七月三十日 「先生に、なるのですか」
カラスがシルエットになって、ウミネコと共に飛んでいる。
僕は漁港に響き渡る午後五時のチャイムを聞きながら、防波堤を歩いていた。
灯台が、赤と緑のランプを灯し始めた。夏は日暮れが遅いが、海沿いは一気に色が変わってゆくのが何とも言えない。
ここは、穏やかな漁港だ。波の音も、ほとんどしない。大きな幹線道路から離れているためか、車やバイクの音も、ほぼしない。
とぷりとぷりと、コンクリートの岸壁に寄せる小波が、心地よく音を奏でているだけ。僕はこの場所が、心から気に入っていた。
「・・・・・・くすくすっ。こんにちは、青太郎さん」
この日は、僕が声をかける前に、彼女の方から声をかけてきた。僕が歩み寄ってくるのがわかったのだろうか。ゆっくり振り向き、あの笑顔で迎えてくれたのだ。
「やあ。海佳さん。・・・・・・昨日もここに来たんだけど、時間が合わず、会えませんでした」
「あら、そうだったんですか。・・・・・・何時頃ですか?」
「えーと、だいたい正午過ぎくらいですかね」
「くすくすっ。・・・・・・その時間ではわたし、この場にはいませんね」
彼女はにこっと笑って僕にそう答えてから、また静かに海を見つめている。
不思議な人だ。
今は高校も夏休みではないのだろうか。
なぜ制服なのだろう。
紺色の襟と浅葱色のスカーフが特徴的なその制服は、水奈川海佳という一人の人物を構成する大事な要素になっているから、まぁいいのだが。
でも、なぜ私服ではないのだろう。
彼女がなぜこの時間にしかいないのかも、僕は気になっていた。しかし、それを問うことは今の僕にはどうでもよかった。彼女と海を見て他愛ない話をする時間があれば、それでよかったから。
この日は、珍しく彼女の方から僕に質問が来た。
何の勉強をしているのか。大学を卒業したらどうするのか。沖縄と茨城のどちらが好きか。那珂常陸市の雰囲気は好きか。宝探しは得意かどうか、等々。それは本当に、雑談的なものばかりだ。
その中で、僕が今、日本史を専攻して教育学を中心に学んでいることを話した時、一瞬だけ彼女の表情がこれまでとは別のものになったのを覚えている。教員免許を取り、高校の教師を目指していることを話したが、彼女はそれに対して「ふぅん」と、そっけない返事をした。
「ごめんなさい。あまり、面白くない話でしたか?」
「いえ。そういうわけでは。・・・・・・青太郎さんは、教師になってからは、どうしたいんですか?」
「どう、と言いますと?」
「その道を目指すからには、何か強い信念や、やりたいことが、あるのではないかと」
珍しく、彼女の声が堅めだ。僕は彼女に、教師になってからやりたいことを話した。
中学から高校時代に打ち込んでいた野球を通じて、生徒たちの精神性を伸ばしたいことや、歴史の大切さと面白さなどを教師になって伝えていきたいことを、目を輝かせて話した。
その間、彼女は海を見ていなかった。
背中の方に両手を組み、僕の目だけをじっと見ていた。
ただ、それは海を見ている時の目とは、何か違っていた気がする。
僕はふと、昨日ここで江里口さんから聞いた話を思い出した。彼女の両親は教師で、厳しく躾けられたことを。もしかしたら、何かそういう関係で僕にこんな質問をしたのかもしれない。
僕がいろいろと答え終えた後、彼女は海に向かってぽそっと言った。
「・・・・・・教師か。・・・・・・先生になるのですか、青太郎さん・・・・・・」
その横顔は、黄金色の光に照らされ、よく見えなかった。彼女がどういった表情で、その言葉を口にしたのか、僕にはわからなかった。