第三十三話
「サビハ。起きろ」
俺は、死んだフリをしたまま泥の中に這いつくばる彼女を、蹴飛ばした。
「う?」
「ウじゃない、起きろ。ほら、これ」
そう言いながら、俺は魔人の首を、彼女の目の前に抛る。
「おうわっ!?」
「なんとか、倒せた」
「あ、あああ!? あれをか!?」
勝った。
勝つには勝った。だが、俺のほうも、満身創痍だ。
最後の捨て身の特攻。相手の油断につけこむため、至近距離から剣で首を両断するために、俺はあえて触手に捕まった。
最初は俺を捕まえて、頭から丸齧りするつもりだった奴だが、首を切られるとなって、今度は絞め殺しにきた。だが、その力の強さが半端じゃなかったらしい。俺のほうも、あちこち皮膚が擦り切れて出血したり、青痣ができたりしている。筋も痛めたらしい。走るとあちこち痛むから、ゆっくり歩くのがせいぜいだ。
「す、すげぇな、お前」
「それと、取られたものも、半分は取り返した」
宝石の入っていた袋。それを今、俺は背負っている。
もっとも、中身は決してサビハには見せない。見せたら、絶対にトラブルになるから。
「はぁー……じゃ、なんだ、終わったのかよ」
その場に手足を開いて仰向けになったサビハだが、俺としてはまだ、一番大事な問題について、確認ができていない。
「あと半分も、どこにあるかはわかってるが……その前に、シルヴィア達だ。どこまで逃げたかわからないから、探そう」
「あー、わかったよ……っと、待ったぁ!」
「なんだ?」
俺が振り返ると、その場に座り込みながら、サビハは確認してきた。
「金貨千枚は、払うんだよな?」
「もちろんだ。だから最後までしっかり仕事してくれ」
「わーったよ」
それで、俺と彼女は歩き始めた。
夜のセト村を出て、ゴヤーナ方面に向けて歩き出す。
気付けば、雨は止んでいた。
ただ、風ばかりが強い夜だった。
サビハが手持ちの荷物からランタンを取り出す。先導を任せて、周囲を探しながら、ゆっくり引き返していく。
「なあ、おい」
「なんだ?」
「こう暗くっちゃ、無理だ。あいつらも隠れてるだろうし、明日、また探したほうが……どこかで野営したほうがいい」
「こんなところでか?」
やり取りしながら、ふと思い出した。
「そういえば、いい場所があったな」
「どこだ?」
「薬草小屋だ」
そう言いながら、俺はランタンを引っ手繰り、前に出る。
「あっ、おい」
サビハは慌てるが、俺は気にしない。
まあ、死体があるが……あれは、裏口から放り出せばいいか。
「いろいろ手間が省けるからな」
「でも、確か」
「問題ない。今は誰もいないからな」
あちこち血まみれだが、奥の寝室はきれいな状態だ。それに、連中が着ていた服もある。この、返り血でいっぱいの服を脱ぎ捨てて、連中のものを拝借しよう。
殺した相手の服? 気にしない。それが合理主義者というものだ。
「はぁー……お前、やるもんだな」
改めて、家の中に転がる無数の死体に、サビハは呆れて溜息を漏らした。
「しょうがなかった。クッコロ草を売ってくれなかったんだからな」
「こりゃあ、お嬢さんどもが見たら、びっくらすんぜ?」
「余計なことは言うなよ」
「あー、はいはい」
「じゃ、手伝ってくれ」
それから、簡単な掃除をした。死体を拾って、次々裏口から放り出す。床が血みどろなので、それは家の中のモップで拭き取る。
あとは着替えて寝るだけ、だが。
「よし、これなら体に合うな」
俺は殺した連中の、箪笥の中の服から、よく乾いたものを選び出して、奥の部屋のベッドの上に並べた。
「お前、アッサリしてんなぁ」
「じゃなきゃやってられるか。んで、これから俺は、体中を濡らしたタオルで拭いて、着替えて寝るんだ。悪いけど、出ていってくれないか」
「出て行けってお前」
「俺の裸でも見たいのか? だったら金貨百枚」
「そうじゃねぇよ! じゃあ、あたしゃあどこで寝ればいいんだよ?」
「もう一つ、寝室があったろ? 反対側に」
「ありゃあ、さっきの、ガキどもと女の死体が転がってた場所じゃねぇか!」
「ベッドは血で汚れてなかったぞ」
「そういう問題かよ?」
「他に何が?」
そして、俺はこの部屋で寝る。
これだけは譲れない。
「じゃ、お前があっちで寝ればいいだろが! あたしゃ嫌だよ、いくらなんでも、人殺したばっかの場所なんかで寝るのは」
「俺も嫌だ」
「じゃ、あたしもここで寝るよ」
「ほう、俺と同じ部屋で」
「だからあんたが出てきな!」
「いやだって言ってるだろ? 何なら、最初の予定通り、野宿しろよ」
「あーったく、くそっ……」
俺がここまで強情に言い張るのには、ちゃんと理由がある。
この部屋に、金貨の詰まったリュックがあるからだ。
シルヴィアやマグダレーナなら、信用できる。彼女らなら、山ほどの金貨を見ても、盗んで逃げようなんて思わない。そもそも、レア彼女の効果のせいで、俺に激しい好意を抱いているわけで、そんなことはできっこない。
だが、サビハは。何より金が欲しいという女だ。この部屋に一人放置しておいたら、何をしでかすか。だからこそ、俺は死体を理由に、この寝室を独占することにした。
「しょうがねぇ……」
諦めて、彼女は頭をボリボリ掻きながら、部屋を出ていった。
どうやら一安心。
俺は血まみれの服を脱ぎ、桶に溜めた水で、体を拭い始めた。
「う……くっ!」
今になって痛みが甦ってくる。体中、擦り傷だらけだ。あちこちからジーンと、鈍く根深い痛みも滲んでくる。必死で戦っていたから気付かなかったが、全身打撲傷だらけでもあるらしい。
でも、それなら尚更、体を清潔にしなければ。
桶の水はあっという間に濁っていく。そこから出て、床に敷いたタオルの上に立ち、乾いた布で体を拭いていると、いきなり扉が開いた。
「うわ!」
「げぇっ?」
見られた。
俺の全裸。
「何見せんだよ!」
「こっちのセリフだ! 体を拭くって言ったろが!」
「遅ぇんだよ! チンタラしやがって!」
で、それはいいとして。
何しにきやがった?
「ったく、人が心配して来てやったのによぉ」
「ん? 何の心配だ?」
「傷に効く薬湯、作ってきてやったぜ?」
お?
気が利くなぁ。
「ここは薬草屋だったからなぁ。材料には困らなかったぜ、へへっ」
うんうん、そうだろう。
「じゃ、これ、飲めよ」
そう言いながら、彼女はコップを手渡してくる。
俺はそれを右手で受け取りつつ、左手で彼女の手を捕まえた。
「あん? なんだよ?」
「せっかくだけど、まず、お前から一口飲んでくれないか」
そんなに簡単に騙されてたまるか。
サビハは、俺が何を取り返したかは知らない。だが、半分は取り返したと俺が明言した。この部屋にあるあの荷物が金貨の山であることも、まだ見せてはいない。いないが、この家のどこかにお宝があるかもしれないとは、恐らく察している。
つまり、このタイミングで俺を始末すれば、全部横取りできるのだ。幸い、近くにはマグダレーナもシルヴィアもいない。
「ちっ、しょうがねぇなぁ……そんなにまずいもんじゃあねぇぜ?」
そう言いながら、彼女はコップに口をつけ、ぐっと飲んだ。俺は注意深くそれを観察する。
飲んだフリ、ではなさそうだ。こっそり袖とか襟に流し込むとか、そういう芸当はしていない。それに、ちゃんとコップの中も減っている。
「ったく、半分になっちまったじゃねぇか」
「半分でも、十分だろ?」
「人が心配してやったのによ?」
「ああ、わかったわかった」
俺はコップを奪い取ると、サビハが飲んだところから、残りを飲んだ。
別に間接キスをしたいのではない。他の場所に毒が塗ってあったら、危険だからだ。
「おーし、飲んだな」
「ああ、飲んだ。で、これはどんな毒だ?」
「馬鹿言ってんじゃねぇ」
俺からコップを回収すると、彼女は言った。
「んじゃ、別の部屋で寝るけどよ……変なことすんじゃねぇぞ?」
「安心しろ。女には不自由してない」
「ケッ」
それきり、扉を閉じて、彼女は去っていった。
さて、俺のほうはどうか。
体の変化は、今のところ、感じない。だが、もし毒だったら……。
少しでも吐き出しておいたほうがいいかもしれない。まったく、手間をかけさせやがって。
だが、過剰に警戒するのも、奴に財宝のありかを教えるようなものだからな。匙加減に迷うところだ。
とりあえず、この部屋に立ち入られないように対策しなければ。
俺は金貨の袋を引き摺って、出入り口に据えた。これで彼女が扉を開こうとしても、まずこの金貨が重石になって、開けられない。無理に押し開けてもいいが、そうするとリュックが倒れ、中の金貨が盛大な音を立てて散らばる。さすがに俺も目覚めるだろう。
そうなったら、彼女はどうする? 何しろ、魔人さえ討ち取った男だ。戦いを挑もうとは思えないはずだ。
よし、これでいいだろう。
朝まで仮眠を取る。夜が明けたら、すぐにシルヴィアとマグダレーナを探しに出る。
そう決めて、目を閉じた。