第二十二話
「どういうことでしょう、ナール様?」
風の通らない、狭い船室の中。狭い木の寝台の上に座らされて、俯いている。握り締めた両手は膝の上。さてはて、どういうわけか、さっきから脂汗が止まらない。
首根っこを掴まれて、子猫さながらにここへ放り込まれた。シルヴィアの口調は穏やかそのもの。だが、その奥に潜む冷ややかな殺気に、俺は縮こまっていた。
「俺は……」
「なんですか。はっきりおっしゃったらどうですか」
「なにも、やましいことは……」
そうだ。
無実だ。
ガチャで『レア彼女』を引き当ててしまっただけなんだ!
一言も口説いていないし、好意をほのめかすようなこともしていない。
だから、俺の意志じゃない。俺のせいじゃない。俺の責任じゃない。
「まぁまぁ、そんな、問い詰められたらナールさんだって、困ってしまいますよ?」
軽やかな声でそう言いつつ、マグダレーナが微笑む。
お前がそれを言うか。原因なのに。
「でも、やっぱりそうだったんですねぇ、お二人の関係って」
「あ、あの、ああ、まあ」
「マグダレーナ殿、ナール様は私の主君です」
「まあ」
主君かつ恋人、か。
でも、既にカカア天下な気がしないでもない。実際に浮気したわけでもないのに、なにこの悋気。
ま、率直なところ、俺はシルヴィアには頭が上がらない。
だって俺より強いし、俺のために文字通り命懸けで頑張ってくれているし、やたらと俺をたててくれるし、そのくせ、ろくにお返しもできてないし。
「なるほど、いろいろな絆で結ばれておいでだと」
男女の関係、というところを「主従関係」という表現で濁そうとしたシルヴィアに、マグダレーナは踏み込んだ。主君でもあるけど、それ以外にも。いろいろ、という言葉には、そういうニュアンスが含まれている。
「と、とにかく」
戸惑いを抑えきれないながらも、シルヴィアは、なんとかマグダレーナを排除しようと躍起になっている。
「我々は、これからも危険に身を置くことになります。マグダレーナ殿、確かに旅は大勢の方が楽しいかと思われますが、我々に限っては、楽しいだけでは済まないのです。どうかご理解を」
「羨ましいことですね。世直しの旅ですか。私もお役に立ちたいものです」
「役に立つといえば、マグダレーナ殿こそ、あのピールの街に、必要不可欠な方ではありませんか。今からでもお戻りになられては」
「今までは多少なりとも必要とされてきたかもしれませんけど、今は平和になりましたから、私も安心して去ることができます」
火花が散っている。
笑顔のまま。
女、怖ぇー。
「大きな善をなすには、大きな力が必要です。それには一人より二人、二人より三人……愛がひとところに集まれば、悪は何もできずに滅ぶものです」
「理想をいえばそうかもしれませんが、現実は過酷です。どんな思いも、ただ一撃の剣に断ち切られてしまうのが、この世の真実ではないですか」
「なんということでしょう、ならば尚更のこと。希望の光が消えるのを黙って見過ごすくらいなら、私がこの身を盾に致しましょう」
どんどん話が大袈裟になってきている。
いかんぞ、これは。
「ええっと……」
言葉に窮したシルヴィアが、俺のほうをチラッと見る。
「とにかく、この件は、ナール様と話し合わなければ」
「ええ、もちろんですとも。存分にどうぞ」
「では、申し訳ないが、マグダレーナ殿は少し外に」
「あ、その、ちょっと待ってください、それはそれとしてお渡ししたい物が……」
「いいから、少しお時間をください」
強引に彼女を追い出した後、シルヴィアは俺に向き直る。
室内の静寂が耳に痛い。
「……さて、どうしましょうか」
異端審問官の前に引き出された魔女のように、俺は背中を丸めて縮こまる。
「ど、ど、どうしよう、ねぇ」
「ナール様」
ドアの外で聞き耳をたてているかもしれない。
そう考えてか、彼女は俺に顔を寄せ、耳打ちした。
「どうしてこんなことになったのです」
「いや、いやあ、なぜかな」
「だから、あんまり親しくして欲しくなかったのに」
「た、助けちゃったからかな……で、でも、俺、浮気、してないよ?」
「そういう問題ではありません!」
一応、彼女も考えているらしい。
自分の気持ちだけで苦情を訴えているわけではないのだ。
「お忘れですか? 私達は、エキスタレアの勇者に追われているのですよ?」
「お、覚えてる。見つかったら」
「そうです。せっかくピールの街に入った時には、身分をほぼごまかしておけたのに、彼女を連れて歩いたのでは、自分がナールだと触れ回っているようなものではないですか」
「そんなこと言われても」
「そもそも、目立つのが嫌だから、賞金だって受け取らなかったんでしょう?」
いちいち言う通りだ。
俺達は、リックを討ち取った。
だから、彼にかけられていた懸賞金を受け取る権利があったのだ。だが、それは無視した。
誰がプレグナンシア軍に立ち向かったのか。それを曖昧にしておきたかったからだ。
なんなら、自称ナールのニセモノがその金をもらってくれてもいい。ってか、今思えば、そういう人間を手配しておけばよかったと思うくらいだ。そうすれば、まずはそいつが注目を浴びてくれる。
「でも、ついてくるよ、アレは」
「危険ですね。このままでは、ナロのことが、知られかねない」
「いや、ある程度はもう、察してるかも」
「なんですって!?」
ひいっ。
お、怒らないで。お願い。
「だって、目の前でドラゴンが死ぬのを見ちゃってるし」
「あれはやはり、ナロ様が」
「そう、だけど」
「どんな風に?」
「念じただけで、殺せたから」
「ええっ!?」
「シーッ! 声が大きい!」
シルヴィアが、目を白黒させている。
「そんな、それは確かですか?」
「えっと、その、説明が難しいんだけど、俺の勇者の力は、割と不安定なんだ。わかるだろ?」
「は、はい」
「あの時は、あれができた。でも、今はできない。そういうことなんだよ」
顎に手を置き、腕を組んで、彼女は考えこんでいる。
「とにかく、これは」
考えをまとめたのか、彼女は力強く言い切った。
「撒きましょう」
「え」
「ピールでは、彼女に土地鑑がありました。だから逃げ切れなかったのも仕方がありません。しかし、ゾナマであれば、私達もですが、彼女にとっても馴染みのない場所ですから、追跡は難しくなるはずです。行方をくらましてから、次に進みましょう」
「だ、大丈夫かな」
「何がですか」
「いろいろ」
「何を暢気な。ナール様は、ご自分の心配だけしていればいいのです」
確かに。
言う通りではある。
「はーっ……」
俺は力なく、寝台の上に転がった。
「なんでこうなるかな……」
その説明を求めたいという気持ちが形になったのか。
気付くと、俺はピンクの空間に浮かんでいた。
「なんでって、それは君がガチャで引き当てちゃったからだよ。つまり、君のせいだね」
「ハメただろ、お前」
女悪魔を恨みがましく睨みつけ、俺は問い詰める。
「思えば、どうしてあのタイミングでガチャを引く必要があったんだ? あれ、仕組んでたんだろ」
「えー、心外だなー、考えすぎだよー」
「むしろ考えなくてもわかるわっ! わざと、よくも」
「でも、マグダレーナちゃん、美人でしょ」
「そういう問題じゃない! 厄介ごとを引っ張ってきやがって」
唇に指を当ててしばらく考えた後、この邪神は、ニタリと笑った。
「ねえ」
「なんだ」
「一応、サービスで教えてあげるね?」
「何を」
「マグダレーナちゃんの個人情報」
ふむ?
なぜこのタイミングで?
「マグダレーナちゃん、十八歳。彼氏いない歴十八年。今、絶賛初恋中」
「どうでもいいから、それ」
溜息をついて首を振る。
続きは身長、体重、スリーサイズか?
「んで、孤児出身の彼女なのに、レア。ちょっと評価が高すぎるって思わないかなー」
「む、まあ、そうかも。貴族でもなんでもないんだし、司祭をやめれば、ただの人だからなぁ」
「そういう観点でいえばそうなんだけどね。多少美人で、頭がいいくらいなら、普通、アンコモンなんだよ」
「ふうん? アンコモンの彼女なんてのもあるのか」
「あるよ。さすがにコモンはないけど」
ってことは、それなりの裏付けがマグダレーナにはあるのか。
「変だって思わなかった?」
「なにが?」
「マグダレーナちゃんの自己紹介。自分で自分のこと、いい成績を収めたなんて、謙虚な聖職者が、自分で言うかな?」
「そういえば……」
「あれね、自慢じゃなくて、控えめな説明をしようとしたから、ああなったんだよ」
控えめ?
「本当は、サーク教会運営の大学校を飛び級で、首席卒業。神学、医学、それから治癒魔法の分野で、もう一流なんだよ」
「なんだよ、それ。じゃ、すっげーエリートってこと?」
「そーだよー? なにしろ、何十年に一度の神童って言われてたくらいだからね。本当なら今頃、教会の中央組織で、将来の幹部候補として働いてたはずなんだから」
「それがなんでこんなところに?」
「いい子だからねぇ。市井の人々の間で、苦楽を共にしたいからって、わざわざ出てきちゃったんだよ。でも、そういうわけだから」
女悪魔は、さぞ楽しいといわんばかりの満面の笑みを浮かべる。
「サーク教会は、世界で一番普及してる宗教だからね。ゾナマにも教会があるし。大都市の教会幹部は、だいたいみんな、マグダレーナちゃんの顔と名前を知ってるよ!」
「マジで?」
「つまり、それに追いかけられる君は……」
逃げ、きれ、ない。
彼女がコネをフル活用して、信徒達のネットワークを動員したら。俺達の居場所なんか、簡単に割れてしまう。
「い、いや。そんなに簡単にいくもんか」
「へえ?」
「今の話だと、マグダレーナは、わざわざ出世コースを捨てた女だ。しかも、ピール西教会の司祭までやめた。合理的に考えて、あちこちの教会の偉い連中が、まだ彼女をサポートする理由がない。だいたい、もともとは孤児で、バックに誰もいないんだろ?」
「それがそうでもないんだなー」
「なんでだよ!」
ニタニタしながら、彼女は言った。
「……孤児ってことはさ。当然、養い親がいるよね?」
「それがどうした」
「彼女のね、義理の親。今の教皇だから」
「は?」
「しかも、別に娘には、聖職者になって欲しいわけでもなくってさ。理解がある親ってやつ? 自由にさせたらああなったわけ」
「なんだよ、それ」
「だから、マグダレーナちゃんがその気になれば、親のコネで貴族との縁談だって全然可能なくらいだし。各地の教会関係者も、教皇の一番のお気に入りの話なら、無視はしないよねぇ」
結局は権力か。
しかも、どうも彼女の義理の親は、娘の自主性を大切にするタイプらしい。マグダレーナが、気に入った人と結婚したいと言い出したら、笑顔で応援するような感じの。
で、当然、各地の聖職者は、教皇の顔色を窺って生きているわけで。マグダレーナには命令権こそないが、それと匂わすだけで、誰もが協力的になる。
「……君らに逃げ切れるかなー?」
「くそったれ」
「というわけで、もっといいやり方があるんだけど」
「なんだよ?」
「もう一つの個人情報だよ」
撃退する方法を教えてくれるとは、なかなかサービスがいいな?
と思ったら。
「マグダレーナちゃんのお部屋はね、一つ下の、403号室だからね」
「は?」
「今の彼女なら、言葉なんかいらないから。ただノックして、部屋に入って、抱き寄せて、キスすれば、あとはもう、黙って言いなりになるからさ」
「バカか、お前! 俺、シルヴィアに殺されるぞ!」
「アフターサポートは万全でーす! ちゃんとモメないようにしてあげるからさ」
「いらん! 真面目に聞いて損した!」
「いいの? でも、今日を逃すと、チャンスがずーっと後になっちゃうんだけどなー」
「そういう問題じゃないだろが!」
「キャハハハ! もったいないなぁ、本当は君だって、ちょっとはいいかなって思ってるくせにさー」
くっそ。このアマ。
「お前、いったい何がしたいんだよ?」
「なにって? 楽しいことが好きかなぁ?」
「楽しくないぞ」
「修羅場って、本当においしいよね。傍から見る分には」
……もしかして。
俺達五人、全員、こいつのオモチャとして召喚されたんじゃないだろうな?
解決策も思いつかないまま、俺は頭を抱えた。