第三十五話
ガタガタと木の扉を揺らす音。
ややあって、目の前の扉が開く。
「オッス」
膨れ上がった重そうな袋を背負ったサビハが、金貨をぶちまけている袋を蹴飛ばしながら、部屋に入ってきた。
何気ない感じをだそうとしているが、どこかぎこちなさが残る雰囲気だ。
ってことは、やっぱり、そういうことか。
「よく眠れたかい?」
「お前は寝不足だろ。何しろ、盗んだお宝を担いで、夜通し歩いたんだからな」
「心配しなくていいぜ? あんたが魔人と戦ってる間は、ずーっと寝てたしな。泥の中で」
ただ、口の利き方に変化がないが。
いや、そう簡単には、元の人格の殻は破れない。思い出せ。シルヴィアだってそうだった。
「だったら、戻ってくる必要はないよな」
「ないな」
「だったら、そのまま行けよ」
「おいおい、せっかく戻ってきてやったのによ」
「一度は盗もうとしたんだろが。そんな奴、信用できるか」
「あーっ、ったく、返すよ、返す。全部、キッチリ返すし、今回の仕事の報酬もいらねぇよ」
そう言いながら、彼女は部屋の中の小さな椅子を引っ張ってきて、そこに腰を落ち着けた。
金も全部戻ってきたし、とりあえずあの村にいたヴァン族も皆殺しにした。シルヴィア達も無事らしい。ならば円満解決だ。ハッピーエンドだ。
あとはこいつをごまかしさえすればだが。
「まあ、そう言うな。出すものは出す。とりあえず、このロープを切るか、ほどくかしてくれないか」
「そいつはできねぇな」
和解ムードのはずが、サビハはハッキリ拒絶した。
「なんでだよ」
「ほどいたら、あんた、あたしを許しちゃおかねぇだろ? 斬り殺されちゃたまんねぇ」
「そんなことはしない」
「どうだかね」
「じゃ、俺を殺すのか」
「いんや、それもするつもりはないねぇ」
「じゃあ、どうするつもりなんだ」
すると、暗がりの中、サビハの目が妖しく光った。
「なあ」
「なんだ?」
「こんだけ金がありゃ、一生遊んで暮らせるだろ」
「まあな。なんなら、持てるだけ持って、どこかに消えたっていいんだぞ?」
「じゃ、ここにあるもん、欲しいだけもらっても、問題ないんだな?」
「ああ、好きにしろ」
すると彼女は、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃ、そうしようかね」
「オッケー、じゃ、これで仕事は終わりだ。報酬は、お前が持てる財宝すべて、掴み取りだ。好きにしろよ……っ!?」
いきなり、サビハが俺の上に覆いかぶさった。
そして、無心に唇を吸ってくる。
「ぶはっ……な、何する」
「欲しいだけくれるんだろ」
「それは金の話」
「今、あたしが欲しいのは、あんただけだ」
「俺をくれてやるとは一言も」
「この金を持って、二人で遠くに行こうぜ。どうせもう、ゾナマにはいられねぇ。あれだけ殺っちまったらな。安心しろよ、あたしがあんたの面倒を見る」
「お、落ち着け! 落ち着け! ちょっと待て!」
怒鳴り声に、彼女は俺の胴体の上に跨りながらも、背を伸ばして起き上がった。
「いいか? 自分で自分の心に聞いてみろ。お前は、お金が好きだ。ハイかイイエか」
「もちろん、金は好きだ。だが、ついさっきどうでもよくなっちまった」
「ついさっきって、いつだよ?」
「森の中を逃げてた途中だったな。盗みに手を出したのは、これが初めてだったんだぜ? けど、大金だったしな。嬉しいのと、怖いのと、なんかこう、罪悪感とで、頭の中がいっぱいだったんだが……もうちょいで街道に出られるってところで、ふと、急に足が止まってな」
「はぁ?」
「いきなり、胸の奥から……こう、堪えきれねぇ気持ちがよ、湧きあがってきちまって……気付いたら」
話しながら、だんだんと声がか細くなる。
「戻ってきちまったんだ……!」
「それ、おかしいだろ!?」
「おかしい! おかしいけど、おかしくねぇ!」
「いや、おかしいって認めたよな、今!?」
「おかしいことがおかしい! なあ、あたしは女だ! そんでお前は男、私の男だ!」
「最後、最後! 非合理的だ! 論理、飛躍してるだろ!」
「してない! しててもいい! とにかく、あんたは私と一緒に、この国から逃げるんだ。それでその後は、ずっと愛し合うんだ!」
ダメだ、これは。
何を言っても通じない。
このトチ狂った状態で、シルヴィアもマグダレーナも、俺を追いかけているのか。彼女らの場合、教育も理性もあるから、それでもまだ、控えめな態度ではあったが……。
けど、シルヴィアも最初は、いきなり組み付いてきたんだったっけ。
しかし。
しかし、だ。
マグダレーナ相手でもあれだけキレてたシルヴィアが、この粗暴なサビハに我慢できるか?
あり得ない。
となれば、なんとかこいつを撒いて、逃げ切るしかない。
いや、サビハも美人ではある。
シルヴィアより一回り小柄で、均整の取れた、メリハリある体つきをしている。マグダレーナほどほっそりとはしていないが、その分、健康的とも言える。しなやかにしてたくましい。それが彼女の魅力だ。
だが。ここで目先の楽しみに手を伸ばしたら……。
いっそ、受け入れる態度を見せたほうが、うまくいくかもしれない。
「わ、わかった」
「わかってくれたか!」
「じゃ、今すぐ、お前を抱こうと思うんだが、構わないよな」
「えっ」
おっと?
顔が歪んだが?
「そ、その……」
「なんだ、いやなのか」
予想外だ。
急にしぼんだ風船玉みたいになったが。
「い、いやじゃない! た、ただ、は、はじめてで」
「いぅえっ!?」
人は見た目に寄らない。
過去に何人男がいても不思議じゃない感じのサビハなのに。美人だし、性格はアグレッシブだし、別に身分があるわけでもないのに。
「ほ、本当なんだ! 今まで、男に興味を持ったことなんか、なくて」
「そ、そうか」
なんともはや。
しかし、これは好都合だ。
「それなら、俺に全部任せてくれ。とりあえず、ロープを」
「いや!」
いきなり、決然としてサビハは起き直った。
「逃げられたくねぇ!」
「なっ」
「逃げるんだろ! 逃がさねぇ!」
「ま、待て! 落ち着け!」
「逃げられるくらいだったら……このまま、愛し合って……そんでもって、せめて、一人で子供を産んでやる……!」
ブッ壊れてる!
どこまで妄想してるんだ、こいつは!?
「そんなの、子供がかわいそうだろ! ってか避妊しろ!」
「しない! お前、逃げるから!」
「逃げられるような奴が悪いんだろ!」
「このぉ……そういうこと言う奴は……」
目がイッちゃっている。
懐から、ナイフを取り出した。
「こうしてやる」
「わぁっ!」
「切り刻んで」
股間は、股間はやめてくれ!
さすがにそれはキツい!
「動くなよ」
ビリッ、と音がして、ズボンと下着に、丸い穴を開けられた。
マジかよ!?
「これで、このままで愛し合えるな!」
「これ、愛し合うってもんじゃないだろ!」
「よーっし! 覚悟決めるかぁ!」
ナイフを床に転がすと、サビハは勢いよくジャケットを脱ぎ捨てた。上はラフな袖なしシャツ一枚。ブラなどはつけていないが、それでも形のいい乳房は、ツンと上を向いていた。
「で、どうやりゃいいんだ?」
「知るか!」
「ま、なんとかなるだろ!」
また、俺に圧し掛かり、顔を寄せてくる。
「ナール」
「なっ、なんだ」
急にもじもじしながら、サビハは言った。
「好きだ。愛してる」
それに答える余裕も与えず、また強引に唇を奪うと、彼女はもう、その手を止めようとはしなかった。
木窓の隙間から漏れる光が橙色になり、やがて白くなる頃。
相変わらず拘束されたままの俺の上に、ほぼ全裸のサビハが、絡みついたまま、ぐったりと横たわっていた。
俺がくれとも言わないうちに押し付けられた報酬、絶倫軍曹のせいなのか、一方的に襲われただけなのに、この通り、結果が成立してしまった。今、サビハは俺の胸に頬擦りしながら、見たこともないような気の抜けた顔をしている。
なんてこった。
こうなったらもう、こいつ……いったん撒いても、地の底まで追ってくる。
どうしよう?
と思い悩んでいたその時。
ガタン、と玄関のほうから物音が。
まさか。
「ちょっ……!」
あの女悪魔、よくも!
こうなる前に呼んでくれればよかったのに、何で今頃!? このタイミングで?
わざとだ。絶対そうだ。
だが、逃げ場などない、そもそも、身動きもできない。
サビハは物音に気付いて、のったりと身を起こす。だが、まったく慌てていない。
ドバン! と音を立てて、扉が弾け飛ぶ。
そこには、剣を携えたシルヴィアが立っていた。
更にその後ろには、マグダレーナまで。
「ナ、ナロ……!?」
う、わ、あ。
二人とも目を白黒させている。もちろん、俺もだ。
「よーぉー」
サビハ一人、余裕の笑みを浮かべていた。
……五日後。
俺は一人、ゴヤーナの街を歩いていた。
あの、薬草小屋からの帰り道は、本当の針の筵だった。女三人、それが全員無言。不敵な笑みを浮かべつつ、二人の憎悪を一身に浴びるサビハ。怒りに燃えるシルヴィア。そして、羞恥心と劣等感に苛まれるマグダレーナ。
セリオス司教のところに引き返して報告を済ませ、俺は最初の約束通り、サビハには謝礼を支払った。また、マグダレーナについては、司教と話し合って、彼女を預けていくことにした。彼から説得できるようにと、今回のヴァンパークの森でのトラブルについても、詳しく説明した。その上で、俺はなるべく彼女とコミュニケーションを取らず、出発も予定も知らせず、セレスティアルロッドを司教に押し付けて、教会を去った。
というわけで、今まで通り、シルヴィアと二人で旅をする……はずだったのだが。
ピラミア行きの船を予約する段になって、彼女の言語能力が問題になった。ゾナマ語もピラミア語も話せないし、現地事情にも疎い。そんな彼女と俺が、チケット売り場でモタモタしているところに、サビハが現れたのだ。尾行でもしていたに違いない。
あたしが代行してやる、と勝手に言い出し、俺とシルヴィアのために、スイートルームを予約。そこまではいいのだが、サビハ自身、その船の二等客室のチケットを取った。どうやら、何が何でもついてくるつもりらしい。
そんなこんなで、船はもう、一時間もしないうちに港を離れる予定となっている。
男一人で気楽に散歩。それがこんなにも気持ちいいものだとは。
だが、別に自由を満喫するためにほっつき歩いているわけではない。ちょっとした忘れ物がある。そのためにわざわざ、街まで舞い戻ってきたのだ。
乗船のために荷物を運ぶ途中……俺は目敏く見つけてしまった。
ゴヤーナの街は、相変わらず汚らしかった。今日も快晴だったが、足元にはいつかのように水溜り。それも濁っている。人や家畜の排泄物が混じっているのだろう。じっとりとした空気、地面から滲む熱気。あちこちをハエとかブヨが飛び回り、道端には、どんな仕事で食っているのかわからないような男達が数人、屯している。
俺は、そんな男達のうちの一人を、そっと後ろから眺めていた。
そいつは、腰を浮かして、路地裏へと向かう。俺は何食わぬ顔をして、その後を追った。
人一人が通れる狭さの路地。空気がすっと静かになる。
そこで俺は、手早く『黒霧』を実体化させた。
「ひっ」
「騒ぐな」
一瞬で背後に取り付き、俺は男の首元に刃先を添えた。
「お前一人だけ、無事で済むわけがないだろ?」
「な、なんのことだ」
「数日振りだな」
「お、お前なんか、知らん」
ゴヤーナに到着した当日、教会への道を探していた俺達に声をかけてきた、ヴァン族の中年男。
同族の仲間に声をかけ、俺達を罠にハメて金品を奪い取り。その金額の大きさに、仲間の人夫を殺し。森の中央にある一族の本拠地から魔人まで連れてきた。
だが、何をどうやったのか。こいつはセト村の殺戮を逃れて、何食わぬ顔でゴヤーナに舞い戻っていた。
「もしかしてお前。もう、ヴァンパークの森には、戻れないんだろ」
「な、なに」
「本部から魔人まで呼んだのに、金品は奪えなかったし、仲間も大勢死んだし。こっそりゾナマを出るしかないもんなぁ」
「お、お前……く、くそっ」
俺が何しにきたか、もうわかったらしい。
「み、見逃してくれ」
「……なんで?」
「悪かった、魔が差したんだ」
「謝らなくていい」
こいつが低姿勢なのは、もはや一族の力をアテにできないからだ。後ろに誰もいない、逃げ場を探すだけの男。
だから、俺も容赦する必要はない。
「ぎあ!」
剣の先端が、こいつの膝を刺し貫く。
路地に男は倒れこんだ。
「ひいっ、ひいっ……ぐあ!」
念のため、両足を。
それから、俺は足でそいつの片腕を踏みつける。
「ジタバタするなよ?」
サクッ、と指を一本、切り落とす。
「ふぎえっ!」
「もう一本……」
「げっ! や、やめ」
「いや、待てよ?」
指を横に切って切り落とすより……。
「ぐあああ!」
「縦切りにしたほうが、痛そうだな」
俺の忘れ物。
それは。
ここ、ゾナマで受けた苦しみの数々に対する、最後の意趣返し。
この際だから、たった一人の生き残りに、その辺を全部引き受けてもらおう。
「ぎゃあああ!」
断末魔の悲鳴をあげながら、男は路地を転げまわり、そして、動きを止めた。
俺は周囲を見回す。人影はない。
目撃者は、たぶんいない。いても、俺はもうここを離れる。そして二度と戻らない。
ヴァン族に追われる? そんなの今更だし、少なくとも、こいつを殺したことで追及が激しくなるなんてことはない。
「ふう……スッキリした。返り血、ついてないよな?」
と自己確認。剣についた血は、『黒霧』自体を消せばキレイサッパリ落ちるので、問題ない……。
「ついてないよー」
背後から、聞き慣れた声。
なんだ、またあの女悪魔……と思って、ハッと振り返る。
「やっ」
満面の笑みで、そいつは立っていた。
「お、お前」
「やるようになったねー」
いつものあの女悪魔。
但し、今回は実体化している。ちゃんと地面に足をつけて、ここに立っている。
「お前、こっちに来れたのか」
「ん? いつでも来れるよー? 当たり前じゃん。一応、この世界を支配する神様なんだからさ」
てっきり、あのピンクの膜の中からしか行動できないんじゃないかと思っていたのだが。
「で、何しに?」
「別にー? ちょっと見にきただけー。やー、今のはなかなかよかったよー」
「何がだよ」
「やる必要もない殺人だからね」
ニタニタしながら、その指でそっと俺に触れる。
「ピールの傭兵達みたいに、戦うしかない相手でもない。薬草小屋の一家みたいに、口封じをする意味もない。魔人の時みたいに、やらなきゃ自分が死ぬ状況でもない。なのにわざわざ手間をかけて殺しにくるんだもん」
「恨みがあるだろ」
「そうだねー」
実に。
実に楽しそうだ。
俺が人を殺すたび、こいつは本当に上機嫌になる。
「じゃ、いこっか」
そう言いながら、彼女は俺に腕を絡めてくる。
「おい」
「なにー? これくらい、いいじゃんー。人払いしてあげたんだからさー」
「ああ、はいはい、どうも、ありがと」
「心がこもってないー」
「だって、どうせゾナマの連中なんて、自分に関係ない奴を殺してるの見たって、何もしないだろ」
「ははっ、それは言えてるー」
そう言いながら、女悪魔は、俺の肩に頭をグリグリこすりつけてくる。
「おい」
「なに?」
「女の匂いがつくとまずい。頼むから」
「よかったねー、ついにハーレムライフスタートじゃん」
「冗談じゃないぞ」
「これからも彼女がバンバン増えるからねー」
「お前なぁ、そんなの、どう処理すればいいんだ」
すると、俺に視線を向けながら、彼女はハッキリ言い切った。
「簡単な解決方法、教えてあげよっか?」
「なんだよ?」
「あのね、いっぱい殺すの!」
「結局それかよ!」
からからと笑い声をあげる女悪魔に手を引かれながら、俺は下を向いて溜息をついた。