、槍を携えた兵士が一人だけ立っていた。
「……ん? あんたら、見かけない顔だな」
一真は警戒の色を観察する。だが、目つきや態度に敵意はない。
(ふむ。昨日小屋で手に入れた服のおかげで、異様さは緩和されたか)
ポーカーフェイスを崩さぬまま、一真は語り始める。もちろん、事実を脚色した即興の作り話だ。
「俺たちは、遠く離れた小さな村の出身でな。……魔王軍に襲われて、ここまで逃げてきたんだ」
兵士の表情が僅かに曇る。
「ああ……そうか。そいつは災難だったな。ま、命があるだけでも幸運ってもんだ。……村に入ってもいいが、問題は起こすなよ?」
「心得てる。ありがとう」
軽く会釈をして通り抜ける。
(……すんなりいったな。警戒が薄いとは言わんが、あの程度の小村ならむしろ理想だ。最初が大都市でなくて正解だったな)
二人は村の通りを歩きながら、周囲を観察する。
木造の建物が並び、農作物の香りが風に乗って運ばれてくる。家々の軒先では人々が行き交い、どこかのんびりとした空気が流れている。
道の端には行商人らしき姿もちらほら。
「……しめた。外からの人の出入りがあるってことは、それだけ情報も動いてるってことだ」
そう呟きながら、視線を巡らせると、一つの建物に目が止まった。
『BAR』と、木製の看板が掲げられている。
(……おかしいな。やっぱりおかしい)
目に映るその文字が、“元の世界のアルファベット”で書かれている。その違和感に、一真は思考を巡らせた。
(なぜ俺は、この世界の文字や言語を理解できている? 異世界語が日本語に見える……いや、“翻訳されている”?)
横で晶も首を傾げながら、ある店の看板を指差した。
「一真さん、あれ……“アイテム”って、カタカナで書いてませんか?」
「……ああ、やっぱりお前にもそう見えてるのか」
二人とも、明らかに“日本語”で認識している。だがそれが「実際に日本語が存在している」のか、「認識がそうなっている」のかは、まだ分からない。
(悩んでても仕方ねぇ。今は目の前の問題からだ)
「晶、あのアイテムショップに入ってみようか。魔石が換金できれば、かなり助かる」
「はい、分かりました」
二人は扉を開き、店内に足を踏み入れた。
備え付けのベルが、カラン、と軽やかな音を立てる。
カウンターの奥には、白髪の老人。小柄ながら目に鋭さが宿る男がこちらを見た。
「……いらっしゃい。見ない顔だね」
一真は村の兵に語った設定を再利用し、同じく“魔王軍から逃げてきた旅人”と説明する。
だが、老人は兵士よりは慎重な様子で、一瞬だけ険しい目つきを見せた。
そこで一真は、懐から一つの魔石を取り出す。
森の外――くすんだスライムの魔石だ。
「店主、これなんだけどな。買い取ってもらえるか?」
老人はそれを受け取り、ルーペのような器具でじっくりと観察した。
「……これは、普通のスライムの魔石だな。値はほとんど付かないよ。せいぜい燃料として申し訳程度、だね」
(――ビンゴ)
一真は心中でガッツポーズを取る。
(魔石という名称、売買が可能、燃料になる用途あり。予想がすべて当たった。これだけでも大きな情報収穫だ)
表情には出さず、一真は笑ってみせる。
「なるほどね。じゃあ本命はこっちなんだが……」
そう言って、森で得た魔石――スライムとロックスネーク以外のモンスターから得た、鮮やかな色の魔石を4つ、カウンターに並べた。
あえて一番大きなロックスネークと、色鮮やかなスライムの魔石は出さない。今は“情報収集”が目的だ。
老人の目が見開かれる。
「……なっ!? こ、こんなに質の良い魔石を、どこで手に入れたんだい……!」
その反応に、一真は静かに相手の出方を待つ。
そして、老人がぽつりと口にした。
「……いや、考えるまでもないな。こんな魔石が取れるのは、このあたりでは――“帰らずの森”しかない」
(帰らずの森……か。名まで分かった)
一真は心に刻む。
老人は、じっと一真を見据えた。
「……あんたら、何者なんだ? 本当に魔王軍から逃げてきた旅人か? 帰らずの森のモンスターを、たった二人で、4体も狩ったっていうのかい?」
その問いに――一真は、腹を括った。
(ここからが本番だ。この世界の“常識”を探るための、最初の交渉の場だ)
表情を引き締め、一真はどう出たものかと考え始めた――。




