第三十四話
「おっはよー!」
「ん? もう朝か?」
目を開ける。
と、気付いたら、そこはピンク色の空間だった。
「なんだ、またお前か」
「なによー、起こしてあげたのに、その態度ー」
「ありがたみがないからな」
しかし、女悪魔が出てくるということは、何か用事でもあるのだろうか?
「ひどいなぁ、プンプン」
「わざとらしすぎて、何も言う気になれん」
「ふーんだ」
そう言いながらも、彼女は急にニタニタしだした。
「だんだん慣れてきたみたいだねぇ」
「んー?」
「人殺しに」
「しょうがないだろ」
「うんうん、ああでもしなきゃ、魔人には勝てなかったよ。君が非戦闘員は殺さないとか、きれいごとを言ってたら、あそこで死んでたはずだったんだから」
何か引っかかるな。
結局、こいつにいいように誘導されただけなんじゃないかって気になってくる。
「そんな顔しないー。ちゃんと自分で考えて、選んで生き残ったんだからさ、もうちょっと嬉しそうな顔するー」
「殺して喜べってか」
「じゃ、悲しい? 後悔してる?」
「けっ」
本当に根性が捻じ曲がった女だ。
「ってかさ」
「うん」
「殺しが好きなら、自分でやれよ。できるんだろ?」
「うん! 大得意ー」
「じゃ、いちいち俺を使うな」
「それがねー、大人の事情がいろいろあってさー」
どんな事情だよ、まったく。
「ね、それよりさ」
「なんだよ」
「君、自分が今、どんな状態か、わかってる?」
「は?」
ピンクの膜の一部がすうっと薄くなる。
その向こうに見えるのは、俺の肉体だが……。
「は?」
ベッドの上の俺は、いつの間にかグルグル巻きにされている。
そして、室内にあるはずの袋が一つ、なくなっている。宝石の入っていたほうだ。
金貨は? リュックは横倒しになっており、金貨が半分近く消えている。
「な、なんで? いくらなんでも、気付くだろ、俺」
「間抜けだねー、サビハちゃんの薬湯、飲んだでしょ?」
「すぐ吐き出した! なのになんで」
「胃で吸収されるタイプの薬だったしね。すきっ腹だったから、あっという間に体の中にしみこんじゃった。半分以上は吐いたみたいだけど、それでも十分、効いちゃったんだよ」
「でも、それなら、サビハも飲んだだろ?」
「解毒薬を用意して飲んだんだよ」
「くそっ」
しかし、ってことは、これで俺は死んだのか?
合理的に考えて、サビハが俺を生かしておくはずがない。生きていれば、魔人を倒した恐ろしい男が、自分を付け狙うだろうから。
「大丈夫だよー、睡眠薬だから。ただの」
「へっ? なんで?」
「さすがに、サビハちゃんも、そこまで悪党じゃないんだよー? 盗むかどうか、結構迷ってたところはあったねー」
「ふん、結局、やったんじゃないか」
「まあねー。で、そろそろ体も目覚めるねー。でも、このままだと、縛られてるから、自分では脱出できないかなー」
「えっ……」
「火事場の馬鹿力使っちゃったからなー、ロープを引き千切るのも無理だしー、そうなると、誰も助けに来ないと、ここで飢え死にかなー」
「ば、馬鹿な」
冗談じゃない。
一難去ってまた一難。
金をなくしただけならともかく、こんなところでそんな死に方なんて。
「というわけで、特別サービス! シルヴィアちゃん達を、ここに呼び寄せてあげようー!」
「なにっ」
「あ、私の姿は見せないよ? なんとなーくここに誘導するの。で、君を発見させるわけ」
確かに、そうしてもらえれば、助かるが……。
「シルヴィアはもう、動けるのか?」
「完全には回復してないけど、そろそろ歩く程度はできるようになるかなー。一晩中、マグダレーナちゃんが頑張って看護してたからねー」
そうか。
これでそっちも安心か。
「じゃあ、早速……」
「でもー、その前にー」
女悪魔は、俺にジットリとした視線を向けてきた。
「な、なんだ?」
「ガチャ! ガチャ! ねー、ガチャ、引こうよー」
「は?」
「ほら、ここ! キル数四十五で、ノーマルガチャ七回! 五十五でプレミアムガチャ一回! 引いてよ!」
「なんで今?」
「んー、なんとなく? ってか、ランダム要素って、燃えるじゃん?」
その手は食わないぞ。
「何がランダムだ。絶対仕組んでるだろ。この前のアイスウォレスの牙なんか、なんであんなものが出るんだよ?」
「偶然だってばぁー」
「偶然すぎるだろ!」
「ねぇー、ねぇー」
「いやだ」
冗談じゃない。
こいつは俺のトラブルを楽しんでいるんだ。
「ガチャは引かない」
「え」
「特にプレミアムガチャとか。もったいないじゃないか」
「じゃ、ノーマルだけでいいよー」
「そっちもやめ」
「えー? なんでー?」
「また罠でも仕掛けてるんだろ。思えば、あれのせいで……」
マグダレーナから逃げようとして、ゾナマなんかに来ちまった。で、シルヴィアは死にそうになったし、俺も危うく殺されるところだった。
「君が変にやせ我慢しないで、ちゃんとマグダレーナちゃんを愛してあげればよかったんだよ」
「できるかっ」
「できるよー」
「シルヴィアが」
「わかってないなぁー、君ってホント」
「ああ? なにが?」
チッ、チッ、と指を突きたてながら、女悪魔は言った。
「男は浮気するくらいじゃなきゃダメなんだよ? 女の子のいうことをハイハイ聞く男なんか、すーぐ評価を下げられちゃうんだから。だいたい、どこの家でもそうでしょ? 結婚して何十年も経った夫婦ってさ、だいたいカカァ天下だったりしない?」
「そういやそうだけどな」
「だーかーらぁ。『俺はいつでも他の女に乗り換えてもいいんだぞ』ってわからせる。ね? ライバルは恋のスパイスなんだぞっ」
「ライバル? トラブルの間違いじゃないのか?」
俺の抗議を他所に、女悪魔は俺の両手を揺さぶって、急き立てる。
「だからー、ガチャー、ガチャー」
「ライバルは一人で十分だろ」
「引かないとー」
「引かないと、なんだ?」
「シルヴィアちゃん、呼んであげない」
「あうっ?」
「それどころか、人を寄せ付けない結界張っちゃう」
「ふ、ふざけるな! そんなことされたら」
「ついでに、君を縛ってるロープも、魔法金属繊維を織り込んだ、絶対切れないやつに……」
「わー、待て待て!」
ちっくしょう。
「わかった、わかった、引いてやるから」
「ホント? わぁい!」
いつかのように、このピンク空間の中にいきなり、スロットマシンが出現した。
レバーに手をかける。
まったく、また「レア彼女」でも引き当てるんじゃないかと、気が気でない。
「ま、いきなりはない……よな?」
ガシャコン、と音をたててレバーが下りると、静けさの中、マシンはピコピコと電子音を鳴らし始める。ピピー、と甲高い音が鳴り響くと、シュコッ、と空気の抜けるような音とともに、一枚のカードが取り出し口に落ちてきた。
「ふう、アンコモンか」
「小当たりだねー」
「つまらんことをいちいち覚えてるんだな」
「君もねー」
シールをめくると、こう書いてあった。
『雷の指輪』
雷? の指輪?
ってことは、魔法の道具か?
「おー、いきなりおめでとー! マジックアイテムだよ、それー」
「これが、魔法を使うのに必要な道具ってやつか?」
「うんー。その指輪から、電撃を飛ばせるねー。君の魔法能力はレベル2だし、その指輪もそこまで高性能じゃないから、あんまり威力は出ないけど、でも、便利だと思うよー」
「これは素直にいいものみたいだな」
「でしょでしょー」
ガチャを引いておいてよかったでしょ、と言わんばかりに、女悪魔はガッツポーズをとっている。
だが、騙されるものか。
さて、次。
全部で七枚もあるんだし、サクサク片付けないとな。
ガシャコン、と音をたててレバーが下りると、マシンはいつも通りにピコピコと電子音を鳴らし始める。ピピー、と甲高い音が鳴り響くと、カシュン、と空気の抜けるような音とともに、一枚のカードが取り出し口に落ちてきた。
「コモンか」
「残念だったねー」
「レア彼女より、ずっとかマシだ」
シールを引っぺがすと、こう書いてあった。
『緊急用レーションセット・三日分』
なんだ、これ。
また同じもの?
「かぶっちゃったねー」
「あー、そうみたいだな。ま、しょうがないか」
「でもこれ、そんなに捨てたもんじゃないんだけどなー」
「そりゃあ、メシは無駄にはならんしな」
「それだけじゃないよ? この世界で、ほぼ半永久的に保存できる食料なんて、そんなにないんだからー。温度がちょっと上がったり、湿気にやられただけで腐ったりとかするのが普通なんだから、これはこれで便利なんだよー?」
「言われてみれば、そうなんだけどな」
よし、次。
あと五回か。
ガシャコン、と音をたててレバーが下りると、マシンは気だるげにピコピコと電子音を鳴らし始める。ピピー、と甲高い音が鳴り響くと、カシュン、と空気の抜けるような音とともに、一枚のカードが取り出し口に落ちてきた。
「またコモン?」
「普通はそんなもんじゃないかなー、今までがラッキーすぎたんだよー」
「ま、それは納得だけどな……どれどれ」
シールを引っぺがすと……俺はカードを床に叩きつけた。
「なんだこれ! ふっざけんな!」
「キャハハハ! なに? 何を引いたの?」
「知るかっ! ボケナス!」
知るかと言いつつ、しっかり中身は見てしまった。
よりによってこんなものを……!
『魔法避妊薬・十回分』
カードを拾い上げた女悪魔は、表面に書かれた文字に目を落とす。読むにつれ、口元に歪んだ笑みが浮かんでいく。
「うっわぁー……特に、えっちな君には、実用品だねー」
「うるさい!」
「これ、一回使うと、一年は効果が続くよー?」
「だからなんだ」
「すぐにでもシルヴィアちゃんとかに飲ませたほうがいいんじゃないー?」
「余計なお世話だ」
「んー、でもさ。逃亡中に腹ボテになったら、逃げられるものも逃げられなくなるよ?」
くっ。
言われてみれば、その通りなのだが。
「じゃ、つぎつぎー」
「あー、わかったわかった、ったく」
促されて、またレバーを引く。
ガシャコン、と音をたててレバーが下りると、マシンはそっけなくピコピコと電子音を鳴らし始める。ピピー、と甲高い音が鳴り響くと……直後に『パンパカパーン』とファンファーレが奏でられた。そして、一枚のカードが取り出し口に落ちてくる。
「おい」
これは、レアだ。
「ん? なになにー? おめでとー?」
「おめでとうじゃない。これ、レア彼女じゃないよな?」
「どうかなー?」
「言っとくけど、レア彼女は受け取らないからな」
「ふーん」
俺は女悪魔を睨みつけながらカードを拾い上げ、シールを引っぺがした。
『セレスティアルロッド』
なんだこれ?
「おおー! 当たり! 小当たりじゃない当たりだよ?」
「いちいち言わなくていい。で、なんなんだ、これは」
「魔法の杖だねー。治癒魔法とか、浄化魔法、防御魔法を使う時の道具なんだよー」
「さっきの指輪とどう違うんだ?」
「もうね、性能が段違い。いろんな術にも対応してるし、こっちは正真正銘の高級品だねー」
「そうか」
でも、俺はマグダレーナを旅に連れて行くつもりはない。
女悪魔はライバルが必要とか言っているが、真に受けていたら、きっと大変なことになる。
「なにー? 嬉しくないのー?」
「いや、まあ、マグダレーナにあげるにはちょうどいいのかもな」
「うんうん、それを使ってもらって、どんどん守ってもらえばいいよー」
そうはならないだろうけどな。
彼女のことは、セリオス司教に預かってもらうつもりだから。
さて、次だ。
ガシャコン、と音をたててレバーが下りると、マシンは無心にピコピコと電子音を鳴らし始める。ピピー、と甲高い音が鳴り響くと、シュコッ、と空気の抜けるような音とともに、一枚のカードが取り出し口に落ちてきた。
「お……また」
「小当たり」
「しつこい」
シールを剥がすと、こう書いてあった。
『シャドウマンティスアーマー』
ふむ? よくわからない。
鎧、だろうか?
「おおー、なかなかのものだねー」
「これは、防具か?」
「ずっと西のほうに棲息してるシャドウマンティス……でっかくて黒いカマキリの魔物を材料にした鎧だねー。軽くて丈夫で、動きやすくて。手入れも簡単で、臭いもつきにくいし……君が使うのにちょうどいいんじゃないかなー」
「そりゃあよかった」
今まで、しっかりした防具がなかったから、正直、戦いのたびに不安を感じていた。これがあれば、ちょっとしたかすり傷なんかは、かなり防げるだろう。
「じゃ、残り二枚だねー」
「そうだな」
と言いつつ、俺はここで終わりにするつもりだ。
前回も、その前も、最後の一枚がレア彼女だったからな。
ガシャコン、と音をたててレバーが下りると、マシンはピコピコと聞き慣れた電子音を鳴らし始める。ピピー、と甲高い音が鳴り響くと、カシュン、と空気の抜けるような音とともに、一枚のカードが取り出し口に落ちてきた。
「コモンだな」
「ハズレだねぇ」
「んなことはないさ」
シールを引っぺがすと、こう書いてあった。
『ナイトシールド』
「ふん?」
「ああー、品質はいいけど、ま、普通の盾だね、これは」
「大きさとか、重さとか」
「幅広の盾で、金属製だから、重さもそれなりかな? 盾はただ受け止めるんじゃなくて、受け流すように使わないと、すぐ駄目になっちゃうから、これは使い慣れてるシルヴィアちゃんにあげたほうがいいかなー」
「そうだな、そうしよう」
もっともな意見だ、と思ったのだが、そこで女悪魔は、なにやら含み笑いをしている。
「なんだ? なんだよ?」
「ん、やー、だってさ」
「だって?」
こらえきれない、と言った様子で、彼女は早口に言い切った。
「ププッ……ね、ねえ、これって結構堪えるよねー、だってさー、恋のライバルのマグダレーナちゃんには財産モノの魔法の杖をプレゼントするのに、シルヴィアちゃんには普通の盾だもんねー、これは差を感じちゃうよねー」
言われてみれば。
「う、くっ」
「かわいそー」
「じゃ、じゃあ、そうだ、『黒霧』、あれを」
「無理ー」
「なんでだよ」
「持ち主が君だからー。君が死なない限り、もうあれを自由に消したり出したりできるのは、君だけなんだよねー」
「ちっ」
なら……。
「あ、シャドウマンティスアーマーも、もう無理だよー? 君のサイズに合わせて床に置いちゃったからー」
「なっ」
くそっ、こいつ。
「なら、雷の指輪を……」
「渡してどうするの? 君は魔法を使えるようになったけど、シルヴィアちゃんにはまず無理だしー?」
「じゃ、じゃあ、いっそ、手持ちの金や宝石も全部」
「そんなのもらっても、悲しむだけじゃない? だってシルヴィアちゃんは、君に甘やかしてほしいんじゃなくて、君の役に立ちたいんだからさ。なのに、普通の剣と盾しかもらえないなんて……期待されてないって思っちゃうよね」
「こっ、このっ」
「これはもう、引くしかないねー」
「ん?」
そういうことか。
この女悪魔、よくわかっている。
合理的な戦術だ。
「君さ、あと一回、引かないで済ませるつもりだったでしょ?」
読まれていた。
「でも、ちょーっとそれはかわいそうなんじゃないかなー?」
「どうしろっていうんだ」
「もちろん、ガチャ! 七回、最後まで引けばいいんだよ!」
で、トドメにレア彼女か。
その手は食うか。
「で、また出すんだろ」
「え? 何をー?」
「レア彼女」
「そうそう出るものじゃないんだよ、あれー」
「嘘つけ」
「ホントホントー」
「よーし、じゃ、お前が約束するんなら、引いてやる」
「約束? 何を?」
俺は女悪魔を指差して、ビシッと言い切った。
「このガチャの結果。レア彼女が出たら、無効。引き直しだ。もちろん、引き直して出たのがまたレア彼女でも、やり直し。これを約束できないなら、俺は引かない」
「おっ」
俺の要求に、女悪魔は頭を抱えた。
「ちょーっとそれはなー」
「飲まないなら、引かない。それだけだ」
「引く前から結果を要求するとか、ズルくない?」
「ガチャの結果を操作するほうがズルいだろ」
「んー」
散々悩んでから、女悪魔はしぶしぶ頷いた。
「わかったよー、今回だけ、ワガママきいてあげるー」
「よーし、それなら引いてやる」
今度こそ、正真正銘、最後の一回だ。
ガシャコン、と音をたててレバーが下りると、またもやマシンはピコピコと電子音を鳴らし始める。ピピー、と甲高い音が鳴り響くと、シュコッ、と空気の抜けるような音とともに、一枚のカードが取り出し口に落ちてきた。
「お……アンコモン」
「ね? ちょっとは信用してくれてもいいのにさー」
確かにな。レア彼女ではなかった。
安堵の息をつきながらシールをめくると、こう書いてあった。
『彼女』
目が点になった。
「へ?」
「うわー、すごいー」
棒読みだ。
「君、すごいねー、よかったねー、近々、また素敵な彼女ができるよー」
「おい」
「手近な女の子が、君に惚れるよー」
「待て」
「あ、でも私じゃないからねー、そんなに安くないからねー」
「これ、おかしいだろ」
「今回は貴族の娘でもないし、それなりに優秀とはいえ、一般人だからねー、まあ、アンコモンが妥当かなー」
「今回って、ちょっと待て、やっぱりお前」
「あ、これレアじゃないから、アンコモンだから、キャンセルとかなしだからー」
「や、やめろ! マジで!」
「じゃ、そろそろ今日のデートも終わりかなー、ポイッと」
「わっ」
足元のピンクの膜が薄くなり、一瞬で外へと放り出された。
ふと、意識が戻る。
俺は周囲を見回した。
辺りは静まり返っていた。
俺の手足はきつく縛られていた。しかも、別のロープまで使って、仰向けの状態でベッドに固定してある。
確かにこれは、自力での脱出はほぼ不可能だ。
部屋の壁に目を向ける。
木窓の隙間から、薄暗い鼠色の光が見える。そろそろ夜明けだろうか。
どうしたものかと思案していると、離れたところに物音を聞き取った。
それは人の足音だった。




