第三十七話
「なぁ」
「なんだ」
「いい加減、この荷物、減らそうぜ?」
ようやく船から下りて、俺達は目の前に広がる街へと向かいつつある。
「この、あたしが背負ってる金属の鎧とかさ、ぜってぇ使わねぇだろ」
ゾナマでの経験もあって、今回は自分達だけで荷物を運んでいる。
この前のパワーアップのおかげで筋力までついたのか、背負っている金貨もそこまで重くは感じない。他二人もそれなりに体力がある。ナビゲーターになれるサビハがいれば、そこまで警戒しなくてもいいかもしれないが、念のためだ。
「確かに、この暑さでは、使い道はないかもしれんが……」
そう返事をしながら、シルヴィアは目で庇を作りながら、頭上の太陽を見やった。
ピラミアの玄関口であるアスカロン港。ここはゴヤーナと違って、すぐ目の前が市街地だ。
昼下がりのやかましい日差しに、赤茶色の四角い建物が立ち並ぶ。その虚ろな目と口が真っ黒な影を落としていた。三角屋根は見当たらない。必要ないからだ。
「うっぷ」
南から、建物の間を縫って熱風が吹きつける。乾ききった空気の中に、細かな赤い砂塵が混じる。足下の日干し煉瓦の隙間にも、砂粒がぎっしり詰まっている。
ここピラミアでは、ほとんどの土地が砂漠だという。僅かに存在するオアシスや、海沿いの土地の一部が、こうして人の住む領域として存在するのみだ。しかし、これだけ過酷な環境なのに、どうして住民は出て行こうとしないのか?
「へへん、しっかりしろよ、お嬢ちゃん」
「誰のことだ」
「あんただろ? ……ハッ、国じゃあご立派だったかもしんねぇし、腕も立つんだろうけどな。頭ん中の世界が狭ぇんだよ」
「サビハ」
俺は割って入った。
「よせ。人にはそれぞれ得手不得手がある。それに、そういうことを言い出すなら、一番の世間知らずは俺だ」
「あーっ、たく、わかったよぉ」
頭をボリボリかきながら、サビハは言った。
「んじゃ、一つアドバイスしとくぜ。この街じゃあ、とにかくナメられねぇこったな」
「そんなの、どこでもそうだろう?」
「あー、ま、そうなんだけどよ」
彼女は顎で街路を指し示す。
「道路見ろよ。立派なモンだろ」
「確かに、きれいに舗装されてるな」
「ここはな、二つの商売で成り立ってる土地なんだ」
それからは、細々とした説明が続いた。
一つ目は、すぐわかったが「貿易」だ。ここピラミアはアスカロンの港は、世界の「喉元」といっていい場所にある。
知られている世界地図を見渡すと、人の住む領域は、瓢箪を横にしたような形になっていることがわかる。大きいのが西側、特に北方の大陸で、俺が召喚されたエキスタレア王国がその真ん中、南東にグオーム王国、山脈を挟んで西南西にプレグナンシア王国が居並ぶ。その南、海を挟んで存在するのがゾナマだ。しかし、そこから東に向かうと、南北ともすぐに不毛の地に辿り着く。
北方大陸は、グオームの東側には小さな諸侯の領地があるばかりで、それもすぐ途切れる。ではその向こうはというと、何もない荒地だ。草木一本生えない、青紫色に染まった大地が広がっているという。大昔の大戦争のせいで、完全に破壊、汚染されてしまい、今も誰も住めないらしい。
その意味では、南方も似たようなものだ。ゾナマから海をまたいで東、ここピラミアも、ほとんどが砂漠になっている。昔からそうなのか、環境破壊でもあったのか、はたまたこれも戦争のせいなのか。とにかく、北は無人の荒野、南も砂漠ばかりの陸地。その合間の海沿いに、点々と街があるだけなのだ。必然、貿易の中継点としての価値は高まる。
交易が重要な土地だからこそ、こうして港湾も道路もしっかりと整備されているというわけだ。
なお、ここから東には何があるかというと、北方大陸の東端には大森林。そのまた向こうには、ワナタイ諸島がある。知られている世界地図は、ここまでで終わり。よって、もしワナタイからエキスタレアに向かうとなれば、また海を渡って西に向かうか……或いは大森林を北西に突っ切って、創世の地とされる聖地テンプレーを抜け、チレム火山を右手に見ながら南下するかになる。
もう一つの産業は何か? 「探索」だ。
ここピラミアには、無数の遺跡が存在する。かなり古い時代のものもあるらしく、中には貴重な魔法の品物や、今でも解読されていない不思議な文書などが残されているという。つまり、こういった宝物目当てに、冒険者達が各地から殺到するのだ。
そういう土地柄なので、どいつもこいつも海千山千、素性の知れない連中がウヨウヨしていて、ちょっとでもしくじろうものなら、あっという間に足元をすくわれる。
また、人は集まるのに生産物は貧しいので、必然、日用品の物価は高い。
「つーわけでな。お前らがやってくのに、あたしなしじゃあ、まぁ、三日もしねぇうちに一文無しさ」
「三日もいらん。私達はすぐ、次の船に乗ればいい」
「へぇー、お宝にも興味なしってか」
「当然だ」
「やっぱ、いいところのお嬢ちゃんは違ぇわ」
「そうではない!」
相性最悪だな、これは。
ほっとくとどんどんヒートアップする。
「金目当てでナールを危険な場所に連れ出すなど、本末転倒だからだ」
「ハ、ハハハッ! 訂正! あんた、いいわ! ギャグセンスだきゃあ、一流だな!」
「なんだと?」
「その、カネのために散々手間かけさせといて、よく言う……」
「サビハ」
溜息をつきながら、俺はまた割って入った。
「ここではお前を頼りにするのが一番だ。それは確かだ。だが、シルヴィアをけなす必要はないだろ?」
「だぁーからさ、そんな重い女なんざぁ捨てて、あたし一本に絞れよ。飽きさせねぇぜ?」
「シルヴィアは俺の剣も同然だ」
短期的に見れば、有用性ではサビハに軍配が上がる。だが、「彼女」の効果は既に切れている。気持ちは今も、少しずつ冷めつつあるはずなのだ。そしてもし、冷静と言えるところまで感情が落ち着いてしまったら、どうなるか?
サビハが俺のために捨てたものは、処女だけなのだ。となれば、割り切るのも難しくはない。一方、身分も故郷も、何もかもをなげうったシルヴィアには、帰る所がない。余程のマイナス感情がない限り、俺の背中を刺しようがないのだ。また、上流階級出身でもあり、従って忠義とか貞節といった規範意識が根っこにあるのも大きい。意に沿わない点があろうとも、一度決めたことは守らねばならないと思いつめることだろう。
つまり、長期的に見れば、末永く俺の味方でいてくれるのは、やはりシルヴィアのほうなのだ。ここは取り違えてはならない。それに、何より先に「彼女」になったという先占権を無視するのもよくない。順位があればこそ、秩序も守られるのだ。
「へいへい、悪ぅござんした……って、あそこだ」
サビハはとある建物を指差した。看板も何もないが……。
「あたしの顔なじみの宿屋だ。ああ見えてもな。言っとくけど、この辺でわざわざ看板出してるとこなんざぁ、どこも高ぇし、汚ねぇからな?」
「ああ、助かるよ」
「行こうぜ」
宿になんとか荷物を預けると、サビハは俺達に外に出るよう促した。
「アスカロンっつったら市場だろ!」
ということらしい。
東方行きの船は数日以内に見つかるだろう。だが、それまでの間、ずっと宿に引き篭もって過ごすなんて、もったいない。また、そうでなくても、ここは彼女にとっては故郷なのだ。ちょっとはお国自慢したい気持ちもあるのかもしれない。もっとも、慌てなくても明日、見物すればいいじゃないかと思うのだが。
だいたい夕方になると、市場は店仕舞いしてしまう。だからその前に軽く見て歩こうという腹積もりのようだ。
「治安は悪いけどよ、そりゃあもう、世界中の品物が集まるんだぜ」
日用品は割高だが、交易品はとなると、当然ながら、末端の消費地より安い。つまり、掘り出し物を見つけるにはもってこいなのだ。実際に買うつもりがなくても、見物するだけでも楽しめる。
だが、その市場の様子はとなると、実に簡単な構造物の寄せ集めに過ぎない。
木の棒を地面に立て、その上に布を渡す。それも二重にだ。一方、足元は地面のまま。砂埃がひどい。
そこに簡素な木箱がいくつも並べられる。これが商品の陳列台なのだ。しかし、店構えの貧弱さと、品物の価値が比例するとは限らない。
「なんと? これは珍しい香水だ」
「西じゃあそうでも、この辺じゃ、ありふれてるけどな」
「いくらだ?」
「金貨一枚ってとこか」
「なっ!? エキスタレアでは、安くても五倍、下手をすれば十倍はするのだぞ!」
目を丸くするシルヴィアに、サビハは得意げに説明している。
その向こうで、目深くフードを被った中年男が、これまた別の木箱に腰掛けたまま、身動ぎもせずにこちらを見ている。ゾナマの男達は、なんとなく剣呑な、という表現がしっくりくる顔つきをしていたが、こちらの男達はむっつりしていて、隙がない。じっくりと客を観察し、買うとなれば無言で取引をする。いつも目を半開きにして、表情を読まれないようにしている。
それにしても、と気がついた。
現地の住民らしき人々は、みんな白いローブを身につけている。この灼熱の土地では、これが合理的な服装なんだろう。そういえば、世界史の授業に出てきた十字軍とかも、金属の鎧の上に、日光を遮るサーコートを着用していたとか。シルヴィアのために、見繕ってもいいかもしれない。
そういう店はどこにあるのだろう? と首を伸ばして周囲を見回す。
「うん?」
ふと、開けた場所が目に付いた。
そこには、俯く女達が立ち並ぶばかりだった。なんだ、あれは?
「おい、サビハ」
「あん?」
「あれは……」
「ああ」
彼女は手をひらひらさせて、溜息をつきながら答えてくれた。
「奴隷市場だ。なんだよ、あたしらがいるってのに、あんな安物の女どもが欲しいのかい?」
「いや、そういうわけじゃ」
女は間に合っている。
そう思って視線を切ろうとした、その瞬間だった。
「あれっ……シルヴィア」
「どうした、ナール」
「あれ、見覚えある?」
「うん? どれだ」
「あの女。右隅の」
砂塗れの木の壁の前に立たされている、貧相な女。顔はそばかすだらけで、亜麻色の髪もボサボサ。まだ若いのだろうが、あれでは大した値はつくまい。
「エクス人のようだが」
「やっぱりそうか」
「見覚えがあるのか?」
「シルヴィアには、ない?」
「ああ……いや、どこかで見たような」
その程度の認識か。
無理もない。身分が違えば、それもかたや副団長、かたやメイド見習いでは。
だが、俺は覚えていた。
城の地下牢から逃がしてくれた恩人、グリーダの顔を。