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3/12

卵焼きが甘かった

 翌日の昼、ゴルザンはまた《まるまる亭》の前に立っていた。


 足が勝手に向かった、などというつもりはない。

 ただ、支部に戻っても、誰かと顔を合わせるわけではない。

 ならば、どこで飯を食おうが同じだ。


 そう、自分に言い聞かせながら、のれんをくぐった。


「やっぱり来たね。顔見たときから、今日も来そうな気がしてたよ」


 昨日と同じ場所、同じ女将、同じ声。


 ゴルザンは黙ってカウンターの端に腰を下ろした。


「はい、おまかせ定食。今日の小鉢は、切り干し大根とひじき。卵焼きは甘めにしといたから」


 勝手に出されたそれを見て、少しだけ眉をひそめる。だが文句は言わず、箸を取った。


 ひと口、卵焼きを口に運ぶ。


「……甘いな」


「甘いよ。嫌い?」


「……いや。……こんな味だったか、と思っただけだ」


 ふと、頭の片隅に浮かんだ記憶がある。


(──たまには“昔の味”ってやつを思い出すのも悪くねぇな)


 晴れた帰り道。手にした果物の甘さ。

 ただのやりとりが、今も胸のどこかに残っていた。


 あの時のように、何でもない会話と、何でもない飯。

 それが今、この一皿に重なっていた。


「働いてる人の顔、見てから判断しな。味の理由は、そこに出るんだから」


 意味がわかるような、わからないような言葉だった。


 ゴルザンは黙々と箸を進めた。


 卵焼き、ひじき、味噌汁。どれも家庭的で、凝った味ではない。

 だが、それが逆に落ち着いた。


 味覚がどうこうではない。

 ただ、久しく口にしていなかった“ちゃんとした飯”だった。


「この辺じゃ、挨拶しない奴より、黙って卵焼き残す方が嫌われるよ」


「……残さない」


「うん、それでいい」


 会話はそれで終わった。

 だが、奇妙な充足感が残った。


 支部に戻ったその日の夕方。

 ゴルザンは鏡の前で、伸びかけの髭に手をやった。


「……少しだけ、整えるか」


 それは、誰に言うでもなく、自分自身へのつぶやきだった。

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