第四十九話
「他に何か言われていたことはないのか」
「ない。全部喋った」
遺跡の外のテントの中。いるのは俺と、サビハと、エレオノーラ、そしてたった一人の捕虜だけ。外ではシルヴィアが見張りをしている。マグダレーナは、そこから少し離れた場所で、彼女が雇った冒険者達と一緒に、俺達が出てくるのを待っていた。
「ヤランゴッチとオックルがしでかしたことに、お前は」
「だから知らん! 俺は見張れとは言われた! ナール、お前がどんな様子だったかを報告しろと、それしか言われていない」
首筋に黒霧の刃先を添えても、言うことは変わらなかった。
「ふむ」
エレオノーラの赤い瞳が怪しく輝いた。
「嘘は言っておらぬようじゃの」
「わかるのか」
「妾にかかればこの程度の人間の心なぞ、いくらでも読み取れる」
要するに、こういうことだった。
シェリクが俺とサビハに喧嘩を吹っかけたのは、もちろん、わざとだ。ホジャインの命令で、俺を屋敷に引きずり込むため。だが、なぜホジャインが俺に興味をもったのかについては、何も知らされていない。
「お前は何を報告するつもりだったんだ」
「ナールの仲間にどんな奴がいるのか、そいつらに何ができるのか。あとは……ナールに何か変わったことがあれば知らせろと、それは命令されていた」
「変わったこと? なんだよそりゃあ」
「そんなこと、俺に言われてもわかるわけないだろ? とにかく、普通じゃないことが起きたら、としか言われてない」
だが、その言葉だけで十分だった。
「普通じゃないこと、か」
勇者だ。他に考えられない。
「じゃあ、最後にもう一つだけ。シェリク、お前はどうやって俺を見分けた? 言いがかりをつけたときのことだ。黒髪の男というだけなら、他にいくらでもいたはずだ」
「ああ、それは」
彼は少し言いよどんでから、口を開いた。
「最初は、黒髪の、ワナタイ人みたいな奴を探せと言われて。でも、よくわからなかった。自信がなくて、誰に突っかかればいいかわからなかった」
「それで?」
「だから、ホジャインのところに引き返して、それだけでは誰のことかわからないと言ったら、女が」
「女?」
とすると、どちらだろう? いや、もうだいたい絞り込まれている。
「どんな見た目の女だった」
「肌の色はワナタイ人みたいな印象だったが、髪の毛の色は、エクス人みたいに亜麻色で……」
「なるほどな。よくわかった」
エクス人でない、ということが重要だった。そして、藤成はこんなところまで出てこない。治癒と防御の力を備えた彼女は、エキスタレア王国軍の要だ。
「お、おい」
シェリクは不安げな声で、おずおずと尋ねた。
「こ、殺さないでくれるよ、な?」
「それはどうじゃろうのう?」
エレオノーラが意地悪そうな声で脅した。
「貴様にはもう利用価値がないからの」
「やめておけ。ほっとけばいい。それより、そろそろ騾馬が来る」
朝の連絡だ。探索隊への物資の補充と、成果の報告を受けるためにやってくる。俺達は、シェリクをあのテントに転がしたまま、ホジャインの屋敷まで乗せてもらう。ギリギリまで異変があったことを悟られないようにしたいからだ。
「心配するな、シェリク」
俺がエレオノーラの手によって別の通路に弾き出されたあと、シルヴィアとサビハは死線を彷徨った。部屋の中央の罠は連続では発動せず、程なく二人はヴァン族の男達に囲まれてしまった。このままでは助からないと判断したシルヴィアが、強引に血路を切り開いて部屋から脱出し、サビハを逃がした。それから応戦しつつ、とにかく逃げた。
王国騎士団の元副団長という肩書きは、伊達ではなかった。彼女の活躍については、装備の有利も大きかったに違いない。ほぼ鎧らしいものを身につけていなかったヴァン族の連中と違って、シルヴィアは今回、使い慣れていた金属製の鎧を着用していた。だからダメージを最小限に抑えることができていたのだが、それでも多勢に無勢、数人の敵を討ち取りながらも、サビハを庇い続けて全身を負傷し、ついには力尽きて、廊下の奥で倒れこむに至った。
得物といえばナイフしかないサビハでは、槍を手にしたヴァン族の戦士相手には分が悪すぎる。二人して、ここで死ぬしかないというところで、背後から思わぬ救援が駆けつけてきてくれた。
「夕方には、また誰かここまで助けにくるはずだ」
地べたに横たわったままの彼をおいて、俺達はテントの外に出た。熱中症とそれに伴う脱水症状で死ななければ、今日中にシェリクの命は助かるだろう。
マグダレーナがいたこと、彼女の手にあのセレスティアルロッドがあったことが幸いした。そのままであれば、シルヴィアは命を落としていたはずだったが、彼女の治癒魔法によって、九死に一生を得た。
回復した彼女らの目の前に、オックルが仲間を連れて襲いかかってきた。そこへ、俺達への監視を任務としていたシェリクの班もやってきて、かなりの乱戦になったらしい。生き残ったのはシェリク一人だけだが、彼が軽傷しか負わなかったのは、そもそも戦うつもりではなく、仲裁しようとしていたからだ。しかし、彼の部下達は、新参者が古くからの仲間達を傷つけようとしているようにしか思われず、巻き込まれる形で命を落としてしまった。
マグダレーナとしては、不本意だったろう。サーク教の司祭だった彼女からすれば、殺人に加担するような真似は、何より避けたいことだったに違いない。ただ、そうはいっても、正当防衛まで否定はしないし、できなかった。一方で、生き残ったシェリクについては、迷わず治療を施しもした。おかげでこうして事実関係の確認をすることもできた。
俺達は、定期連絡に来た騾馬の引く車に乗り込んだ。帰還する名目としては、すべてシェリクの命令ということにした。
揺れる馬車がやがて丈の低い貧困層の家々の間を抜け、アスカロンの中心部に近づくと、俺は身を起こした。
「みんな」
この馬車の中には、マグダレーナの雇った冒険者達は乗っていない。同乗したのは、四人の女達だけだ。
「ホジャインの屋敷についたら、まずは俺一人で『報告』に行く。シルヴィアとサビハは、後から来てくれ」
「わかった」
「私達は」
不安げな顔で、マグダレーナは俺を見つめた。
「ああ、今回は助かった。ありがとう」
「いえ、それより」
「詳しい話はあとでする。でも、少しだけ後始末をさせてほしい。心配しなくても、ホジャインは殺さない。街の中でそんなことは、どうせできない」
「……そうですか」
それでも心配なのだろう。彼女は憂いに沈んでいた。
「そろそろだ」
騾馬がホジャインの屋敷の門をくぐり、敷地内に入った。円形の通路を通って椰子の木の植えられた庭をぐるりと回り込み、そうして邸宅の入り口前で足を止めると、俺は勢いよく車から飛び降りた。そこには二人の門番が立っていた。
「待て」
「緊急報告だ。シェリクの指示を受けている。ホジャインはどこだ」
門番達は目を見合わせた。
「今は来客中だ。三階の広間にいらっしゃるはずだが」
「そうか。急ぎの用だ。通してくれ」
「駄目だ。話し合いが済むまで」
そこまで喋ったところで、二人は急に糸が切れたみたいになって、その場に倒れこんでしまった。振り返ると、得意げな顔をしたエレオノーラが、人差し指をこちらに向けていた。
「眠らせただけじゃ。急ぐのなら行くがよい」
それで俺は、何も言わずに玄関から屋内に駆け込んだ。
来客中。通行禁止。それだけでは誰と面会しているかを特定することはできない。だが、俺の中の直感が告げている。彼は今、勇者と会っている。
階段を駆け上がった。その向こうに、出発前、探索隊のみんなで食事を摂った広間がある。
内心の不安と躊躇を感じつつも、俺は一気に扉を引き開けた。
時が止まったようだった。
突き当たりの壁を前にして、ホジャインは膝をついていた。相手は椅子に座っているのに、彼はそうではなく、跪いていたのだ。そして広間の左右には、まるで砂漠の砂山のように、金貨や宝石が溢れかえっている。足の踏み場があるのは、部屋の中央だけだ。
彼は、突然の侵入者に首だけ後ろに向け、硬直した。それからすぐ立ち上がって、怒気を露わに、掴みかかってきた。
「誰が入ってきていいと言った!」
だが、俺は無言で指を向けた。次の瞬間、紫電が走ると、ホジャインはあっという間に腰砕けになった。彼の襟元を掴んで横に放り出し、黒霧を手に、俺は正面を見据えた。
「へぇ」
椅子から静かに立ち上がりながら、そいつ……星井美奈は、目を輝かせながら、余裕の笑みを浮かべてみせた。
「しばらく見ない間に、ナロっち、随分と立派になったじゃん?」
どういうつもりなのかはわからないが、彼女はこの世界に転移した時と同じ、つまりは高校の制服姿のままだった。
俺の存在に気付いた唯一の勇者。こいつでなければ、他に誰がいるというのか。俺が脱走した時にも、居場所を割り出したのは星井の能力だった。俺のことを知って、仲間に言わずにいるというだけなら、比嘉だってやりそうだが、あいつの能力は火の玉を生み出すというものだった。残り二人については、最初から候補としては除外してよかった。
「元気? どうしてたのかなぁって思って、ちょーっと悪戯してみたんだけどさぁ」
あれこれ喋っているが、どうでもいい。
俺は床を蹴って、滑るように走り出した。
「えっ?」
何もさせない。
手の届く距離まで迫ると、俺は一息に剣を振り抜いた。
確かな手応え。星井の首が宙に舞う。
これでいい。
どんなつもりだったかはわからない。勇者達の間で何があったのかも。興味がないでもなかったが、星井に丸め込まれるリスクもあり得た以上、合理的に考えれば、即座に殺すのが正しい。とにかく、エキスタレア王国には、俺の生存について、何一つ知らせるべきではないのだから。
あとはホジャインを脅して口止めすれば、万事……
「いったあぁぁいっ!」
……俺の思考を中断したのは、星井の叫び声だった。
驚いて振り返ってみると、横倒しになった椅子の横で、しゃがみ込んだ星井が両手で首元を抑えて、泣き叫んでいたのだ。
「な、なんだと?」
これにはさすがの俺も、戸惑いを隠せなかった。一方の星井はというと、泣きそうな顔でなんとか立ち上がると、俺への文句をぶちまけた。
「いきなり殺すことないじゃん! 痛い! ってか痛い! ちょっと落ち着いてよ!」
「お、おう……」
「今日はもう帰る!」
「は?」
そして次の瞬間、星井の姿は掻き消えてしまったのだ。