第1話「天空織音落とし」(空から女子が落ちてくるなんてなんかアレみたいですね。)
-二〇二〇年 四月十三日 九州地方北部-
ある土砂降りの朝、目覚まし時計なしで目が覚めた。
俺の朝は味噌汁から始まる。今日の具は椎茸と大根だな。
卵が残り少ない、明日買いに行こう。
お湯を沸かし、急須に茶葉を入れる。
今日はほうじ茶にしよう。
それにしてもすごい雨だ。遠くで雷の音も聞こえる。
今日の天体観測は中止かな。
オリオン座にある星雲とベテルギウスを見たくて
天体観測友達(天友)から借りた天体望遠鏡。
組み立てて家の仏壇の前に置いてみた。
うむ。好い佇まいだ。カッコイイ。
思わず顔がほころびオタクの匂いを醸し出す俺の名前は
寳田尚彦という。
大阪で育ち、役者になりたくて上京した。
しかし、いろんな壁にブチ当たって心が折れた。
いや、心なんて何度でも折れるんやけどね。
その時のタイミングで、祖父が亡くなって
親の実家が空き家になった。
小さな頃の思い出もあるし、
このまま廃墟になるのは嫌だった。
だから祖父の家を継ぐ形で引っ越してきたわけだ。
なんだかんだで生活は成り立っているし
こっちにも実力のある劇団があった。
今はそこに所属させてもらっている。
三十歳を目前にして夢に向かってラストスパート!
の反面、なかなか報われない状況に
正直ちょっと諦めている部分もある。
ま、夢を追えるという事は
それだけで幸せなことなんだと思うこともある、かな。
朝食を済ませ、縁側にあるソファに座り、
スマホでニュースをチェックする。
昭和で言う、『新聞を読む』という動作にあたる。
「へぇ、また税金上がんのかぁ」
と、絶望の一言を漏らしたその時、
地響きが起こるほどの轟音と共に目を焼くほどの光が一瞬、辺りを照らした。
「ブホッ!うわぁ、コレは落ちた、よな?」
心臓が飛び出んばかりにバクバクしている。
興味と恐れを同時に抱くことを人は『怖いもの見たさ』と言うのだろう。
恐る恐る外を覗き込むと、庭にあるマキの木が無惨にも焦げ付き、煙を上げて裂けていた。
「えええウチに落ちたのか。怖~。お?」
なにか見覚えのない色の掛布団のようなものが庭に落ちている。
「ご近所から飛んできたんかな?回収してやらんとな」
カッパを着て外へ急ぐ。
雨水の浸み込んだ大きく重い布を車庫へ引きずり込む。
「え?着物?いや、なんかちょっとちゃうな。やたら重い」
フルパワーで持ち上げる。何度かの挑戦の後、中にあった何かが落ちた。
持ち上がった着物らしき布を少し横にズラすと、長い髪の毛が見えた。
「なんやこれ?ニンゲン?うわぁぁーなんかおるぅ!!」
そこに現れたのは身体こそ小さめだが、明らかに大人の女性だった。
腰を抜かして座り込んだまま慌ててスマホを取り出し、電話をかける。
「こ、ここここぉ!!こここ、ここんにちはぁぁぁ!
き、今日は雨ですねぇ!!
観測でけへんのは残念ですねぇぇぇ!
ほんでぇなんかぁぁ!!
凄い着物を着た女の人がぁ!
突然目の前で爆発してぇぇ!
腰が抜けてしもて
立ち上がれんのです助けてくださいぃ!」
先ほどまでの優雅なひとときから一転、パニックに陥る尚彦。
「ああ?落ち着け尚彦!女の人が目の前で爆発?何言ってんだ鶏か馬鹿野郎が!」
電話の相手は近所に住む天友、野田仁六という人物。
「とにかく嫁さん連れて行くから待っとけ!あと落ち着け馬鹿野郎!」
横で聞いていた仁六の妻、一美が半笑いで問いかける。
「あんた、爆発って」
「どうせ語感のインパクトで言ってるだけだろ。
あいつの悪い癖だな。あと腰が抜けてるらしい。
多分、あの慌てようじゃ女の人がいるってのはまあ、そうなんだろ」
上着を掴み、羽織る仁六。
「さ、友達が助けを求めてるんだ。行ってやろうじゃねえか」
腰が抜けて立ち上がれない尚彦は、車庫に干していたタオルに手を伸ばす。
「すまん、車用のタオルやけど、無いよりマシやからな」
数枚のタオルを投げ被せると、少し冷静になってきた。
この人は誰なのか。何処から来たのか。
この着物は何なのか。
しばらく考えていると、仁六と一美が到着した。
「おい尚彦ぉ、来てやった、、おいおいこれはすげえな。落ちたのか」
木に落ちた落雷の痕をみて呟く仁六
「そんな事よりあんた、この子運ぶの手伝いなさい。
何枚か着替え持ってきたから、ほら尚彦君、玄関開けて」
「おお、そうだな、風邪引いちまう」
「は、はい!お願いします!」
立ち上がれたのは立ち上がれたが、まだ腰が痛い。
腰を抜かすのって初めてだが、こんなことになるのか。
「で、この子は誰なのさ」
雨で濡れた身体を拭いて
持ってきたジャージに着替えさせたあと、
ドライヤーで髪を乾かしながら一美が問う。
「そうだな。あの着物みたいなのでここまでどうやって来たんだ?
あんな高そうなもん着てよ。一美、ちょっとその子、頼めるか。
尚彦、さっきの着物の所に来い」
親指で車庫の方を指す仁六。
「あ、はい」
まだ腰は痛むが、
なんだかそうも言っていられない空気があった。
「不思議なもんだ。まるで落雷と共に空から落ちてきたみたいだな」
想像でしかない事を念頭に置き、仁六が語る。
「とにかく、これからある程度は少しずつ明らかにはなるだろう。
まずはあの子の意識が戻るまで、出来ることをやろうか」
物干し竿に着物の袖を通し、屋根に近いところに引っ掛ける。
上等な着物だ。重ね色とでもいうのだろうか、
藤色と紫の合わせ方が美しく見えた。
それにこの絹っぽい質感は高級感がある。
着物と言えば着物だが、なんかこう、少しだけ違う気がする。
「百人一首かな?」
首を傾げ呟く尚彦に、仁六が頷く。
「ほう、お前もそう思ったか。でもそんなの着るか?普通によお」
「ということは、普通じゃない事が起きているという事ですかね」
そうだ。
なんだかよく解らないが、
なんだかよく解らない事に巻き込まれたという事だけは
確実なのだ。
「あんた!目を覚ましたよ!来て!」
気を失っていた女性が目を覚ました。
急いで戻る二人に困った表情の一美。
「ちょっと何を言ってるのか解らないのよ」
乾き始めた綺麗で長い髪を少し持ち上げ
上半身を起こすと、儚くも美しい顔立ちであることが判る。
不安気な表情をした女性は辺りを見渡し、涙を浮かべ言葉を発する。
「ここやいづこなる?」
尚彦は横に首を倒して思った。
百人一首かな?と。