第三話
違和感。つまり、合理的じゃない。
どうにも納得がいかないというか、落ち着いていられない感じがする。
夕暮れ時、ベッドの上で、俺は悶々としていた。
昼間の、国王ヒオナットとの会食。
既に二人の勇者が覚醒したとのことで、彼は上機嫌だった。天野と藤成に視線が集中するのも、合理的ではある。
だが、なぜか俺とは目を合わせようとはしない。比嘉が粗暴な態度を示しても、星井が性的にきわどい発言をしても、あえて笑顔で応対していたのに。
釈然としない思いのまま、その場を辞去すると、出入り口で俺を待ち伏せていた女がいた。
「副団長のシルヴィアと申します」
銀色の鎧を頭から足先まで隙なく着込んだ美貌の女騎士が、俺をじっと見つめていた。その後ろには、ズラリと同じ格好をした騎士達が立ち並んでいた。
「お部屋までお送り致します」
これまた非合理的な話だ。
ここは王宮の中。恐らく、国の中で一番安全な場所だろう。それに、他の四人にはこんな護衛はつかない。それが俺だけ、ゾロゾロと騎士達を連れて歩いている。どういうことだろう?
それでも、快適な個室に戻って手足を伸ばしていると、緊張がほぐれていく。
小さなことを気にしていても、仕方がないか。
ややあって、コンコンとノックの音がする。
「はい?」
返事をすると、扉が開けられる。
やってきたのは、一人の女官だった。少し年はいってそうだが、ハキハキした感じで、デキる女といった風情を漂わせていた。
「今、よろしいでしょうか?」
「はい」
「ありがとうございます。私、二等書記官のライアと申します」
「どうも。で、何の用でしょう?」
「ナロ様、いきなりのご相談なのですが……お部屋を移していただくことは、おできになりますか?」
彼女の言い分は、こうだ。
文献を調査したところ、俺の魔力は、非常に稀で、特殊な性質を持っているらしい。だから、覚醒を促すためには、こういう快適な環境にいてはいけないのだとか。
「もし長くなってもほんの二日か、三日程度になるかと思いますが……」
「でも、牢獄ですか?」
「はい、大変申し訳ないのですが」
随分と嫌な話だな、それは。
魔力を覚醒させるだけなら、もっと合理的な方法だってありそうなものなのに。
「すぐに結果は出ると思いますので、どうか」
「わかりました。わかりましたよ」
なんだかなぁ。
俺は重い腰をあげて、彼女についていった。
魔法陣の描かれた牢獄の、冷たい石の床の上に、俺は座った。
「ここで一晩、でいいんですね?」
「はい」
「あの、でも、夕食は」
「後ほど、人をやって届けさせますので、ご安心ください」
やれやれ。
俺はゴロンと横になる。
暇だ。
つらつらと昨日と今日の出来事を思い返す。いきなり召喚されましたとか言われて。水晶球に手をかざしたら紫色に光って。
もう日本には戻れないのだろうか? その方法を「知らない」とは言われたが、「絶対に存在しない」とは言われていない。だから、希望を捨てるには早い。もっとも、いろいろ思い返すに、論理的には帰る理由もないのだが……こっちの暮らし次第ではあるが。
今朝はブスメイドに紅茶をぶっかけられた。その後、王様と会食した。いかにも王様ですって感じの、白いヒゲに太った体の……あれが、あの美人のトゥラーティアの父親とは、なんとも非合理だ。それとも、年を食ったら似るんだろうか?
いやいや、きっと母親に似たのだ。王様だから、美女の群れに囲まれて生きているはず。王妃だって、顔は見てないけど、合理的に考えて、美人に決まっているからな。
あと、俺を部屋まで送った騎士、シルヴィアっつったか? あれも美人だったな。兜のせいでよく見えなかったが、金髪だったかな。鎧のせいで体型ははっきりしないが、胸のサイズはともかく、鍛えられているなら、きっとプロポーションもいいはずだ。あの若さで副団長なんだもんなぁ。
くそっ、星井のバカが。王様との会食の席でも、俺がブスメイドを口説いたのなんだのって言いやがって。せっかく勇者様になるなら、もっといい女をゲットしたいものだ。トゥラーティアとか、シルヴィアみたいな。
うん、どっちも美人だけど、合理的な結論としては、できればシルヴィアのがいいかも。今朝の王女のあの態度は。身分があるのが当たり前の社会とはいえ、あのメイドへの対応はきつかったな。それよりは、自分を鍛えて頑張ってる女性の方が、魅力的に決まってる。だいたい、一人しかいない王女をとなると、競争相手がいそうだし。天野には藤成がいるけど、まだ比嘉とかがいるしな……俺が勇者として活躍しだしたら、シルヴィアをお供にくださいってリクエストしてみようかな?
……だが、待てど暮らせど、夕食を運んでくる様子はなかった。腹時計でしかわからないが、たぶんもう、夜中の十時頃になっているはずだ。昼にたっぷり詰め込んでおいてよかった。とはいえ、空腹感はもう、ごまかせなくなってきているのだが。
かなり遅くなってから、遠くにキィ、と金属の軋む音が聞こえた。やっとか。
小さな足音が近づいてくる。身を起こしてみると、背の低いメイドが慌しく鍵を開けようとしている。っていうか、こいつ、今朝のブスだ。グリーダっつったか。
「ナロ様」
「遅いよ」
さすがに文句も口をついて出るというものだ。
「……申し訳ございません」
「そればっかだな」
目を伏せながら、彼女は手にしたバスケットを床に置く。
布をどけると、そこにはパンと牛乳らしき液体しかなかった。
「え、これだけ?」
昼の会食で口にしたものと比べると、天と地の差だ。なんでこんなに質素、というか貧相な食事が?
「なにぶんにも、そういう命令で」
「あー、そっか」
覚醒のため、か。
面倒な能力もあるもんだな。
天野みたいに剣術の試合をするとか、藤成みたいに傷を治すとか、わかりやすい形で発動してくれればいいのに。
「あ、あの」
「ん?」
早速、パンにかじりつこうとする俺に、彼女は目を伏せながら言った。
「今朝は……ありがとうございました」
「ああ、いいよ」
俺にとっては小さなことだ。
グリーダはグリーダで、自分なりに頑張って生きればいい。俺との接点は、あれだけで充分だ。
「あの、私、この都にきてから、親切にしてもらったことなんて、なくて」
「ああ、ほう」
もう俺は、パンを頬張っている。
「ひにひないでいいはらは、かえってやふみなよ」
「えっと……」
なんだ?
何か、言いたそうにしている。
ま、いっか。
俺は、牛乳の瓶に手を伸ばした。
「……それは、飲まない方がいいと思います」
はたと手が止まる。
言ってしまってから、グリーダは肩を振るわせ始めた。肩だけじゃない。膝も笑っている。恐怖に引き攣りながら、脂汗を流している。
「なに? どうしたの?」
「痺れ薬が入っていますから、飲まない方がいいと言ったのです」
なんだと!?
「な、なんで!」
「シーッ!」
グリーダは、口に指をあてて、俺の叫びを遮った。
「ナロ様、迷いましたが、やはり黙ってはいられません。あなた様はもうすぐ、殺されます」
「なんでだよ? 理由は? 理由がないじゃないか! そんなの非合理的だ!」
「よくはわかりません。わかりませんが、偶然、盗み聞きしてしまったのです。ナロ様の魔力は、非常に危険なものの可能性がある、だから何か起きる前に殺したほうがいいと」
「それは誰が」
「書記官のライア様が」
畜生、そういうことか。
魔力の覚醒のため、とかそういうのは、全部嘘っぱちだったわけだ。
「ふざけんなよ。そっちの都合で呼んでおいて、ヤバそうとなったら殺処分とか」
「私もそう思いました」
もはや恐怖のあまり、グリーダは泣き出しさえしている。
「でも、ナロ様は、悪い方ではありません。今朝だって、とるにたらない私を庇ってくださって」
危なかった。
もし俺が、あの時、気まぐれに仏心を出さなかったら、この罠について教えてくれる人もいなかったわけだから。
「でも、グリーダはどうなる? こんなことをバラしたと知れたら」
「もう、こうなっては、後には引けません」
涙を流しつつも、彼女は俺に振り返って言った。
「今、番兵は差し入れのお酒を飲んでいます。ナロ様のことは、彼らには詳しく伝えられていないようですから……今なら」
「わかった。ありがとう」
俺は立ち上がる。
「それと、その」
「なに?」
「できれば、私をここで殴っていってください」
「はぁ?」
目をしばたかせながら、彼女は説明する。
「ただ逃がしたとなれば、死刑は免れません。ですが、過失なら、命だけは助かるかも」
「確かに、そうかも」
自分に親切にした人間を殴るのか。少し気が引けるが、これも彼女を救うためとあれば。
善意には善意を。これもまた、合理的帰結というものだ。
「わかった。痛いけど、我慢してよ」
「はい」
この上なく気分は悪かったが、今は命の危機だ。
腕を振り回し、彼女の鼻っ柱に何度か拳を叩きつけた。それでグリーダは立っていることができなくなり、床に倒れこむ。
「は、はやく、はやく」
「ありがとう。それじゃ」
俺は暗い廊下の奥に向かって走り出した。