第四十三話
「楽しんでいただけておりますかな」
アーチを支える柱の向こうからは、砂漠の陽光が斜めに差し込んできている。それもここまでは届かず、こちら側は日陰だ。風が通るので、湿度がない分、それだけで十分、涼しいといわねばならない。少なくともこの世界にはエアコンなどないのだろうから。
俺が今座っている場所には、分厚い絨毯が敷かれている。その上に、いくつもの大皿料理が並べられていた。
「助かるね。出発前にまともなもん食わせてもらえるのは」
「はっはは、私としても、自分のところの探索者には、成果を出してもらいたいですしな。少しでも体調を保つためには、まともなものを飲み食いしておくことですよ。ただ、無論、お酒は、帰ってくるまでお預けですがね」
出発の日の朝。ホジャインの屋敷に招かれたかと思ったら、壮行会と称してのご馳走攻めになった。毒でもあったら、とまずはサビハが行儀悪く手を伸ばしたが、とりあえず問題はなさそうだった。
ここにいるのは俺達だけじゃなかった。シェリクとオックルの班は揃っているが、ヤランゴッチの班は、席が丸ごと空いている。用事があるとのことだったが、そこで顔を出したのが、館の主であるホジャインだった。
「ところで、その、ヤランゴッチさんは」
「ああ、少し言いつけた用事がありましてな、なに、もうすぐ来ますとも。今回は、うちにとっても総力戦ですからな」
三つの班に加え、俺達のパーティーも加えて、奥を目指す。シェリクとヤランゴッチの班がサポートで、俺とオックルの班が奥に向かう。もちろん、行先はそれぞれ別だ。サポートの班が途中までの露払いをして、安全に撤退できるルートを確保する。なにしろ時間経過でスケルトンは復活してしまうので、仮にもし、奥から撤退してきた班が負傷者を抱えていたりなどして、戦える状態でなくなっていると、そのまま全滅させられかねないからだ。
ということになっているが、本当に怖いのは、実はスケルトンではない。他の探索者だ。こういった遺跡の中は事実上の無法地帯なので、殺し合いが当たり前に発生する。だからこそ、徒党を組んでおかないと、最悪の事態を迎える可能性もある。誰も口にしないが、公然の秘密だ。
そしてこれが、ピラミアではナメられてはいけないとサビハが主張する根拠でもある。弱くて情けない奴は、敵からも味方からも侮られる。それは生存におけるリスクに直結する。
噂をすれば影。廊下の向こうから数人の足音が近づいてきた。
「おぉ、来たか。お前達もしっかり食べておけ」
相変わらず細い眼をしたヤランゴッチは、薄っすらとした笑みを顔に貼り付けつつ、無言で頷いた。そして、彼を含む四人が、いそいそと自分の座布団の上に腰を下ろした。
「では、騾馬を用意させておきます。遺跡までは、少々距離もありますからな」
そう言うと、ホジャインは広間から出ていった。
昼下がりまで屋敷で飲み食いした後、俺達はそれぞれ、騾馬の引く車に乗り込んだ。相変わらず、アスカロンの市街地には、きめの細かい赤い砂が舞っている。さっきまでの快適さが一気に剥ぎ取られるようだった。
暑苦しいというだけなら、それでもまだマシだ。これで日除けもなかったら、本当に命にかかわる。実のところ、これはホジャインなりの工夫なのだとか。普通の探索者は、朝一番に出発して、日が高くなる前に遺跡に向かわなければいけない。そうでないと蒸し焼きになるからだ。しかし、こうして時間をずらせば、自分達を狙う他の探索者と鉢合わせる確率は下げられる。少なくとも、誰かが後追いしてくるまでには、結構な時間がかかる。
街の中心を抜けると、丈の低い家々が目につくようになった。そこに住むのは貧しい庶民だ。市内の飲食店や宿屋、商人達の荷運びなどの下働きの仕事を貰えない人達が、軒先にしゃがみ込んでいたりする。襤褸を纏った、右足の膝から先がない、髭モジャの中高年男性。裸の乳幼児を抱えた女。子供でも、活発に動き回れるようなのは、こんなところにとどまっていたりはしない。
そんな街区も一瞬で抜けると、あとは古い石畳の道があるだけになった。雲一つない青空が、細かい黄色の砂塵に濁らされる。その向こうに、石造りの建物の影らしきものが点在しているのが見えた。
いったいどこが『女王の墳墓』なのか。さっさと到着してくれればと思ったが、いくつかの間近にある遺跡はスルーされ、たっぷり一時間はかけてから、やっと巨大なピラミッドの下で、馬車は移動を止めた。
そのピラミッドの下には、いくつか古びたテントが立てられていた。その中には、この馬車を丸ごと覆えるようなものもある。移動手段も馬力次第だから、これを休ませる場所も必要ということだ。それに、遺跡から命からがら逃げてきた探索者からすれば、身を横たえることができるというだけでも、安心だろう。
既に日差しに黄色いものが混じり始めていた。俺達は馬車から降りて、体を伸ばしていた。ずっと小刻みに揺らされ続けていたのだ。少しは体をほぐさないと、中で危険にさらされかねない。
「本当は中のが涼しいんだけどな」
シェリクが皮肉げにそうぼやいた。
「夜は寒いのか」
「外にいると、急に冷えてくるぞ。だから、日が暮れる前に中には入る。ちゃんと一泊する場所も考えてある。そこまでは心配するな」
そういう心配はあまりしていない。だが、別の不安材料ならある。
シェリクが個人的な恨みで突っかかってくるとは、もうほとんど考えていない。きっとあれは、俺達を引きずり込むために、わざと吹っかけた喧嘩に違いないのだ。だが、そうまでしてきたホジャインの本音はまだわからない。俺達の金目当てなのか、勇者が背後にいるのか、それとも、本当にこの遺跡で起きている変死体についての問題に関わりがあるのか。
日が暮れる前にと馬車が来た道を引き返し、俺達もひとまずの休憩が済んだところで、シェリクが号令した。
「お前ら、さっさと頭の中、切り替えろ。そろそろ行くぞ……おっ?」
遺跡に立ち入るために、先頭切って短い石の階段を登り始めたところで、彼は人影に気付いた。
「あれは」
銀の鎧に身を包んだシルヴィアが、呆然として、そちらを見上げた。黄土色の石の壁に黒い口を開けたその場所には、黒衣に身を包んだ少女が立っていたのだ。
「エレオノーラ」
俺も驚きつつ、階段を登って彼女の下へと急いだ。
「どうしてこんなところにいる」
「……依頼のため」
「馬鹿な」
こんなところに顔を出して、どういうつもりだ。馬車で一時間はかかる距離なのに。
「どうやってここまで」
追いついてきたサビハが困惑の表情を浮かべた。
「馬鹿野郎、もうちょっと前に気付いてりゃ、馬車で送り返せたのに」
「それより、ここまで来たってことは、朝一番に歩いてきたんだろうが、さすがに夜中に砂漠の道を歩かせるのは」
「必要ない」
だが、エレオノーラはきっぱりと言った。
「中で兄を探す」
追いついてきたシルヴィアが落ち着いた声で切り捨てた。
「気持ちはわかるが、無謀だ。中には魔物もいる。殺されるだけだ」
「一緒に行けばいい」
「護衛しろというのなら、できる限りは力を尽くすが」
彼女は首を振った。
「戦いの腕はそれなりにあるつもりだが、この土地の探索者としては、まだまだだ。守り切れないかもしれない」
「それでもいい」
「よくはない! 危険を舐めるな!」
後ろから、シェリクがやっと追いついてきた。
「どうした。その子はお前達の知り合いか?」
「あの後、酒場で、兄の捜索を依頼してきた。それだけだ。まさかこんなところまでやってくるとは」
顔を見合わせる俺達を見て、シェリクは手早く判断を下した。俺にだけ手招きをして、
「来い」
階段の下まで降りた。そのまま、脇にあるテントの中に入る。一気に薄暗くなり、動きのない埃っぽい空気の中に閉じ込められる。
「ナール」
「済まない」
「そうじゃない。あの娘だが、少々薄汚れているとはいえ、身なりは悪くないが」
俺は頷いて答えた。
「もしかすると、どこかの元令嬢とか、そんなところなのかもしれない」
「いいとこの坊ちゃんがこんな遺跡に挑むとくれば、相場は決まってる。お宝を見つけて一発逆転。そんなとこだろう。だが、そういうことを考える奴は、だいたい死体になる」
「ああ」
そこまで言ってから、彼は距離を詰めてきて、俺の耳元で囁いた。
「ここだけの話だが」
「なんだ?」
「身分があるのに、供回りの人間もいない。一人でこんなところまで来るくらいだ。それでも、依頼を出せるくらいの小銭は持っている」
「何が言いたい」
「まだ少々幼いが、なかなかの上玉だ。要するに、ナール」
彼は、体を離して両手を広げた。
「お前達がどう始末をつけても、俺達は何も言わない。ここはそういう場所だ」
なるほど、と納得した。足手纏いを必死になって守るくらいなら、依頼などほったらかしにして、身包み剥いでしまった方が手っ取り早い。もしかしたら、ここまで現金を持ってきてはいないかもしれないが、それだって大した問題とは言えない。信頼できる使用人などが居残っているなら、一人でここには来ないだろう。つまり、現金を持っていない場合でも、それはどこかに隠したままだ。痛めつければ、口を割ることくらいできる。
「ま、お前らが予定通り、遺跡の奥を調べてきてくれる分には、他のことにはいちいち首なんか突っ込まない。頼むぜ」
そう言いながら、シェリクは俺の方を叩き、テントの幕を引き開けた。
一歩、外に出ると、彼はもう切り替えていた。
「お前ら! 一班が先行するぞ! 四班を休ませるつもりでいくからな!」
すると、三人の部下は機敏に反応した。彼らは足早に階段を駆け登ると、黒い入口に吸い込まれるようにして、遺跡の中へと滑り込んだ。
「どうした?」
戻ってきた俺に、シルヴィアが尋ねた。
「大したことは言われていない。連れて行きたければ勝手にしろと」
「そうか」
こんな場所で一人、放りだすのも危ない。厄介なお荷物になってしまった。
「俺達も中に」
二人とエレオノーラは、俺の言葉に頷いた。