第四十四話
淡い黄土色のブロックが、どこまでも続いている。真四角のタイルのようなものが左右の壁に敷き詰められているが、斜交いになっていないところをみると、この部材の奥行きは、あんまりないのではないかと考えられる。単純に崩れやすいからだ。足下のブロックも、同じような真四角のタイルで統一されている。汚れらしい汚れもない。そんな遺跡の廊下を、背後に立つシェリクの部下が握るランタンが照らし出している。
「ヤランゴッチ」
「ああ」
「そろそろ、四番の壁を」
「わかってる」
そのやり取りに、シルヴィアが目を光らせた。
「何の話だ」
「さっき、飯を食いながら軽く説明しただろう?」
シェリクは、しかし、嫌がるそぶりもせずに、話に応じていた。
「例の地図の、青い線の話だ。お宝とか、何か台座に据えられてるものを動かすと、壁が持ち上がったり滑り降りたりする。で、普段は余計なところは閉じてあったりするんだ」
「なぜだ」
「スケルトンどもの奇襲を浴びたいのか?」
要は通路を封鎖することで、巡回しているスケルトンからの想定外の襲撃を防いでいる、ということだ。しかし、これが意味するところは……
「遭難者はどうなる」
俺の問いに、シェリクは肩を竦めた。
「だから複数の班で挑むことに意味があるのさ。後ろで壁を上げ下げするのがいないと、逃げ道がなくなるからな」
だが、こともなげにそんなことを言い放つ彼には、エレオノーラの姿が目に入っていないのだろうか。これでは、中に取り残された探索者は、ほぼ確実に助からない。外部からの救援がなければ、仮に魔物を退けたとしても、内部で餓死することになりかねない。しかし、意味がわかってないのか、それとも兄の生存そのものは諦めているのか、彼女はシェリクの発言にも眉一つ動かさなかった。
「まぁ見てろ」
とある突き当たりの壁の前で、シェリクとその部下達が前に出た。
「盾、構えとけ」
俺達四班を後ろにして、彼がそう命じる。
ヤランゴッチの班が去ってしばらく、ごく控えめな音が聞こえた。思った以上に摩擦がない。どんな仕組みなのか、すんなりと目の前の石の壁が、それこそ滑り降りるといった感じで、床へと沈んでいった。そしてその天辺の部分が床の高さになったのだが、他の足下の床と見分けがつかないくらいだった。
「いやがった! かかれ!」
そしてシェリクの想定通り、壁の向こう側にはスケルトンが三体ほど、突っ立っていた。
すぐ目の前にいた部下達が、大きめの盾を前面に押し出して、体ごとぶち当たっていく。右手に構えた剣も同時に叩きつける。戦い方としては乱雑というしかない。だが、よく見るとそれだけで、一人が一体のスケルトンの武器を封じている。刃毀れだらけの古い剣、これまた古びた小型の金属製の盾。
「おっし」
一人身軽なシェリクは、すぐ側面に回った。そして真横からスケルトンの肩口に全力で大振りの一撃を浴びせた。致命傷に相当するダメージを受けると、それでもう活動能力を失うのだろう。骸骨は急に、糸が切れたみたいになってその場に崩れ落ちた。
シェリクと、さっきまで一体のスケルトンを抑えていた部下は自由になった。すぐさま彼らは右を向き、横がガラ空きのスケルトンに襲いかかる。そして残り二体もあっさり片付けた。
「人間に近いんだが、人間とは違うってこった」
「どういうことだ?」
目の前で骸骨退治を一通り演じてから、彼は俺達に講釈した。
「人間で、四対三だったら、どうする?」
「えっ」
シルヴィアが代わって答えた。
「可能なら後ろに下がる。狭い場所、扉があった場所とか、そういうところで迎え撃つ」
「考えて動くよな。でも、こいつらにはそれがない。怖いとか、不利だとか、そういうことを考える頭がないんだ」
「ということは」
「ああ。今はここにお前らもいるし、オックルの班も控えてるから、もっと数がいても、取り囲んでやっちまえばよかった」
そうでない場合は、さっきシルヴィアが言ったみたいに、扉がある場所まで引き返すなどして、狭いところで一体ずつ始末するのだろう。
喋っている間にヤランゴッチの班が戻ってきた。
「あれ、手ぶらなんだな」
「当然だろ? 外から手の届くお宝で、本当に価値のあるもんなんか、あったとしてもとっくに持ち去られてるに決まってる」
オックルが珍しく声を発した。見た目通りに低い声色で、しかもだみ声だった。
「いちばん外側のお宝は、全部青銅製だ。それも値打ちがないわけじゃないが、それがないとどうせ奥には入れない」
だから、侵入手段をなくさないために、取り残されているものがあったのだろう。
「骨は隅の方に片しとけ」
「気休めだけどな」
彼らはスケルトンが用いていた古びた剣や盾を拾い上げ、それをもと来た通路の向こう側に転がした。そして反対側に骨を押しやった。
「行くぞ」
シェリクが先頭に立ち、また俺達は前進した。
それからしばらく、俺達は同じようにして遺跡の奥へと踏み込んでいった。だが、いくつかの部屋を越えたところで、特徴ある広間に辿り着いた。
「噴水の間、だ」
そこだけ天井が高く、アーチになっていた。その天井の中心から吊り下げられた水晶の塊は、どういう原理なのか、光を発し続けていた。部屋の中心には確かに台座があり、噴水があった。そこからは今でもどこから汲みだしたのか、汚れのない透明な水が吹き出し続けていた。周囲の床は他と同じで、この部屋を中心に、四方に道が通じていた。それと、その四方向の道の脇それぞれに、小部屋があるように見えた。
「ここが俺達の拠点になる。水も手に入るし、真っ暗にもならないからな」
「その代わり、どこから襲撃を受けても不思議はないようだが」
「逃げ道が豊富にあるという考え方もできるぞ?」
シルヴィアの懸念を軽口で片付けたシェリクは、改めて今後の計画について説明した。
「ここを抑えるのは、俺の班がやる。後方への巡回と骸骨どもの始末は、ヤランゴッチの仕事だ。オックルの班は前からの予定通り、左手のルートを、四班、お前らは……予定通り、奥を目指してくれ」
「わかっている」
「今夜はここで休憩だ。心配するな。グースカ寝てくれていいんだぜ? 見張りも俺達の役目だからな」
とはいえ、連中の目の前では落ち着かない。せっかく周囲に八つも小部屋があるのなら、とそちらに足を向けかけると、シェリクは皮肉気に笑ってみせた。
「なんだ? トイレか?」
「なに」
「北西の、そっちの部屋は、便所にしてる。用を足したかったら、そこで済ませるんだな」
なるほど、空間の有効活用というわけか。
俺達は顔を見合わせると、諦めて噴水の横に陣取った。大荷物を担いでいたシルヴィアは、それを下ろすと、薄っぺらい毛布を床に広げた。サビハも、荷物の中にあった水筒と保存食を取り出した。
「エレオノーラ」
俺は声をかけた。
「とりあえず、休んでおけ」
彼女は言葉を発することなく、黙って毛布の上に腰を下ろした。
「食うか?」
サビハが干し肉を差し出したが、彼女は無反応だった。すると、すぐにサビハはそれを引っ込めて、自分で食べ始めた。
「ふん……」
何を察したかは、俺にもわかる。そして、俺の近くにはシルヴィアもいる。
俺は、ゆっくりとエレオノーラの前にしゃがみこんだ。
「幸い、今夜はここで夜営することになった」
聞いているのかいないのか。彼女は真っ赤な瞳をまっすぐ俺に向けるばかりだった。
「難しい状況だが、カール……お兄さんのことは、なるべく探してみる。受け持ちが決まっていて、俺達は奥だ。そっちに向かっていれば、なにがしか見つかるかもしれない。約束通り、調べられるだけは調べる。後払いの報酬は、特に発見がなければいらない。でも、それより」
本当のところ、こんな少女の命など、知ったことではないのだ。だが、それを口にするなどできない。シルヴィアにとってもサビハにとっても、俺は勇者ナロなのだから。邪魔だからと見殺しにはできないし、積極的に殺害するなど、もってのほかだ。ゾナマでは虐殺を繰り広げたが、それについては戦闘の結果としてごまかすことができた。村ぐるみで襲いかかってきたから、身を守っただけと言えた。だが、目の前の少女について、同様の説明は、現時点では適用できない。
「幸い、ここはまだ遺跡のそこまで深い場所ではない。いや、まぁ、骸骨も出るし、普通に歩いて帰れる場所ではないんだが、幸い、ここにはシェリクの班もいるし、ヤランゴッチも後ろのルートを確保してくれている。明日の朝、外まで送ってもらえ。連絡用の騾馬も来るはずだ。それに乗せてもらって、一度、街まで帰ってくれ」
俺を含めた三人の理解は、こうだ。荷物も持たずにここまでやってきた。そして今、干し肉を差し出されても、食べようともしない。明らかに不自然な態度だが、これが意味するところはただ一つ。エレオノーラは兄の死を確信している。でなければ、通路の封鎖についてのシェリクの発言を聞き流すなど、あり得ない。だからといって、俺達に遺品や遺体を回収してもらったところで、そんなことに何の意味があるのか。
要するに、兄と共に死ぬためにここまでやってきた。それ以外、合理的な説明がつかない。
「とにかく、俺達は明日、探索をしなきゃいけないんだ。正直、傍でウロチョロされるのも困る。護衛に手間を割くことまでは約束になかった。足を引っ張られたら困る。今夜は大人しく寝ていてくれ。心配しなくても、今夜の間は、二人が……シルヴィア、サビハ、頼むぞ」
「ああ」
これで話を切り上げると、俺はもうエレオノーラに構わず、寝る前の準備に入った。軽く飲食を済ませ、毛布の上に転がった。大丈夫、話はついている。最初はサビハが夜間の見張りをしてくれるから、シェリク達が俺の寝首を掻こうとすれば、すぐ気付ける。三人で順番に仮眠をとることになっている。だいたい、ここは明るい。頭上の水晶がどうして光り輝いているのか、その仕組みもわかっていない。つまり、消したりつけたりもできない。闇に紛れて何かをするということができないのだ。警戒しすぎる必要すらない。
それで俺は、貴重な休憩時間と割り切って、そのまま横になった。
それから、どれくらい時が過ぎただろう。すっかり眠り込んでしまっていたらしい。揺り起こされても、すぐに目が覚めなかった。
「……ふぁ、なんだ」
「目ェ覚ませ」
サビハが俺の肩を揺さぶっていた。意識が覚醒し、ガバッと身を起こす。
「どうした」
「報告だ」
立ち上がると、既にもう、シルヴィアも起きていて、みんな話を聞こうと身構えていた。そんな中、寝起きのシェリクが告げた。
「今、ヤランゴッチから報告があがってきた」
「何があった」
「まさか、この時間にとは思うが、夜になってから、この遺跡に駆け込んできた連中がいる」
俺達は顔を見合わせた。オックルの班の誰かが尋ねた。
「何人くらいいる? どこの誰だ」
「暗がりの中だ。見分けなんかつかない。やってきたのも、一つの集団か、二つに分かれているのか、はっきりしないと言っていた。だが」
彼の表情には緊張が見て取れた。
「朝でも昼間でもなく、真夜中にここまでやってくる時点で、まっとうな連中じゃない。わかるな?」
探索者が、他の探索者を狙う。ここではよくあることだ。
だが、俺達に限っては、別の懸念もある……。
「狩られる前に」
だが、シェリクは言い終える前に、突然の異変が俺達を襲った。視界が失われたのだ。
「なんだ!」
「どうした?」
頭上の水晶が、いきなり輝きを失い、周囲が真っ暗になった。
「慌てるな!」
オックルの怒号が響く。そんな中、しゃがみ込んだサビハが手元で火打石を擦っていた。
「おらよ! てめぇら、これ見やがれ!」
小さな松明の光。だが、それだけでみんな、落ち着きを取り戻した。
手元に光が届くおかげで、みんなすぐ、それぞれランタンに灯を点すこともできた。そうなってから、なぜかまた、急に頭上の水晶が輝きを取り戻した。
「なんだぁ……? 燃料の無駄遣いかよ」
「シェリク」
「なんだ」
「ここの水晶は、光ったり消えたりするのか」
「いや」
彼は首を振った。
「今まで、一度もこんな風に光が消えたことはない。どうしてこうなったのか、わからない」
「ナール!」
疑問をぶつけていると、背後からシルヴィアの声が響いてきた。
「どうした」
「エレオノーラが、いなくなっている」
言われてみれば。この一連の混乱の中で、黒衣の少女の姿は、どこにも見当たらなくなっていたのだ。