第六話
「いいのかなー、そんなにゆっくり寝ててー」
またピンク色の空間。そしてプカプカ浮かんでいるのは、あの女悪魔。
「寝てて……って、起きてるじゃないか」
「ここ、君の夢の中だよー?」
なんと。
じゃあ、目の前にいるこの女も、俺の夢の中のイメージでしかない……?
「あ、今ここで、こうやって夢の中に介入してるのは、本物の私だからねー?」
ややこしいな。
これは、夢なのか、夢じゃないのか? 本物の邪神を名乗るこいつを、俺が夢に見ているだけってオチじゃないのか?
「だってほら、君、城壁の上で兵士達を突き飛ばしたあと、地面に飛び降りてさ、一気に山の中に入っちゃったじゃん? で、周りに人がいないとなったら休みだして、そのままトローン、なんだもん。惜しいなー、もうちょっと殺しておけば」
「別に殺しを楽しむつもりはない。必要なことを必要な分、やるだけだ」
「そうだろうけどさ、数、稼ぐチャンスだったのに。そのためのボーナスタイムだったんだよー、あれー」
「腕時計でもあれば、ギリギリまで粘ったかもな。でも、万一を考えれば、逃げるのが優先だ」
「ふーん、合理的には考えるんだねー」
当然だ。
俺のポリシーにしてモットーだからな。
「でもなー、惜しかったなー」
「そんなに人が死ぬのを見たいのか」
「君のパワーアップを見たいだけだよー。もったいない、あと一人くらいなら、殺れたんじゃない?」
「今、何人?」
「ちょうど九人、あと一人でガチャだったのにさー」
そういうことか。
ん?
ということは……。
「とりあえず、ダメージカットと、一回だけ不死身、治療のお札は、キル数を満たしたから、渡しておくねー? お札はポケットに入れておくけど、他の二つは、形がないから、ほぼ自動で使えるよ」
「ダメージカットと不死身って、どう違うんだろう?」
「んと、不死身は、死んじゃうくらいのダメージを受けた時に、自動で回復するの。ダメージカットは、意識して防ごうとした時にダメージが減るんだよー? だから、使い勝手としては、不死身の方が便利かなー? ただ、手足をなくした程度じゃ発動しないから、まぁ、よしあしだねー」
「どっちもできれば、使いたくないな」
「んー、でも、そんなこと言ってる場合じゃないかもー」
「なに?」
「ほら」
ピンクの膜が薄れ、外界の様子が見える。
数人の男女が、山の中の獣道を歩いている。
「こいつら」
「知ってるでしょ? 君と同じ、召喚勇者の四人と、副団長のシルヴィアさん、あとその部下の皆さんだねー」
「マジかよ……」
「さすがにこれは、戦って勝つのは、今は無理かなー」
ヤバいな。
最初のライアから数えて、もう九人も殺したわけだ。日本でなら、立派に新聞の一面を飾れるな。大量殺人犯として。
当然、こいつらは俺を逮捕しにきたわけだ。
「寝てるとこ見つかったら、もう終わりだねー」
「そうだなぁ」
「何とかしたほうがいいんじゃない?」
「何とかって……今、俺は寝てるんだろう?」
「そうだねー」
「どうしようもないじゃないか」
「キャハハハ」
キャハハじゃない。
くそっ、どうにか起きないと……。
「んー」
唇に指をあてて、女悪魔が何かを考えている。
「ま、隠れてやり過ごせれば、それが一番かなぁ」
「見つからなきゃ、見つかるまで山狩りするんじゃないのか?」
「そうなるだろうねー」
この。
人事だと思いやがって。
「そういえば、一つ説明し忘れたことがあるんだけどー」
「なに?」
「キル数なんだけどさぁ、あれ、一人殺せば、1ポイントじゃん? でもね、効率的にお手軽に! もっと簡単に稼ぐ方法があるんだよ?」
「それはどんな」
「他人に命令してやらせるの。誰かと協力して殺せば、二人殺害で1ポイント稼げるよ!」
「どっちにしても殺すんじゃないか」
真面目に聞いて損した。
第一、今、俺の命令をきくやつが、どこにいるんだ。
「キャハッ、まぁまぁ、一応、説明漏れってことで! じゃ、そろそろ起きよっか」
「どうやっ」
「そーれっ!」
「わっ!」
女悪魔が俺を突き飛ばすと、俺はピンクの膜の外側に墜落した。
「がぶべっ」
ビクッと体が震え、俺は覚醒する。
なるほど、確かに俺は、地面の上で寝てしまっていたようだ。一晩中逃げ回った挙句に、徹夜していたのだから、疲れ果てていたのだ。
ポケットの中をまさぐる。あった。
一枚の紙っぺら。何か、理解できない複雑な紋様が描かれている。これが治癒のお札か。
さて、どうしようか。
慎重に行動しないと……。
「奈路ー、どこだー?」
天野の声が、遠くから聞こえる。
「奈路くーん、いるなら返事をしてー」
今度は藤成か。
だんだん近付いてくる。
「ナロちんナロちんナロちんちん! おーい、ナロナロっちー、えっちしてメロメロにしてあげるから、早く出ておいでー」
これは……星井か。
あのクソビッチめ。
どういうつもりだ。
「あー、面倒っ……真面目にやれ、バカ女」
「えー」
比嘉もいる。
あの女悪魔が見せた映像の通りってわけか。
俺は茂みに身を伏せる。
「しかし、確かですか、ホシイ様、こちらに……」
「わかんないよー、そんなの。もうどこか行っちゃったかもだしぃ」
シルヴィアが星井に尋ねている。
しかし、会話の内容から推測すると……星井には、俺の位置を割り出す特殊能力がある、と見ていいかもしれない。
これはまずい。
広い山の中だから、ピンポイントで俺を発見するなんて不可能だと考えていた。探すにしても、あちこちを人海戦術で、時間をかけてやるしかないはずだと。だが、ある程度、潜伏地点を絞り込めるとすると。俺なら、動員可能な兵士達を全員、高密度で一箇所に投入し、輪を縮めていく。「見つける」のではなく「追い詰める」、それが合理的だからだ。ゆえに、既に包囲網が出来上がってしまっている可能性も、低くはない。
どうする?
「聞いてくれ、奈路! 俺達はもう、お前が何をしたか、知っている」
グッと体が固くなる。
九人も殺した。罪悪感はない。やらなければ殺されるところだったんだ。
しかし、逃げ切れるか?
俺は周囲を見回す。
ここは斜面になっている。デコボコした複雑な地形だが、大雑把にいって、俺が斜面の上、連中がその下の獣道を、左側から歩いて登ってきている。で、俺の背後は、すぐに森が途切れる。俺から見て、左側、つまりこのままだと連中が登ってくるほうは、更に上へと登れるルートがある。だが、右側は、すぐに断崖絶壁にぶち当たってしまう。
走って逃げるなら、今だ。しかし、それで間に合うか? あの斜面を駆け登っている途中で、絶対に見つけられてしまう。そうなったら、あの天野と身体能力で競い合うわけか。競技はフリークライミングだ。勝てるわけない。
「でも、あれは間違いだったんだ!」
……なに?
「書記官のライアさんが、王女の命令を取り違えて、あんなことをしてしまった! 何人もの兵士も亡くなったが、あれは不幸な事故だ! 国王も、王女も、罪には問わないと言っている!」
なんだって!?
だとしたら、渡りに船だ。
まぁ、そうはいっても殺してしまったのだし、ただでは済むまいが……死刑にならないのなら。
どうする、どうする?
どうするのが合理的だ?
「お前に悪意がないのはわかっている! 俺達も弁護する! そのために出てきたんだ!」
迷う。
迷うが、考えているうちにも、時間は過ぎていく。あいつらは近付いてくる。
ここで変に逃げたら、むしろ悪意ありと受け取られたりはしないか? しかし……。
逃げ道は、逃げ道は……。
「あっ、いた。いたよ、天野君!」
しまった!
……いや、これでいいのかもしれない。
俺は、おずおずと、手を挙げながら、なんとか立ち上がった。
茂みから出て、樹木のない、丘の上に立つ。
下草を掻き分けながら、天野達が近寄ってきた。シルヴィアと数人の兵士は、遠巻きに俺達を見ている。
「いたか」
声が出ない。
果たして、これでよかったのか?
いや、こいつらだって、日本人だ。ならば、日本の倫理観の中で生きているはず。たとえこいつらにとって俺がどうでもいい人間だとしても、まさか正当防衛も認めないなんてことはないはずだ。
「大変だっただろう」
一メートルくらい、距離が開いたところで立ち止まり、天野がそう声をかけてくる。
「あ、ま、まあ、な」
「帰ろう」
「う、でも……」
今朝方、あれだけ暴れておいて、スッと帰れるものか?
「大丈夫! 私達がいるから」
藤成が明るい声でそう言う。
「時間かけさせんじゃねぇよ、ったくよぉ」
「あー、あたしはもう、仕事したからねー、あとは勝手にやってよ」
残り二人も、いつも通りだ。
……問題ないのかもしれない。
「わかった」
俺は肩の力を抜いて、歩き出した。すぐ下の獣道、シルヴィアが立っているほうへと、一歩を踏み出した。
「ぐ!」
突然の激痛。
それに、下半身の感覚がない!?
後ろから、聖剣を抜いた天野が、俺を両断していたのだ。
残った上半身が一瞬、宙に浮いて、支えなく地面に落ちる。そして、下半身が地面に崩れ落ちる音を聞いた。
「カ、カハッ……だ、だんで……」
「このニセモノめ! 奈路になりすまして、世界を滅ぼそうとした、この悪魔め!」
な、んだと……?
「ぼ、ぼれわっ、ぼんどうの、なろっ……」
「黙れっ! 死ね! 悪魔!」
今一度、聖剣が振り下ろされる。
その一撃で、俺の首は簡単に吹き飛んだ。