第三十一話
最初、早足で歩いていた俺だが、すぐに異様さに気付いた。
この雨の中、遠くに大きな赤い火が見える。あれは、家が一軒、燃えているのだ。
「マジかよ……!?」
本格的な戦闘が繰り広げられている。ということは。
いよいよヴァン族が牙を剥いた? 村で俺達を待ち受けて、夜襲をしかけるつもりだったとか?
いや、それはおかしい。
思い出せ。
俺達をハメたのは、合計九人。
ゴヤーナで話しかけてきたオヤジ。荷車の親子。それに、街中で痴話喧嘩を演じていた男とその二人の妻、息子と二人の娘。
このうち、俺が六人を殺した。
それと、荷車の人夫のうち、父親の方は殺されていた。とすると、残るは二人。
人夫を殺したのは、そうなると、俺達をハメたあのオヤジ以外にあり得ない。さすがに息子が父を殺したとは、それも赤の他人と共謀してだなんて……合理的じゃない。
また、その場にいた可能性もない。自分の父親が殺されるのを黙って見ているはずがないし、よしんば隙を突かれた結果としても、その場で反撃するだろうからだ。そうなれば、どちらかの死体があの近くにあるだろう。よしんばオヤジが逃げ切ったとしても、それならセト村は大騒ぎになっているはず。
となると、オヤジと人夫の息子は、別行動だ。
しかし、人夫の息子は、薬草屋の家にいなかった。ということは、父親とオヤジが出かけた後、何か考えとか理由があって、彼らを追いかけたのだ。そして、もしかすると、父の死体を発見した。
彼は、俺達から奪った財宝を目にしている。誰が父を殺したのか、すぐに察したはずだ。その犯人は、俺達ではあり得ない。少なくともあの時点では、俺達の追跡に気付いていたはずはない。つまり、オヤジがやったと判断した。
とすると、彼はどうしたか? このままでは、自分も危ない。オヤジが父を殺したのは、財宝の分け前について、意見が合わなかったからだ。しかし、オヤジはきっと本部には嘘の報告をするだろう。裏切り者は、実は父だったとか。となると、彼自身もその巻き添えになる可能性がある。彼としては、自分の潔白を証明しなければならない。それはとりもなおさず、父の仇討ちにもなる。
……だからか!
村に近付くと、黒い人影が見えた。
俺は立ち止まり、『黒霧』を手に、怒鳴りつけた。
「誰だ!」
「おわっ!?」
やや低めの女の声。
だが、俺には聞き覚えがあった。
「サビハか!?」
「そういうアンタは……今頃戻ってきやがったのかい」
「今、どうなっている!? シルヴィアはどうした!」
「くそったれ! 知るかよ!」
どうしようもなくなって、逃走を選択した、か。
「ここで逃げるなんて、やめてくれよ、なぁ」
「なっ……バカ、それどころじゃねぇ! 来やがったんだよ、魔人がな!」
なんだって……!?
「うちのバカが、連中の片割れを見つけちまってな! そしたら、ヴァン族の連中と殺し合いだ! そのまっ最中に、橋を渡ってきやがったんだ……」
「だったら、尚更だ。シルヴィアと、マグダレーナさんは」
「だーかーら! 知るかってんだ!」
「二人は救い出す。いいな」
「ふざけんな! 死んでたまるかっての!」
「金貨千枚」
この一言に、サビハは動きを止めた。
「二人を救出して、ゴヤーナまで無事、引き返すことができたら、それだけ払う」
「なっ」
「本当に払う。だから、手伝え」
「そんなに……! そんな金、どこにっ」
「お前は知らないんだろうが、マグダレーナは、サーク教会の法王の義理の娘だ。セリオス司教がどうしてわざわざ動いたと思うんだ? 金にも権力にも、不自由してないんだよ。逆にそれを見殺しにしたら、お前……」
「……チッ」
彼女にとっても、今回は本当に死の危険がある。
だが、金貨一千枚は魅力だろう。この機会を逃したら。
実際、俺には払うアテがある。それも態度に垣間見えるから、無視できないのだろう。
「しょうがねぇ! その代わり、うちのバカどもが生き残ってたら、助けろよ?」
「もちろんだ」
「よっし! 急ぐか! ただ、こうなったらもう、お宝は諦めろよ?」
「わかった」
これで、状況はもう把握できた。
恐らく、人夫の息子は、自分の潔白を証明するために、薬草小屋から宝石だけを持ち出した。或いは、もともと宝石を持って父親とオヤジに追いつき、合流する予定だったのかもしれない。何れにせよ、金貨を全部持っていくのは、重さを考えても無理だった。
その途中、恐らくだが、彼は父の死体を発見した。しかし、彼はその場で悲しんだり、埋葬しようとして時間を潰す余裕がないと判断した。何より、殺害現場を残すことのほうが重要だった。本当はすぐにでも犯人を捕まえてしまいたかったに違いない。
そして、セト村のヴァン族の家に泊まりこんだ。できるなら、急いで本拠地を目指したかったのだが、この風雨。彼は断念した。
その代わり、宝石の存在を村人に教えた。父が殺されたこともだろう。一族の裏切り者が戻ってきた時、真っ向から抗弁するためだった。
だが、そこで彼にとってのイレギュラーが発生する。
余所者の冒険者が、何かを嗅ぎまわっているのだ。
セト村のヴァン族の誰かが、これを邪推した。もしやこの冒険者は、人夫の息子を狙うために雇われたのでは……?
互いにそれと察した冒険者と村人との間で、戦闘が起きるのは、もはや必然だった。
村に駆け戻る。
家が二、三軒ほど、燃え上がっている。
雨風は続いているのに、これは何か、よほど燃えやすい油でもぶちまけたのか。
こんな状況なのに、逃げ惑う人の姿はみられない。
それどころか、村の左半分は、しっかりと扉を閉じ、窓も塞いでいる。恐らく、クテ族の人々は、巻き込まれるのを嫌って……。
「きゃあ!」
「おるぁあっ!」
少し離れたところから聞こえる怒号。
あれは……!
俺は走った。
そこには、地面に倒れ伏すシルヴィアと、身を屈めるマグダレーナ。
それに、曲刀を振り上げる男の姿があった。
「待てぇぇっ!」
これまでにないほど、手足には力が漲っていた。
離れた場所にいたその男のところまで、一足で距離を詰める。
「ぬおっ?」
「邪魔だ!」
横薙ぎに一閃。無造作に剣を振り切るだけで、男の胸がパックリ割れた。
「シルヴィア! マグダレーナさん!」
「ああ……ナールさん」
死を逃れた安堵と、目の前の殺戮に、彼女の声は震えていた。
察するに。
二人はクテ族の家から追い出されたのだ。無理もない。彼女らを匿えば、そのクテ族も命を狙われる。
トラブルが起きた時には、互いに干渉しない。邪魔もしない。それがこの村の暗黙のルールなのに違いない。
「シルヴィアは」
「怪我はありません。ですが、熱が」
「薬は、クッコロ草はここに」
「ああ!」
「済みません、シルヴィアを」
「任せてください。決して、決して死なせたりはしません!」
だが、そのまま逃げるというわけにはいかないらしい。
足元の泥にまみれた彼女らから、視線を上に向けると……
燃え盛る家々を背景に、十人以上の男達が、武器を手に、立ち並んでいた。
「こいつは……」
「足止めくらいはしないと、な」
でないと、結局はマグダレーナもシルヴィアも逃げ切れない。
ここにこれだけ村人が集中している状況からして、残念ながら、サビハの仲間達はもう、誰も生き残ってはいないだろう。
「さ、早く」
頷くと、マグダレーナはシルヴィアを肩に支え、のろのろと起き上がる。そして、ありもしない力を振り絞って、村の外へと駆けていく。
だが、村人達は、あえてそれを急いで追おうとはしなかった。
その代わり、中央に立つ大男が、身振りで指図する。村人達は、じりじりと距離を詰めつつ、周囲を取り囲んでいく。半病人の女と、その連れは、俺達を始末してからでいい、ということか。
俺は、改めて真ん中の大男に視線を向ける。
逆光になるので、シルエットしかみえないが、随分奇妙な形をしている。
大柄で筋肉質なのはいいとして。
ただ、腕が異様に長いし、しかも左右で長さが違う。それに、一瞬見えただけだが、指の長さが普通じゃない。
顎もおかしい。人間の下顎は、唇から後退した形になっているのが普通なのに、こいつの口元らしいところは、何か妙に、丸く盛り上がっている。これまた一瞬開いて見えた口、その中の歯は、どれもギザギザに尖っていた。
これが、魔人なのか。
確かに、バケモノに違いない。
不幸中の幸いというべきか。
これだけの敵に囲まれてはいるが、魔人自ら襲い掛かってくる気配はない。
「さて……」
俺は改めて『黒霧』を握り締める。
「くるぜ……」
サビハが低い声で呟く。
と同時に、周囲の男達が一気に迫ってきた。
「サビハ、殺せ!」
「言われるまでもねぇ!」
よし。
これで、彼女の殺した数も、半分だが、キル数にカウントされるはず。
さて、勝ち目はあるだろうか?
あの魔人がどれだけの力を持っているかはわからない。しかし、熟練の冒険者であるサビハがこれだけ恐れるのだ。一人前程度の実力では、あれと渡り合うなどできっこない。
また、そういう危機が待っているからこそ、女悪魔も、俺をここに送り届けてくれたのだろう。まったくつくづくタチの悪い奴だ。
だが、活路があるとすれば。それは、ここにいる雑魚どもを大量に始末することによって得られる、パワーアップ以外にない。
今のキル数は三十一。次の報酬までは四人だが、それは戦闘には役立たない。しかし九人分殺せば、火事場の馬鹿力が使えるようになる。
「うおおぉっ!」
男達の怒号が迫ってくる。
気持ちを切り替えて、向き直った。
スッと剣先を滑らせる。
簡単だった。
飛びかかってきた二人が、あっさり引き裂かれる。今までの戦いがなんだったのかと思うくらいに。
これが戦闘能力レベル2、か。もちろん、それだけではないだろう。彼らがただの村人で、強力な戦士ではないという点。ゴブリンと同じか、もしかしたら、それより弱い連中が相手なのだ。
それはサビハにとっても同じらしく、やはり二人が倒れていた。これでキル数は三。あと六人。
この一瞬の戦闘で、魔人を除いた戦力のうち、三分の一が倒れた。さすがに、ヴァン族の若者達も恐怖を感じているようだ。
だが、魔人が一瞬、腕を鞭のようにしならせ、音を立てると、ハッとしてこちらに向き直った。どうやら、絶対に逆らえないらしい。
しかし、戦いを強いた本人はというと、相変わらず悠々としている。
どうしたものか。相手は残り八人。必要なキル数は残り六人。俺がメインで殺していかないと。
計算する。サビハが全員殺すと、二人分足りない。彼女が六人殺し、俺が二人殺すと、一人分足りない。つまり、半分以上は俺がトドメを刺さないと……。
「サビハ!」
「なんだっ!」
「防御を任せる! 俺は数を減らす!」
「って、そんな都合よくやれるかよっ!」
やるしかない。
彼女が数を稼いだら、勝ち目がなくなってしまうかもしれない。村人がやられたら、きっと魔人が襲い掛かってくる。その前に。
「おおおっ!」
俺は魔人の反対側にいる村人に向かって突撃する。
槍をろくに構え直す暇もなく、そいつの首は宙に飛んだ。
左右から、鉈と斧を振り下ろしてくる。スッと後ずさって、先に鉈を持った男の首に剣先を突き刺し、返す刀で斧を持つ腕を刎ね飛ばす。
よし、これで半分確保……。
「おわっ!?」
その隙を狙った一撃。
ゴムか何かでできているのか。明らかにおかしな伸び方で、魔人の右腕が割り込んできた。
さっと振り返る。馬鹿な。十メートル以上あったのに!?
横目に確認する。
俺が殺すつもりだった村人は、魔人の爪を避け損なったようだ。胸にぽっかり穴が開き、そこから血がとめどなく溢れ出ている。
最初から、村人なんて、捨て石か。
まさにバケモノだ。その肉体も、頭の中身も。
「サビハ! そいつ、止めろ!」
「無茶言うな!」
そう言いながらも、余所見をしながらナイフを投擲。
村人を一人減らす。
ありがたいけど、邪魔でもある。
くそっ。
貴重な餌を、横取りしやがって、魔人の野郎。
それでもサビハは、俺の頼みを無視はしなかった。何か理由があってのことだと、なんとなく察したのだろう。彼女は魔人から見て、右手に立ち位置を取った。俺は左手だ。これで多少なりとも、あの伸びる右手を使いにくくなったはずだ。左手でも同じことができないとも限らないのだが。
「らあっ!」
短剣を構えた男を一方的に突き殺す。
これで三人。あと二人と半分で、火事場の馬鹿力が発動する。そうすれば。
村人の残りはあとどれくらい?
見上げると、またサビハが、余所見をしながらナイフを抛った。
的確に首筋に刺さるから、見事なものだ。
あと二人。
村人はあと二人しかいない。そして、俺のキル数のノルマも二人。もう譲れない。
だが、そこで状況に少し変化が出てきた。
「ひ、ひいっ」
いくら魔人が強制しようとも、人は死の恐怖に抗えない。
残った二人の男は、もはや衝動のまま、武器を捨てて、村の外へと逃げ出そうとする。
……逃がすか!
「お、おい! そんなのほっとけ!」
サビハが怒鳴る。
だが、駄目だ。こいつらを殺さないと、魔人を倒せない。
全力で追いすがって、肩からバッサリ。あと一人。
「う、うわああ!」
一瞬、振り返る。
あのしなる右腕に、サビハが弾き飛ばされた。
胸を貫かれたら即死だったろう。だが、幸か不幸か、ただの打撃で済んだ。
ただの、といっても。
その威力は大きかったらしい。空中で一回転した挙句に、泥の中に叩きつけられたのだ。そして、起き上がった時には、右手から武器を取り落としていた。握力が完全に潰されたらしい。そして、一瞬立ち上がるも、すぐに力をなくして、その場に倒れ伏す。
それでも俺は引き返さない。
「ぎゃああ!」
これでノルマ達成!
よし、と振り返る。
魔人のほうでも、標的をこちらに切り替えたようで、サビハにはもう、目もくれない。
ゆっくり近付いてくる。勝利を疑っていないのだろう。だが、死ぬのはお前のほうだ。
念じる。
火事場の馬鹿力を今、使う……
『残り20分』
おっ。
これは。
あと二十分ほど、俺はいつもより高い能力を発揮できるらしい。
どれ、試し斬りだ。
俺はすっと腰を落として、剣を構え直す。
魔人との間合いは、十メートルほど。
奴は、右手を構え、そして……それが伸びた!
その瞬間。
地面を蹴って、俺も前に出る。
うねるような軌道を描いて迫り来る腕を紙一重でかわし。
俺は魔人の頭上から、剣を振り下ろした。
ガキッ、と硬い感触が、『黒霧』を持つ手に伝わる。
魔人が左腕を掲げて、身を守ったのだ。
その左腕は、まるで盾のように左右に膨らんだ形をしていた。黒ずんでいて、そしてやたらと硬い。
本当の本当に、こいつ、バケモノだ。
「おわっ!?」
すんでのところで、俺は腕で腹を庇った。
おかげで、鳩尾への蹴りを直撃せずに済み、俺は遠く離れた木の根元に転がった。
「マジかよ……!? これでも勝てないのか?」
なんてことだ。なんてこと。
俺には、わかってしまった。
確かに、火事場の馬鹿力があるからこそ、あそこまで奴に肉薄できたのだ。にもかかわらず、それでも魔人のほうが俺より強い。奴にはまだ余裕がある。
地力の差がありすぎるのだ。
魔人は、揺らぐことなく、こちらに歩み寄ってきた。
今度こそ、俺を殺しきるために。