第四十六話
壁を調べていたサビハが、また首を振った。
「ダメだ。継ぎ目も手掛かりもありゃしねぇ」
「よっぽどしっかり作られているらしいな」
恨めしそうにシルヴィアが呻いた。
俺達の目的は、遺跡からの脱出だ。しかし、自分達が通ってきた南ルートだけは使えない。仮に南から抜けるにせよ、噴水の間にはシェリクの班が陣取っているはずなので、それを回避する形ですり抜けなくてはいけないだろう。他にも活動中のヤランゴッチの班がいるので、それをやり過ごす必要はあるが。
そうなると、北ルートには進みにくい。未踏破の、詳細のわからない領域に突入するのは避けたいからだ。それで、本来の探索計画を無視した上で、地図の右側に書かれている東側の侵入ルートから外に出られないものかと、うろつきまわっているのだ。
だが、今のところ、結果は芳しくない。
自分達が道を間違えていなければだが、今、目の前にしている壁は、青い線に相当するものだ。つまり、オブジェクトの配置を変更することで上下するはずのものだ。しかし、今は地面に埋まっているということもなく、しっかり俺達の行く手を塞いでいる。
「畜生、この地図、肝心なことが書いてありやがらねぇ」
青い線はあっても、地図の東側には数字が書き込まれていない。つまり、自分達が使う予定のルート以外については、どこにあるオブジェクトが鍵になるかがわからないのだ。一応、青い丸が描かれているので、それが機能するらしいとはわかる。ただ、今のところ、俺達が辿り着ける場所にあった「お宝」が、これらの扉を開けるのに役立ったことはない。
「黄金の杯なんか、あっても邪魔にしかなりやしねぇよな」
「帰り道が塞がれただけだったからな」
「まるっきり無駄ってこともない」
頭の中で、俺は合理的に考えた。
「向こう側からもこっちに来られないんだからな。シェリク達の奇襲を避けるにはいいかもしれない」
「じゃ、今からでも回収しにいくか?」
ただ、エレオノーラの逃走経路も潰すことになるのだが……とはいえ、背に腹は代えられない。俺達は、俺達の安全を最優先すべきだ。
顔を見合わせて、来た道を引き返そうとしたところだった。微かに石が擦れ合う音がしたかと思うと、目の前の壁が、するりと床へと吸い込まれていった。
「嘘だろ?」
「これは助かるな」
どこかで誰かが何かを操作した結果、壁が床に沈んで、通行可能になった。それ自体はいいことだが、ここは判断に迷うところだ。
「誰の動きでこうなったか次第だ。オックルの班も東に向かっているから、そのせいかもしれないが」
「他の侵入者か」
「ああ。もちろん、俺達はお宝を持っているのでもないし、普通なら、すぐ殺し合いになるとは考えにくい。とはいえ、夜遅くにここまで来た連中だし、本当のところ、狙いはわからない。鉢合わせたら、厄介なことになるかもしれない」
うっかり未知の集団と遭遇して、殺し合いになるリスクはある。ただ、それでもシェリクに対しては言い訳ができる。俺達がこの遺跡に潜るのは初めてだから、迷子になるのも変ではない。
「地図の通りなら、東側の出口まで、他に青い壁はない。脱出するなら、行くしかないぞ」
シルヴィアの指摘に、俺達も頷いた。
「覚悟を決めて、出るか」
「気ィつけろよ」
サビハが地図を広げて言った。
「出口までは行けるが、途中のいくつかの部屋に、罠のマークがついてやがる」
「任せる」
「へへっ、惚れた男に頼られるのは、悪い気しねぇなぁ!」
それから、俺達は通路の向こう側へと進んだ。いっそ夜陰に乗じて歩き通してアスカロンの市街地まで引き返し、昨日のうちにグリーダが買った乗船券があれば、その場で急いで早朝の船に乗り込む、というのも悪くない。大金に動かされない冒険者という変な噂の代わりに、遺跡に行ってから怖気づいた連中の噂が残るだけなら、そう悪い話でもない。
「おっし、止まれ。罠のある部屋だ」
「何の罠かは書いてないな」
「部屋の中央って走り書きがある。十分だ」
この角を曲がった先にある大部屋。だが、真ん中を突っ切ろうとしなければ、罠は発動しないらしい。
サビハを先頭に、ランタンを持つシルヴィアを後ろに、俺達は角を曲がって部屋に立ち入った。そこは、かなりの広さの部屋だった。目測で二十メートル四方はある。さっきまでの通路と、反対側にも続きの通路があるのだが、他はすべて壁だ。ここからだと、光がしっかり届かないので、反対側の壁にある通路が黒ずんで見える。
「シッ」
サビハが静かにするようにと指示を出した。通路の向こう側から、何かが近づいてきている。スケルトンだろうか? だとすると、俺達が今の位置に留まるのはまずいかもしれない。というのも、侵入者を見かけた骸骨どもが、一直線に襲いかかってくるかもしれないからだ。この部屋に罠があることはわかっていても、どんな罠かはわからない。スケルトンのせいで発動する可能性がある。
いったん引き返すか、それとも、手早く壁沿いに移動して、あちら側から来た連中に、部屋の中央を踏ませないか、どちらか……いや、待てよ? スケルトンなら、人間並みの重さもないし、床を踏んでも罠が発動することはないかもわからない。
そうした細切れの思考は、通路の向こうからの揺れる松明の光に打ち消された。照明を手にしているということは、骸骨どもではない。人間だ。とすると、オックルの班と鉢合わせてしまったのか? 或いは……
それは突然だった。ピタ、ピタと遺跡の床を踏みしめる裸足の音。そして、向こうから姿を現したのは、いかにも軽装の男達だった。腰布一枚に、手には粗末な槍。鉈を手にしているのもいる。そして、揃いも揃って色黒だった。そんな彼らが、俺達を見て、棒立ちになる。
「あ、あいつらだ! 間違いない!」
集団の中ほどから、そんな声があがった。
「なっ?」
「チッ!」
ヴァン族の連中だ。ご丁寧にも、俺の後を追ってきたのだろう。あの時、セト村で俺は大量のヴァン族を殺害した。だが、目的はキル数の獲得であって、村人を殲滅することにはなかった。恐らく、生き残りがいて、しかも俺達のことを覚えていたのだ。
同族を殺されて、何も報復せずにいるなど、できるわけもない。面子が丸潰れになるからだ。こうして彼らは、ケンティアイ港から船に乗り、ここまで追いかけてきた。
「ブッ殺せ!」
「逃がすな!」
しかし、これは非常にまずい。連中は頭に血がのぼっている。しかも、ここの罠のことを知っているようにも見えない。
「馬鹿! 待て、ここは」
だが、敵のいうことを真に受ける奴がいるだろうか? 彼らはまっすぐ部屋を横断して、こちらに迫ってきた。
「いや、罠を踏んで吹っ飛んでくれれば」
そんな期待を抱きつつ、通路側に駆け戻ったのだが、案に相違して、何も起きなかった。確かにヴァン族の男達が、それこそ二十人は真ん中の床を踏み抜いたというのに。
「嘘だろ!?」
「しょうがねぇ! ここで迎え撃つぞ!」
大部屋で囲まれるよりは、この通路で戦った方がいい。俺とシルヴィア、サビハは横一列になって武器を構えた。
「やれ!」
殺害の号令を下しながら、俺は黒霧を振り下ろした。槍を片手に身を躍らせていた男が、血飛沫を散らして斜めに倒れこんだ。最初の一撃を受けきったシルヴィアの横から、俺は素早く突きを入れて、二人目も片付けた。相手の勢いに押されかけていたサビハだったが、咄嗟に隠し持っていた目潰しを浴びせたらしい。怯んだ男の首元に、手早く刃先を滑らせた。
瞬く間に三人が横倒しになったのを見て、彼らも足を止めた。
「こいつら、やりやがる」
「慌てるな。一斉に槍を投げつけてやれ」
冷静になれる指揮官がいるようだ。これはまずい。いくら俺達が一人ずつの能力では勝っているとしても、あちらはまだ、二十人以上もいるのだ。
「くそっ、こうなったら逃げ……」
後ろへと引き返そうと決断しかけたところで、不意に妙な物音が頭上から聞こえてきた。カラコロ、カラコロと随分軽やかな響きが、俺とヴァン族の男達の頭上から響いてきたのだ。
「……まさか」
俺は、察した。
「固まれ! 走るぞ!」
そう叫んだのと同時に、天井のタイルが左右に開いた。そしてそこから、白骨が降り注いできたのだ。
「くっそ、罠ってこういう」
「引き返せ! とにかく切り抜ける!」
スケルトンの群れに襲われるのは、俺達だけではない。さっきの大部屋を中心に、周辺を埋め尽くすほどの骸骨が降り注いできているのだ。当然、ヴァン族の連中も混乱している。それでも、無理やり追いすがってくるのがいた。
「くどい!」
黒霧を大振りにすると、跳びかかろうとしてきた男の顔が真っ二つに割れた。
「これじゃ、キリがない!」
「こっちだ!」
サビハが先導する。俺もシルヴィアも、遮二無二そちらに向かって突っ走った。
「どうする!」
「さっきの方じゃない! 別の通路だ! 確か、そこに罠があったはず」
「どんな」
「わかんねぇよ!」
多勢に無勢、それに骸骨も俺達を追いかけてきている。普通の方法では、逃げ切るのも難しい。
「今度のも、部屋の真ん中を避けろ! いいな!」
少し走った先に、黒い口を開けている部屋があった。さっきのより狭い。縦横十メートル程度か。どうにも空気が淀んでいる気がする。
「焦んな! 壁沿いに行け!」
壁に手をついて、サビハが先に行く。一番後ろのシルヴィアは、反対方向の壁を伝って、向かいの壁に進んだ。しかし、問題なのは、この部屋が行き止まりなことだった。
「おいおい」
「罠次第じゃ、あたしらもお陀仏だけどよ」
頭上から降ってきたスケルトンどもは、ろくに武装していなかった。それもあって、ヴァン族の連中もようやく罠を振り切ってここまで追いかけてきた。
「追い詰めたぞ!」
「やっちまえ!」
興奮した男達は、またしても得物を手に肉薄してきた。なんといっても勢いがあった。今度は、俺も二人も、突進を受け止めることしかできなかった。そして、後から後から、俺達を取り囲んで殺そうと、この狭い部屋の中に男達が押し寄せてくる。
その時、いきなり、予告もなしに天井が落ちてきた。すべてではない。部屋の中央の部分だけ。まるでハンマーが振り下ろされたみたいに、それこそハンコでも押すみたいに。強烈に地響きをたてながら、すぐ目の前をスタンプしていった。
「うっ!?」
その凄まじい勢いに、一瞬、俺は硬直した。天井は、一撃を浴びせるとゆっくりと戻っていった。そこには、原型をとどめないほど、ひどく潰された男達の死骸が転がっていた。いったい今ので何人死んだのだろうか?
ただ、全滅したのではない。部屋の入り口にいて、九死に一生を得たヴァン族の男達が、戸惑いながらも、なお槍を構えていた。
「やるしかないぞ! 背中の心配はいらん! 暴れるだけだ!」
シルヴィアがそう叫ぶ。
「まだあんなにいやがんのか、ちっくしょう……」
彼女ほど武勇に自信のないサビハは、苦々しげに両手のナイフを構え直した。俺も、背後の壁に身を預けて、改めて剣を握り直した……その瞬間。
「わっ!?」
罠はまだ、発動の途中だったのだ。俺の背後の壁が、急に反発をなくして口を開けた。そこに俺はひっくり返った、
「いっつつ……」
「通路が!?」
ちょうど俺一人分、小さな扉が開くくらいの通り道ができていた。そこに俺は倒れこんだのだ。
「二人とも、こっちに」
言い終わるより早く、また足下から壁がせりあがってきた。
「っと、ちょっと待て! シルヴィア! サビハ!」
なんということだ。
さっきの落下天井の部屋に彼女ら二人。それとヴァン族の連中や骸骨ども。壁一枚を隔ててこちら側の狭い通路に俺一人。いきなり分断されてしまったのだ。