第十九話
「本当に、行くのか」
「間に合わなければ、もっとひどいことになる」
俺達は、ピールの街の中心部目指して走っていた。
リックがプレグナンシア軍と繋がっているであろうことは、容易に想像がつく。とすると、奴の「待ち合わせ」というのがどこかも、自ずと明らかになる。
今、兵士達の大半は、いきなり出現したドラゴンへの対応に追われている。
だが、守備隊の指揮官達はどこにいるか? 総督府だろう。となれば、連中はその首を獲りにいったに違いない。将軍のいない軍隊など、機能しないからだ。
問題は、それを助けに行く理由だ。
無論、合理的な理由に基づいている。
プレグナンシア軍の占領下に入った場合、この街から出るのが難しくなる。持っている金品も、見つかれば奪われてしまうだろう。だが、それはまだいい。
但し、そうなると、ここの奪還に勇者達がやってくる可能性がある。たった四人でも、何せ砦を一瞬で攻め落とした連中だ。城壁なんか意味をなさないし、ドラゴンだってすぐに撃ち落されてしまうだろう。
連中に遭遇したら。今度こそ絶対助からない。近付かれるだけでも危険だ。あの時、星井がどうして俺を発見できたかも、まだよくわかっていない。だが、あの時と同じことをされたら、やはり見つけられてしまうのではないか。
それに比べれば、リックや軍隊を相手に戦うほうが、遥かにマシだ。
今なら。
戦況が確定していないであろう今なら、まだ間に合うはず。逆にこちらが、ピンポイントで奴らの頭を潰すのだ。
「……わかりました」
一段下におりた言葉遣いに変えてきた。
「ナロ様は勇者。ならば、私はその騎士としての務めを果たすのみ」
ついでにキル数を稼ぐ。
そういえばさっき、五人殺した。そのうち四人はシルヴィアが倒したのだが、あれはカウントされているのだろうか?
もしそうなら、俺はまた一つ、能力に覚醒していることになる。
ただ、この状況では、女悪魔にいちいち確認を取れない。それがもどかしい。
即死攻撃……これが使えるか、使えないかで、今のこの行動が、適切な判断なのかどうかが、大きく違ってきてしまう。
何れにせよ、ターゲットは二人、ないしそれ以上。
リックと、プレグナンシア軍の指揮官。こいつらを排除すれば、恐らく戦いは終わる。即死攻撃が使えれば、少しもったいなくはあるものの、そのどちらか一方を、戦闘なしに始末できる。数次第だが、残りはシルヴィアに任せればいい。
あとはドラゴンが残ってしまうが……これはもう、どうしようもない。奴らがうまいことコントロールしているならともかく、そうでなければ暴れ続けるのだろう。どうにも始末しきれなかった場合には、どうしようもないから、陸路でとにかくこの街から出る。
というのも、そのケースでも、やっぱり勇者が出てきてしまうからな。ただ、敵軍の支配下にない分、街から脱出するのは容易になる。金も失わずに済むだろう。
「あれです」
一際大きな、四階建ての石造りの建物。天井の形からするに、中庭のあるロの字型になっているように見える。
あの中に。まだ総督が存命なら護衛を買って出る。だが……。
希望は打ち砕かれていた。
入り口付近の衛兵は朱に染まっていた。俺達が内側に踏み込んでも、誰も見咎めない。しかも、やけに静かだ。廊下に足音がこだまする。
「手遅れ、か」
だが、まだリック達がいる可能性がある。
状況が落ち着く前に、せめて奴らを討ち取らなくては。
幸い、敵はそんなに多くないはずだ。もし頭数がいるのなら、この一階部分にも、敵兵がウジャウジャいていいはずで、それがいないということは、少人数でここを襲撃したか……或いはもう、用事が済んだので、ここを去ったか、だ。
「確認しよう」
俺の言葉に、シルヴィアは黙って頷く。
二階に駆け上がる。相変わらず静かだ。ただ、何人分かの死体が転がっている。突然の襲撃で、逃げる間もなく殺されたのだ。
これはもう、総督も、軍の指揮官達も、無事ではなさそうだ。
一応、上を目指す。この階段は、二階までで終わりだ。そして今登ってきた階段とは反対側、廊下の奥に、上への階段がある。
三階に足を踏み入れる。二階とあまり違いがない。ただ、大きな観音開きの扉がある。恐らく、総督の執務室だ。
この状況からすると、無事とは考えにくいが……。
開けようとした手を、シルヴィアが黙って止める。
そして俺を後ろに下がらせ、そっと引く……。
「ギャハハハ!」
数人の傭兵が、下卑た笑い声をあげつつ、飛び出してきた。
思わずのけぞって後ろに下がったが、シルヴィアは冷静に剣を向けていた。
だが、人数が多い。こちらが動き出す前に、バラバラと散開して俺達の退路を絶ってくる。
二階に降りる階段は右側だが、そちらに連中は固まっている。突破するのは容易ではない。
窓から飛び降りるか? それも厳しい。ここは三階だ。きっと足を折るか、そうでなくても少なからずダメージを受ける。
残るは……廊下の奥の、四階への階段のみ。
「ナール様!」
俺を庇うようにして、後ろへと下がらせる。
逃げ場はない。四階にも敵がいるかもしれない。だが、目の前には、ざっと二十人もいる。
「階段へ! 廊下が広すぎて、囲まれます!」
「わかった!」
いくらシルヴィアといえども。
一度に二十人の剣を捌ききれるほどには強くない。
傭兵達は、余裕のある態度で、俺達を騒々しく追いかけた。階段のほうに向かって逃げるなど、最初から想定済み。というか、最初からそのつもりだったかのように見える。
だが、こちらも、とにかく余裕がなかった。
階段のところで、シルヴィアは振り返り、今度こそ本気で剣を向ける。傭兵どもは、数を恃みに、散発的な攻撃を浴びせつつあった。
ならば、俺の仕事は。
横に立って戦っても、あまり意味がない。かえって足を引っ張るだけだ。
それより、なんとか退路を見つけること……。
そう考えて、四階への階段を駆け登った。
「おお?」
そこは、テラスのようになっていた。中庭に面しては壁がなく、ただ木の柵があるだけだった。
その奥、およそ十メートル先に、テーブルと椅子が二つ。
銀色の兜と鎧に身を包んだ人物と、リックが座っていた。
そして、俺の姿を目にすると、二人とも立ち上がった。
「これは……どういうことだ、リック」
「どうもこうも……ちぃっと予想外だったってだけですよ」
どういう状況だ?
「よぉ、女のオマケ野郎」
リックは、せせら笑いながら、そう呼びかけてくる。
「捕まりもせずにお前がここに来るたぁ、さすがに思わなかったぜ……まさか、そこまでこの女にご執心たぁな」
それでやっと気付いた。
リックが座っていた椅子の、すぐ後ろ。
両手両足を縛られ、白無垢の法衣姿のまま。マグダレーナは、そこに転がされていた。
……そういうわけじゃないんだが。ま、いいか。
だが、このやり取りに我慢できない男がいた。
「無駄話はいい」
甲冑の男が、懐から、なにやらスマホみたいなものを取り出した。
スマホ? この世界で?
だが、よく見るとどうもそれは、何かの石版らしい。
恐らく魔法の道具なのだろう。指先で何かを操作している。
まさか、あれが。
「お前ら傭兵が、まるで頼りにならんことは、よくわかった。こんなネズミにここまで入ってこられるとは」
「いや、そいつはちょっと違うんですよ、将軍」
「なに?」
後ろから、将軍と呼ばれた男の肩を叩きながら、リックは俺に語りかけてきた。
「紹介するぜ。この方がプレグナンシア王国の将軍、シン様だ。今回、国の宝物庫から『支配者の石版』を借り受けて、ここピールの攻略を引き受けた」
何をいきなり話し出すのか?
この展開を予想もしていなかったらしく、シンと呼ばれた甲冑の男も、俺とリックの顔を見比べている。
「んで、俺は……もう気付いてるかもしれねぇが、こっそりこちらの方に協力してたってわけだ……要するに、あちこちで騒ぎを起こして、当局の目を集める。その間に、将軍の部下の兵士達や、ドラゴンをこの街の中に引っ張り込む」
「おい、リック! 貴様、どういうつもりだ! こんな子供に、なぜそんな説明をする!」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ。あのガキは、ここで始末するんですから」
さて、どうしようか。
リックにはリックなりの理由や目的があって、こんな話をしている。
だが、俺としても大歓迎だ。状況を見直し、考える時間が手に入る。
階段の下では、今もシルヴィアが、リック配下の傭兵達と切り結んでいる。彼女は強いが、相手の数を考えるに、このままでは勝利は難しいはずだ。こうして足止めができているだけでも、充分すぎるほどの活躍といえる。
問題は俺だ。目の前にはたった二人。だが、シルヴィアと互角に戦ったリックに、実力は未知数ながら、将軍と呼ばれる男。どう考えても、俺の勝てる相手ではない。だが、彼らを何とかしなければ、シルヴィアの頑張りが無駄になる。
一人なら。即死攻撃を使用できればだが、始末できる。だが、残った一人に勝つプランが思い浮かばない。
「……で、この作戦の鍵は、ドラゴンだ。お前、もう見たか? すげぇよなぁ、あれ。火は吐く、矢も剣も通じねぇ。あんな重い体のくせして、羽ばたきもしねぇのに、空に浮きやがる」
「あれを操っているのか」
「そうさ。それが将軍の持ってる『支配者の石版』の力ってわけさ」
ベラベラと機密を喋るリックに、シン将軍は明らかに苛立っていた。バイザーをかぶっているのもあって、表情こそ見えないものの、仕草だけでもその感情は充分に読み取れた。
「野生のドラゴンってのは、おっかねぇらしいからなぁ。もしこの石版での支配が解けたら、えれぇことになんぜ?」
「おい、何を考えている」
「何も考えちゃいませんぜ?」
なんだか二人の様子がおかしい。
仲間割れでも起こしかねないような。
「ふん、どういうつもりか知らないがな……もういい。お前達が司令部を守れるというから、配下の兵を街の占領にまわしたのだ。だが、こんな子供さえ追い払えないというのなら……私の護衛は」
不意に頭上が暗くなる。
巨大な黒い翼が、視界を埋め尽くす。
そいつは旋回してから、俺達がいるのとは反対側の、総督府の屋根の上に後ろ足を乗せた。その重みで屋根の瓦が割れ、周囲に飛び散っているのが見える。
「ドラゴンに任せるとしよう」
「そいつはいい考えだ」
「わかったら」
将軍は、リックに命令した。
「さっさとそいつを殺せ!」
「あいよ」
リックは腰のシミターを無造作に抜き……それを将軍の脇腹に突き刺した。
「ぐあ!」
「なっ!?」
「さあて」
リックは、床に倒れこんだ将軍の手から、支配者の石版をひったくる。
「バ、バカな! ……リ、リック、血迷ったか、それ、は」
「わーかってますよ、アホ将軍。持ってればいいってわけじゃないことくらい……横で使い方、ずーっと見てたんですから」
「バカ、な、ドラゴンが、暴れ……」
「うるせぇ」
左手で石版を操作しつつ、残った右手で、あっさり将軍にトドメを刺す。
その瞬間、急にドラゴンがあらぬほうを見つめだし……耳をつんざく咆哮が、この場の俺達全員を襲った。
「うおっ、やべぇやべぇ」
慌てて右手で何らかの操作をするリック。それでまた、ピタッとドラゴンの動きが止まった。
「ふい~っ、焦ったぜ」
なんだ? どういう状況だ? これは?
戸惑う俺に、リックが話しかけてきた。
「なぁ、お前、名前、なんつった?」
「……ナール、だ」
「そうか、ナール、ありがとよ」
「どういうことだ」
「あー、そうか、残りの説明もしてやんねぇとな」
片手に石版を持ちつつ、リックはブラブラとテラスを歩いた。
「要するに、俺ァただの傭兵だからよ。この作戦がうまくいっても、手柄のほとんどが、このクソ将軍のモノになっちまう。スズメの涙の報酬だけもらって、ハイさよならだ。オマケに、なんでもエキスタレアにゃあ、勇者とかいうバケモノが出たっつー話じゃねぇか。もしそいつらがここに攻めてこようもんなら、俺達ァ、真っ先に捨石にされちまう」
「それで?」
「だったらよぉ、こんなゴミ将軍なんざブッ殺して、手柄も独り占めしたほうがよかぁねぇか? ついでにドラゴンも、もらっちまう、と」
なるほど、チンピラにしては合理的な思考だ。
確かに、恐るべき戦略兵器を手にできるし、将軍が死ねば、指揮権も彼に渡るかもしれない。そうなれば、ピール攻略の功績は、すべて彼のもの。
ついでに、どうもドラゴンの支配権については、あの石版を操作して設定する必要があるらしい。今も、将軍が死んだ一瞬で、ドラゴンは制御を失っていた。とすると、リックからあの石版を奪って、権利を上書きしない限り、プレグナンシア王国としても、滅多なことはできなくなる。
無論、国家の全力を注げば、彼を始末できなくもなかろうが、そんな真似をするくらいなら、リックのしたことを追認して、引き続きグオーム王国の戦力をひきつけてもらっていたほうがいい。
だが、それと俺と、何の関係がある?
「ただ、そこでひとーつ問題があってなぁ」
「なんだ」
「将軍を殺すのはいいんだが、タイミングというか、まあ、理由というか、原因? それがいるんだよ」
まさか。
「俺達を、将軍殺害の張本人に仕立て上げようと」
「そういうこと! 物分りのいいガキは好きだぜぇ?」
ヤバい。
ってことは、俺とシルヴィアは、これからリックに殺される。
「ただ、正直、最初にここに来るのが、お前らだとは思ってなかったんだがな」
そう言いながら、右手にシミターを構えて、近付いてくる。
俺は両手に剣を構え、あえて言い放つ。
「片手で相手とは、随分な余裕だな」
「見りゃわかる。お前程度なら、片手どころか片足でも勝てるさ」
どうする?
どうすれば。
間合いは既に、五メートルあるかないか。もう、あまり考える時間はない。
即死攻撃……使うか?
できるかどうかもわからないが。女悪魔の通知がないから、まだ使用できないかもしれない。だが、条件は満たしたはず。
だが、使ったとして。
ここでいきなりリックを殺せば、ドラゴンが暴れだす。俺は奴が支配者の石版をどう使っていたかを見ていないから、支配権を得ることはできない。
そうなったとしても、ドラゴンが俺達を狙うかどうかはわからない。
どこかに飛び去って、別のところで殺戮を続ける可能性もある。だが、そうならないかもしれない。なんにせよ、この周辺で暴れ続けたとしたら。
将軍が減っても、状況は変わらない。いや、むしろ悪化した。
リックも将軍も、所詮は人間だ。運がよければ勝てたかもしれない。
だが、あれは無理だ。いざ、標的にされたら、逃げ切ることさえできっこない。
……こうなれば。
俺の知ってる戦い方なんて、そんなにない。
いちかばちか、だ。
「リック」
「あん? なんだ、遺言か? 聞いてやるぜ?」
「あのドラゴン、もうすぐ死ぬぞ」
「なに?」
死ね。
死ね、死ね、死ね……!
心の中で強く念じる。
何かが解放されるような感触が、胸の中に広がる。
「グガアッ! グオアアォー……」
いきなりドラゴンは、断末魔の叫びをあげはじめた。
黒い巨体が揺らぎ、かしいで、総督府の中庭へとくずおれていく。
「な! ……なんで……!」
突然の異変に、リックは石版を取り落とす。石版は石の床にぶつかって、二つに割れた。
いまだ!
俺の足は、地を蹴っていた。
「がっ!」
たった五メートルの距離。それを一足飛びに突っ切って、俺はリックの鳩尾に剣を突き通していた。
実力で劣る俺には、いつだって奇襲しかない。そして。
自分でも信じられないほどの、この会心の一撃。
「こ……このっ!」
至近距離に張り付く俺を、リックは蹴飛ばす。俺は簡単に弾き飛ばされた。
だが。
彼の胸には、俺の剣が残ったままだった。
カラン、と音を立てて、シミターが床に転がる。
ややあって、リックは床に膝をついた。
「こ……こんな、ところ、で……」
それが彼の、生涯最後の呟きとなった。
その体は力なく揺らいで、そのまま突っ伏した。