第四十話
あけましておめでとうございます。
代表作の方は、本日でいったん集中連載を終えることにさせていただきました。
ただ、それでは正月休みが寂しいかと思いますので、こちらで口直しをしていただこうかと思います。
楽しんでいただければ幸いです。
「いや、いや、まったく勇ましいことで。私のような者には、いていただかなくては困る方々というわけですな」
昼前という時間帯。目の前の列柱の落とす影も、その足下に小さく縮こまっている。今、通りに出たら灼熱地獄だろう。それを思うと、この落ち着かない場所に、敢えて落ち着くのが合理的判断といえる。
「はん、女に伸されるような奴らじゃ、あんたの役に立ってなかっただろ」
「はは、お恥ずかしい。ですが、シェリクも決して弱い探索者ではなかったはずなのですがね。いや、あなたの腕前が並大抵ではなかったということなのでしょう」
目の前に座っているのは、ハゲ頭の中高年男性だった。こちらの人間の割に肌は白く、テカテカと脂ぎっている。お腹の方もややふくよかで、ゆったりとした黄土色の衣服の上からでも、それがよくわかる。
この男、笑顔を浮かべてはいるが、眉間には皺が寄っている。人間、三十になったら自分の顔に責任を持て、なんていうが、なるほど、人相には人柄が表れるものだ。俺達の前ではニコニコしているが、普段のこいつはもっとずっと怖い性格をしているに違いない。
「まぁ、喧嘩吹っかけてきやがったのはあっちなんだけどよ、ちょいやりすぎたのは認めるぜ。治療費くらいは出すからよ」
「おやおや、そんなことは気になさらなくていいのです。探索者なら、暴力の結果がどんなものであれ、覚悟は決まっているはずですからな」
サビハはこの応答に、思わず苦々しい表情を浮かべかけて、それを噛み殺した。
さっきから、この調子だ。この男、俺達への褒め殺しを一向にやめようとしない。
「こっちは手打ちにしようって言ってんだぜ?」
「ええ、私もそのつもりですよ。そもそも争っているという気もありませんがね」
この男、ホジャインの職業は、探索者の元締めだ。といっても、本人が強いとか、そういうことはまったくない。ただ、兼業の貿易商でもあり、ここアスカロンではそれなりの金持ちで、要は顔役、有力者だ。そして、さっきサビハがぶちのめしたエクス人の男、シェリクは、このホジャインの下で働く探索者の一人だった。俺達は、その仲間達に取り囲まれ、ここまで連れてこられてしまったのだ。
てっきり高額の賠償金でも請求されるのかと、サビハは身構えて、相手の落ち度を並べ立てた。肩がぶつかっただけで喧嘩を吹っかけてきたのはそちらだし、道端にタールをぶち撒いたのもそちらだった、弱っちいくせに喧嘩っ早いなんて、あんたのところはどうなってるんだ……ところが、ホジャインは、それらの抗議をすべて笑顔で受け流した。
最初はそっちが悪い、賠償しろと怒りを前面に押し出していたサビハだったが、ホジャインはすぐに俺達を大きな浴場に案内し、もともと着ていたのよりずっと上等な衣服を代わりに差し出した。そして今、氷の入った飲料を供されながら、こうして話し合いをしている。こうなると、彼女ならずとも薄気味悪く感じるものだ。さっさと話し合いを終わりにしてくれないと、俺達は宿に戻れない。
「じゃあ、帰っていいか」
サビハがストレートにそう言うと、ホジャインは片方の眉毛を吊り上げた。
「駄目とは言いませんが、その前に一つだけ、お話を聞いていただきたいのですよ」
そうだろう。やっと本題に入るわけだ。でなければ、入浴させたり、真新しい服を着せたり……氷の入った飲料だって、この世界では、そう安いものでもないはずなのだし。
「聞くだけなら聞いてやる」
「では、お時間をかけすぎてもなんですから、率直に。お二人の腕前を見込んで、私のところで一仕事してほしいのですよ」
これは厄介なことになってきた。俺もそう思ったが、サビハもそう直感したのだろう。
「そうは言ってもな。あたしら、気儘に旅をするのが好きなんでね、あんま縛られたくねぇんだわ、せっかくだけど」
「おいくらなら引き受けていただけますか?」
みなまで言わせず、彼はそう詰め寄った。
「いくらっつってもよ。あんまそういう気分じゃねぇんだわ」
サビハはそう言ってごまかした。金が何より好きな女ではあるが、今は俺を庇うのが優先。こんなところで変な仕事を請け負って足止めされたのでは。それに、有力者とお近づきになるというのも、今は御免蒙りたい。身分が高ければ高いほど、エキスタレアの上流階級との距離も近くなる。
「失礼ながら、ご職業は? 冒険者ではいらっしゃるのですよね?」
「あ、ああ、まぁな」
「それであれば、金額次第では仕事を請けてくださるものと思っておりますが」
いやな感じがする。
「いくら出すんだ、あんた」
「逆に、いくらならお引き受けいただけるんですか?」
「ハッ! 仕事の中身も聞かずに、そんなもん答えられっかよ」
しまった。余計なことを。
俺の気配が変わったのに、サビハも気付いたらしい。そう、こんな返事をしてしまったら、相手に説明をさせることになる。相手のペースに巻き込まれる。彼女らしからぬ失態だ。
目を輝かせつつ、ホジャインは言った。
「仰る通りで、確かに、仕事の中身を説明もせずに引き受けろというのは、無茶な話でしたな……といっても、ここアスカロンではありがちな話です。遺跡の探索をしていただきたいのですよ」
「まぁ、他に仕事らしい仕事なんざ、ねぇもんな」
「ただ、その遺跡が訳ありでして……」
サビハが舌打ちした。これは半分は本音、もう半分は演技だ。目立たないようにワナタイまで逃げ切ってしまいたい。だから、面倒な仕事は引き受けたくない。厄介事はごめんだよ! と意思表示しているのだ。だが、彼は構わず説明した。
「その遺跡に送り込んだ探索者が、しばしば干からびた死体になってしまうということがありまして」
遺跡の探索が危険なのは、別に珍しいことではない。古代の遺跡は大抵、かなりしっかり作られているので、建造物としてはかなり頑丈なのだが、それでも崩落事故も偶に起きる。また、内部には侵入者対策の罠が仕掛けられていることもある。魔物が徘徊しているところも少なくない。そして何より、同業者同士の殺し合いが起きることさえある。特に、財宝の在処が明らかになった場合などには。
「何か魔物にでも襲われたんだろ。正体不明のバケモノなんざぁ、珍しくもねぇだろが」
「それがですね、我々が回収した時点では、まだ生きていたりもするのです。ですが、普通に受け答えはできるのに、何をされたのかという話をされると、どうしても言おうとせず、そのまま衰弱して死んでしまうのです」
関わりたくない。なんだそれ。気持ち悪すぎじゃないか。
単に手強い魔物がいるとか、そういうわかりやすい話なら、まだいい。脅威に遭遇したら、挑むなり逃げるなりすればいいのだから。でも、これは事情がはっきりしないし、犠牲者の態度も不可解だ。
「いかがでしょう? 財宝探しはもちろんのことですが、この不審死の原因を明らかにしてくださった場合でも、高額な報酬をお支払いできるのですが」
「悪ぃけど、そんな厄介なネタには関わりたかねぇんだ」
そういってサビハは立ち上がりかけた。
「金貨百枚」
「はした金だな」
「解決料ではございません」
「あ?」
ホジャインは得意げな顔で言った。
「私の探索隊の一員として、迷宮に入って調査した日、一日分の日当が、一人頭金貨百枚。原因究明や解決に至った場合の報酬はまた別です。また、探索中に発見した財宝の所有権の半分も差し出しましょう」
「大盤振る舞いすぎねぇか」
「それくらい、あなた方の腕を見込んでいるのですけども」
サビハは迷いを見せて足踏みした。金と俺を天秤にかけているのではない。
これだけの好条件を蹴るということが、あまりに不自然だから。ここまで言われて、なお断ったとしたら、今度は理由を問われかねない。
「……宿にまだツレがいやがんだ。あたしの独断じゃ決められねぇ」
「ええ、結構ですとも。なるべく色よいお返事をいただきたいものですな」
これで、一旦の話し合いは終わった。
だが、ホジャインに見送られ、馬車に乗り込む頃には、俺もサビハも駆け引きに負けたような気分になっていた。
「お前がついていながら、どういうことだ」
「んなこと言われてもよ……いや、悪かった、わーるかった!」
夜、宿の部屋にて、シルヴィアは腕組みをしたまま、首を振った。
「軽率に喧嘩など買うからだ」
「買わなきゃ買わないで、一方的に殴られるんだぜ?」
俺が割って入った。
「不注意だった俺が悪い。或いは、後始末をサビハに任せずに、さっさと逃げればよかったんだ。とはいえ、後の祭りでしかない」
外の屋台から買ってきた串焼き肉や、野菜炒めの数々は、とっくに冷めきってしまっている。食べながら今後の方針を相談、というつもりだったのだが、いい案が思いつかない。
「とりあえず、一度は遺跡の迷宮に潜らなきゃなんねぇ。それで日当貰ってハイサヨナラ、ってのが一番自然だと思うぜ」
「その一度で、ナロが死ぬかもわからんのだぞ」
「わぁーってるよ、そんなのは」
「シルヴィア」
俺はやむなくサビハを庇った。
「怒っても仕方がない。あれだけの条件を示されて、金を欲しがらなかったら、ホジャインは俺達のことをおかしな連中だと思うだろう。サビハの言う通り、高額な日当だけ貰って知らん顔するのが、一番、合理的な態度なんだ。俺達は金に汚い冒険者を演じて、それからすぐ、なるべく早く船に乗ろう。この際、ワナタイ行きに拘らなくてもいい」
「そうだな。あたしらの顔とか覚えてるのがいるってのがまじぃんだ。印象に残る前に、さっさと別のところに移動して、それからまた、東に向かう船を探せばいい。ってか、他にどうすりゃいいんだよ」
「とにかく」
シルヴィアは、苛立ちを抑えようとするかのように、一度短く溜息をついた。
「そうだな。少しでも危険は小さくしたい。迷宮に挑むのは、ナロと私、お前の三人で行こう。人数が少なければ少ないだけ、いざという時には危ない」
「そうすっと」
サビハの視線がグリーダに向けられた。
「な、な、なななんですか?」
「グリーダ、お前さ」
サビハはやおら立ち上がると、部屋の隅に置かれていた背負い袋を開いてみせた。中には金色の輝きが詰まっている。
「留守番、頼める?」
「は、はいっ」
「はい、じゃねぇんだよ」
「えっ?」
彼女は乱暴な口調で言った。
「これだけの金、背負っていくわけにはいかねぇだろが」
「それは、そう思います」
「お前が見張るんだぞ? わかってんのか」
グリーダの顔が緊張に染まる。
「は、はい。しっかりやります」
「あたしらがいない間は、お前、部屋から一歩も出るな。食いもんも買い込んで、閉じこもれ。そういうこったぞ」
「もちろんです」
「前にも言ったけど、できそうにねぇなら、先に言え。好きなだけ掴み取りさせてやっから、消えてくれ。その方が困らねぇんだ」
「そんな!」
グリーダは、いかにも心外とばかり、声をあげた。
「皆さんがご不在の間、せめて留守だけはしっかりと。危ないところで役に立たない分、それだけはお任せください」
「大丈夫かねぇ?」
サビハは肩を竦めた。




