七月二十九日 「昼間に行ってみた」
大学は夏休み中。高校生などもきっとそうだろう。
今日は教育学部の学生が大講義室に集い、休み中ではあるが教育実習の結果報告会が行われた。午前中だけで終わるのがまだ救いだ。
僕は小学校教諭の免許と、中学と高校の社会科教諭の免許を取る予定。教育実習はこの大学の附属小学校でもできたが、やはり生まれ育った地に戻ってやりたかった。そのため、茨城から沖縄に戻り、六月末から七月半ばまで三週間の実習をしてきた。
僕の卒業した高校は、沖縄県立の金城西高校という男子校。来年から、数十メートルしか離れていない同じ県立の花城うるま女子高校と併合され、うるま金城高校という新しい学校になるようだ。実習に行った時、恩師からそう告げられた。生徒たちは共学化されることを知ってはいたが、意外と「男子校のままのほうがよいのに」という声が多かった。
実習の最終日では、関わった生徒たちから色紙や泡盛の一升瓶をもらった。
高校生なのにお酒の一升瓶。
しかも男子校なのに、華やかな寄せ書き。
意外なサプライズだったのでこれには驚いた。
生徒たちが言っていたが、僕が担当した授業の雑談で、茨城と沖縄の海の違いを話したことがあり、それがすごく印象に残ったそうだ。
同じ太平洋だが、大きく違う海。
同じ海だが、何か違う。
色も匂いも、風の音も波の音も、茨城と沖縄では違うのだ。僕はどちらの海も好きだが。
今週に入ってから、海に関することになると、彼女のことが頭をよぎるようになってきていた。
午後、僕はスクーターをパスパスと鳴らしながら、あの防波堤へ行ってみた。
灯台へ続く防波堤の途中に、人影がある。僕の目は、夜明け直後の朝顔のように大きく開いた。
「・・・・・・。・・・・・・あれっ?」
だが、目に飛び込んできたのは彼女ではなかった。
濡れたタオルを首に巻き、ゴム製の手袋と長靴を身に付けた年老いた男性。こんがりと褐色に焼けた肌と無精髭。
無骨で岩のような顔をしたその男性は、佇む僕に気がつくと、そこで広げた漁網を置いて、どかどかと近づいてきた。
「なんだや、あんちゃん? ここに用けぇ?」
岩のようだったのは、顔だけではない。声も、硬い岩のようだった。
「あ、いや、ちょっと人を探しに・・・・・・」
「あぁ? 人? そら、おらのことだっぺか?」
「い、いや、違います。ちょうど、その先のとこでよく見かける女の人で・・・・・・」
「おんな? ・・・・・・そこんとこで? あぁ・・・・・・。・・・・・・あんちゃん、ここによく来んのけ?」
「あ、はい。・・・・・・あ・・・・・・でもまぁ、ここを知ったのは、つい最近なんですけどね・・・・・・」
いかにも漁師といった風体の男性は、顔や声こそおっかないものの、話してみると優しい人だった。いつもこの近くの漁場で魚を捕っているそうだ。僕の地元だったら間違いなく海人と呼ばれるタイプの人だろう。
とにかく、頭の先から足の先まで、海の男といった感じの人だ。
その漁師は江里口さんといった。港にいくつも戻ってくる漁船からは「いさおさーん」と叫ぶ声が聞こえ、その人たちが江里口さんに手を振っている。どうやら下の名前は勲男というらしい。
江里口さんは、中学を出てすぐ漁師になったらしい。それからもう六十年近くこの海で魚を捕っているという大ベテラン。「この辺では知らぬ者なしの漁師なんだ」と、本人は笑って話していた。
「そういやぁ、あんちゃん。・・・・・・いつも、ここに来んのは夕方近くけ?」
「そうです。今日はたまたま、昼間に来たんですが・・・・・・」
「じゃあ、あんちゃんが会いたいっつぅ人物は、いねぇな。昼間はまず、見かけることねぇやな」
「え? ・・・・・・そ、そうなんですか・・・・・・」
江里口さんに返した僕の言葉は、わかりやすいくらいに気の抜けた声だったことだろう。
「あんちゃんが会いたい人ってのはよ、おらも、昔からよぉく知ってる子なんだっぺや」
「え、江里口さんも知ってるんですか? あ、そうか。この漁港に長年いれば、そうだよなぁ」
「セーラー服の女の子だっぺや? あの子は、夏になるとよくいるんだ。変わってっぺ?」
くしゃっと折れた、ヨレヨレの煙草に火を付け、江里口さんは海を見つめて、そう言った。
確かに、彼女は変わっている。だが不思議と、嫌じゃない。むしろ、その不思議さが人の心を妙にくすぐり、惹き付ける気さえする。
数秒後、ぷかりと白い輪が、漁港の空に浮かんだ。
「ふぅー。・・・・・・あの子の親はよ、中学と高校の先生やってんだぁ。厳しい先生らなんだわ」
彼女のことが、また少し、わかった。
江里口さんが言うには、彼女はこの辺では珍しいほどお淑やかで美しく、誰にでも愛想良い子だそうだ。
両親は教師で、厳しく躾けられて健康的に育ち、まさにこの界隈の「かぐや姫」のようになった、と。
家は、漁港から見える丘の上らしい。
江里口さんは煙草を深く吸い、溜め息のように煙をふわりと吐き出す。そして、何度かそうした後、やや厳しい目で僕に向かってこう言った。
「だが、間違っても、あの子に深入りしちゃなんねぇぞ。・・・・・・だめだかんな。わかってくんろ?」
いったい、どういうことだろうか。
そうか、彼女は高校一年生。僕は大学四年生。
いろいろと、誤解も受けなくもない年齢差だ。そういうことか。
夕方近くにまた来たかったが、生憎、今日はバイトの時間と重なっていた。残念。
また明日、彼女に会えたら良いのだがと思い、僕は江里口さんに頭を下げ、家に帰った。