手を貸すことと、伝えることとの違い
ラストリーフ支部の朝は、いつも通り静かだった。
書類棚の前で、若手のルイスが帳票の束と格闘していた。
発注書の控えが一枚、どこかへ紛れてしまったらしい。
「……ない。昨日確認したはずなのに……」
ルイスの額には、じわりと汗が滲んでいる。
周囲に声をかけようか迷っている様子だったが、言い出せないまま、棚をもう一度見直す。
誰かが気づいているわけでもない。皆、それぞれの持ち場に集中していた。
ただ一人、離れた席からその様子を見ていた者がいた。
ゴルザンだった。
声もかけず、表情も変えず、
彼はそっと立ち上がると、隣の資料棚へと足を運んだ。
数日前、帳票類の整理中に“違和感”を覚えていた箇所がある。
その場にしゃがみこみ、背表紙の順番をひとつずつ確認する。
——あった。
目的の書類を見つけたゴルザンは、何事もなかったかのようにそれを棚に戻し、整えたまま、ルイスの背後の机にそっと置いて去った。
その場で何か言うことはなかった。
その後、ルイスが見つけた書類を見て顔を上げた。
「……え、これ……? 誰が……?」
彼の目は周囲を泳ぐが、誰からも返事はない。
帳簿の前にいたハナミが、ちらりとその様子を見てから、再び視線を戻した。
「……助かった、けど……」
誰かが手を貸してくれたのはわかる。
だが、言葉がなければ、それは単なる“現象”だ。
廊下を歩くゴルザンの背を見ながら、職員のひとりがぽつりと呟いた。
「……あの人、何を考えてるんだか……」
「また勝手なことしたって思われるんじゃないか」
声は小さいが、聞こえていないわけではなかった。
だが、ゴルザンは振り返らず、そのまま廊下の先へと消えていく。
***
昼休み、食堂でも似たような空気が漂っていた。
あるテーブルでリリアとルイスが向かい合っている。
「……やっぱりゴルザンさんじゃないかと思うんだよ」
「え、なんで?」
「気づいたら直ってたって、最近何回かあって……。他に思い当たる人、いないし」
「でも本人は何も言わないでしょ?」
「うん、そこが……ちょっと怖いというか、距離あるよね」
支部の空気が少しずつ動き始めているのは確かだった。
だが、その変化が“安心”へとつながるには、まだ距離があった。
***
その日の夕刻。
誰もいない資料室の片隅で、ゴルザンは一人、整頓された棚を見つめていた。
自分は、誰かの役に立ったのだろうか。
それとも、ただ余計なことをしただけなのか。
「……手を貸すってのは、違うのか……?」
呟いた言葉は、誰にも届かず、静かに空気に溶けていった。