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ナール王物語 ~最強チートの合理的殺戮~  作者: 越智 翔
第四章「エレオノーラ」
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第三十八話

 俺は迷っていた。どうすべきか、考えをまとめられずにいた。それがいけなかった。

 硬直した俺の姿に気付いたサビハが、注意を舞台のほうに向ける。シルヴィアも真剣な眼差しでそちらを見始めた。


 しくじった。むしろ、これでよかったのか。

 どちらにせよ、もう後戻りできない。そんな気がする。

 いや、今すぐ回れ右して立ち去れば。だが、だが。


「あれは……言われてみれば確かに見覚えがあるな。城のメイドだったが、なぜ、こんなところに?」


 やはり、もう駄目だ。

 俺は半ば自分を呪いながら、意を決して一歩を踏み出した。


「おう、なんだ、若ぇの」


 地元の商人ではないのだろう。顔中髭だらけで、フードは被っていない。体格は逆三角形だが、ムキムキというよりは、余計な肉がダボついている感じがする。彼はタンクトップ一枚という格好で、女達の前に立っていた。


「もうすぐ店じまいだぜぇ」

「あんたは、奴隷商人か」

「ああ、そうだ。いつもはゾナマで仕入れることが多いが、今回はエキスタレアの女もいる。どうだ」


 やはり、そうか。外国で奴隷の身分に落ちた人間を売るために、ここまでやってきたのだ。


 ところで、こうして海を渡ってからの売却には、合理性がある。

 奴隷なんて、誰もがいやがる身分だ。だから、逃げられるものなら逃げ出したい。だがもし、エキスタレアで奴隷になった人物が、そのまま同じ土地で暮らすとなったら、どうだろう? 地元で暮らすとなれば、顔見知りも大勢いるし、さぞかし居心地が悪いに違いない。またもし、多少離れた土地でとなれば、今度は逃亡を企てるかもしれない。政府の治安能力が高ければ、それも防げるかもしれないが……この手の下層階級の人々は、しばしば混乱の火種になり得る。つまり、盗賊に身を落としたり、外国の軍隊に通じたりする危険性が付き纏うのだ。

 しかし、言葉もろくに通じない、地縁も血縁も何もない土地に送り込まれれば? 自分を購入した主人が与えてくれた環境でしか、当人は生きていけない。これこそ、彼女らが海を渡らねばならなかった理由なのだろう。


 さて、こうなってはもう、そ知らぬふりはできない。

 俺はチラリと横を盗み見た。まだ、グリーダはこちらに気付いていない。


「あの女は、いくらだ」

「ぷっ……よりによって、お前、まさかのブス専か? 美人のツレがいんのによぉ」

「抱きたいわけじゃない。余計なことは言うな。それより」

「最低落札価格が、金貨二百五十枚。競りはもう終わっちまったからなぁ……こいつらは、その売れ残りだ」

「売れ残りのくせに、そんなに取るのか」

「ああ、ありゃあワケありでなぁ……借金で流れてきたんで、それよか安いと、こっちが損するんだ」


 なるほどな。


「じゃあ、原価はいくらだ」

「おいおい、値切ろうってか? よせよ。相場ってもんがあらぁな」

「おい、ナール」


 後ろからサビハが追いかけてきた。


「買うんだったら、あたしに任せろ。んで、二百五十枚? このブスがか? バカ言ってじゃねぇよ」

「あぁん? この小娘が。ナメんじゃねぇよ。見ろ、売却委託証があんだろがよ」

「金額も書いてねぇもん見せて、何の証拠になんだよ。吹っかけんじゃねぇ」


 ひとしきりやりあった後、俺のほうに向き直って、彼女は言った。


「ナール、金貨百五十枚以上出す必要はねぇ。多分、百二十五枚だ」

「なんでそんなのわかるんだ?」

「相場じゃ、船乗りの取り分は二割だからな」

「ケッ」


 ごまかせないと悟った男は、足元に唾を吐きながら言った。


「てめぇら、そこまで値切ったんなら、絶対買えよ? ブスどもの食費もタダじゃねぇんだ」


 俺の肩に、シルヴィアが手を置いた。


「ナール」

「どうした?」

「いや、なぜメイドが……」


 彼女もちゃんと弁えている。小声でそっと尋ねているので、それとわかる。


「逃がしてくれた」

「そうか」


 これを説明した以上、もう逃げ隠れはできない。勇者ナロが恩人を見捨てるなど、あってはならないからだ。それに……

 この騒ぎで、グリーダが顔をあげてこちらを見た。あの表情。賢明にも、騒ぎ出したりはしていない。だが、確実にこちらには気付いてしまった。


「おい」

「なんだ、ボウズ」

「少し、彼女と話してもいいか。使い物になりそうか、確認したい」

「早くしろよ」


 どうでもいい女奴隷を買うのだと言い聞かせながら、なるべくぞんざいな態度を心掛けた。その甲斐あって、男は興味なさそうに答えた。


「あっ……ああぁ」


 目尻に涙を溜め、小刻みに震えながら。

 グリーダは歩み寄る俺を待ち受けた。


「静かに」

「はっ、はい」

「なぜこんなところに……いや」


 合理的に考えて、理由は一つしかない。


「俺のせいか」

「いっ、いいえ!」


 静かに話せと言ったのに。感情が激したのか、すぐにその指示を忘れてしまったらしい。首を大きく横に振って、そこでやっと冷静さを取り戻す。


「確かに、罰は受けました。ただ、お城の仕事からは外されてしまい」

「やっぱりか」


 唇を噛む。

 俺と関わったばかりに、せっかくの仕事をなくしたんじゃないか。


「それだけならまだ、他の仕事を探す余裕もあったのですが、その」

「なんだ」

「実家に帰ると、母が病になっていまして……でも、誰もお金を出せず」


 じゃあ、やっぱり俺のせいじゃないか。王城のメイドのままでいられれば、それなりの仕送りだってできた。なのに、いまや糊口をしのぐこともできなくなって、実家に逃げ帰ったのだから。


「それなら、と私が……お城でいただいたお給金の残りを出しても、少し足りなくて……」

「いくらだ」

「百……いえ、八十もあれば」

「くそっ」


 俺の舌打ちに、グリーダは俯いた。つましく暮らせば、一家が四ヶ月は生きていける金額。もし、俺が彼女を買い戻そうと思えば、それだけの負担を引き受けなければならない。救い出してくれるのは嬉しいが、迷惑をかけると思ったのだろう。

 だが、苛立っているのは、出費のせいではない。金ならある。背負いきれないくらいに。


 俺が怒りを感じているのは、『その後にすべきこと』のせいだ。

 後ろにそっと視線を向ける。シルヴィアが俺を静かに見守っている。きっと恩人を救おうとするに違いないと、そう確信している目だ。だが。なるほど、彼女には考える頭こそあるものの、人間の悪辣さという部分については、やはりまだ、思いが至らないのだろう。


 俺がしなければならないと思っていること、それは……


 グリーダの殺処分、だ。


 理由なら、いくつもある。

 まず、ここで今、俺がアスカロンにいることを知ってしまった。しかも、背後には彼女も見知っている元副団長までいる。誰を連れているかの情報までセットで把握した、ということだ。

 更に、彼女は俺を逃がした張本人だ。勇者として召喚したはいいものの、その魔力が危険な性質を帯びている可能性が高いため、毒殺する……書記官のライアがそう言っていたのを聞いてもいる。つまり、俺について知りすぎている人物の一人なのだ。

 まだある。グリーダの話は本当だろうか? 実は、俺を追跡するために派遣されたスパイではないのか。何しろ、俺の顔を間近に見ていて、かつ俺にも記憶されている人間だ。『ナロを庇ったせいで悲惨な境遇に陥った』というストーリーまで仕立てて、各地の港をまわっていた、なんてことはないか? 或いは、この話は半ば真実かもしれない。俺を逃がしたことをトゥラーティア王女あたりに見抜かれて、家族ともども処刑されたくなければ、なんとしてもナロを捕らえよ、とか……とすると、この売主も疑わなければならないが……。

 最後に、あの女悪魔の『忠告』だ。いや、今回に限っては『神罰』か。あいつの言う「女難」というのは、こいつのことか? もっとも、それが色恋沙汰に関する何かだとは、ちょっと考えにくくはある。シルヴィアもサビハも、平均よりずっと美人だし、まだ飽きてもいない。間違っても、こちらからグリーダに手を出すことなどない。


 もしかすると、これらはすべて、ただの邪推かもしれない。だが、そんなのは関係ないのだ。

 なぜなら、俺の存在を知っている以上、どこかで『気が変わった』だけで、こちらの安全が脅かされてしまうからだ。だから、目立たないところで口封じをしなければならない。


 恩人に対して?

 さすがの俺も、だから板挟みになってムカついているのだ。


「ナール」

「なんだ、サビハ」

「委任状持ちの奴隷商人は、落札額に応じた取り分が認められてるんだ。逆に、その取り分以上の金を自分のものにもできない」

「何が言いたい」


 今の話と値段からすると、金貨百枚で二十枚、百二十五枚で二十五枚が船乗りの取り分になる。残りの八十枚、ないし百枚は、債権者、またはグリーダの家族の手に渡る。


「お前にその気があればだが……」


 耳に口を寄せ、サビハは俺に入れ知恵する。


「高く買ってやれば、その分、こいつの家族に送金してやれるってことでもあるんだぜ」


 そういうことか。

 船乗りの手取りも増えるが、それは手数料と割り切るべきだろう。つまり、俺はグリーダの実家に立ち寄ることなしに、恩義に報いることができる。素晴らしい。

 サビハは、俺の沈黙を善意に受け取ったのだ。事情は知らないが、きっとこの女はナールの知り合いに違いない。手助けするにはどうすればいいかを教えてやろう、と。


 ……ならば。


「おぅ? 話は決まったか」

「ああ。この女を買う」

「じゃ、金貨百二十五枚だ。さっさと払え」

「いや」


 俺は息を吸って吐き、気持ちを落ち着けた。


「五百……いや、千枚払う」

「ハァ!?」

「手持ちはここにない。宿まで取りに来い」


 せめてもの罪滅ぼしだ。

 グリーダを家に帰すわけにはいかない。遅かれ早かれ、俺の存在が知られてしまうからだ。女悪魔が言うには、既に誰かは把握しているらしいが、だとしても情報源を与えたくはない。

 つまり、どう転んでも、グリーダを連れまわすしかない。そしてもし、スパイである可能性が浮上したら。事実かどうかを確認する余裕などない。その時は、この手で……。


「おっと待った」


 サビハが割り込んだ。


「さすがにそんな大金だと、こいつがネコババすっからな。あたしが知ってる公証人のところでやらせてもらうぜ」


 衝撃からようやく立ち直った男は、頬を緩めて笑い出した。


「はっ……こりゃあ、ちょっとした小遣いだな! ま、理由は詮索しねぇでおいてやる。ちゃんと払えよ」

「ああ」


 俺は頷いた。

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