第十七話
「なぁ」
「なぁに」
「サーク・シャーって、お前のこと?」
「そんなくだらないこと、訊きたくて呼んだの?」
ピンク色の空間にて。
寝る前に念じたら、やっぱり出てきてくれた。
「何の不満があるんだ? 念願のデートじゃないか」
「心がこもってないー」
そりゃあ、な。
こいつ、悪魔だし。
でも、自称神だからなぁ。
「ま、いいわ。あんまり言いふらさないで欲しいし、下手なこと言うと、むしろ君が損するだけだから」
「ふん?」
「サーク・シャーは、私じゃないよ? あんなもの」
「あんな? もの?」
「あれはねー、仕事が面倒だから、私が作ったロボットみたいなモノかなー」
「マジッ」
「そう、マジマジ」
なんてことだ。
「その気になれば、あんなもの、いくらでも取り替えがきくんだから」
「そんなどうでもいいモノ、どうして作ったんだ」
「それは、ほら……人間どもってバカだからさ、ほっとくとどんどん勝手なことやらかして、勝手に自滅するんだよねー」
「ひどい言いようだな」
「事実じゃん? 必要以上の競争をして自滅する……こんなの、他の動物はやんないのにね」
確かに、そういう側面はある。
牛丼チェーンの値下げ競争みたいなのが、その一例だ。最初は健全に、安くておいしい牛丼を作って出せば売れたのに、競争が激しくなってくると、今度は競争のための競争力の方が、実際の商品の価値より重要になってきてしまう。
その最たる例が、たとえば、株式市場なんかだろう。実体の価値より、その場の市況とか雰囲気で、簡単に相場が上下する。天皇家に新しく子供が生まれただけで、オムツメーカーの株が爆上がりしたりとか、そんなアホみたいな話がいっぱいあるからな。
歴史上でも、中国なんかが好例だ。後漢時代から宋代まで、過剰な競争を繰り広げ続けて、異民族の流入が続き、人口の増減を繰り返した。結局、六千万人以上が無事に暮らし続けるのは無理だったのだ。いったいどれほど血が入れ替わったのだろう?
そういえば、ネットの世界とかでも、そういうのは、よく見かけたっけな……。
中身の伴わない、上っ面の数字だけの過当競争ってやつを。
「だから、その辺にブレーキかけないと、全滅して面白くなくなるから、コントロールしなきゃいけないんだけど、面倒じゃん? だから、作ったわけ。サーク・シャーってのを」
「ふーん」
「で、訊きたいことって、それだけ?」
いいや。
もっと根本的な質問がある。
「……お前の目的は、なんだ?」
「ん?」
「俺達をこの世界に召喚した、その目的は?」
この質問に、彼女は凄みのある笑みを浮かべた。
「変なこと訊くんだねー、君達を召喚したのは、エキスタレアの王女様だよ?」
「実際に儀式に手を出したのはあいつらだけど、よくよく考えたら、強大な魔力を持った異世界人を召喚するなんて……そんなに簡単にできるなら、みんなもっとやってるはずだ。つまり、お前みたいな神モドキとか、何かものすごい力を持った誰かが介入したと考えないと、合理的にみて、辻褄が合わないんだよ」
「へー? 考えるんだねー?」
「茶化すな」
要するに、俺も天野達も、こいつの操り人形に過ぎないのかもしれない。
そう考えると、ちょっと腹立たしい。
「んー、その辺は、まぁ、秘密、かなぁ?」
「おい」
「答える義理ないしー」
「こっちは人生まるまる持ってかれてるんだぞ」
「かわいい子とえっちできたじゃん? まるでハリウッド女優みたいなシルヴィアちゃんと。日本じゃ一生無理だったでしょ」
「余計なお世話だ」
「んー、そうだなー」
指を唇に当てて、少し考えるフリをしてから、女悪魔は言った。
「じゃ、私とえっちしてくれたら、全部教えるよ」
「は?」
「どうする?」
「ど、どうするって……」
やるか?
シルヴィアあたりからすれば、これは浮気だ。
でも、実際問題、バレっこないし、相手が神とか悪魔とか、とんでもない奴なんだし、別に愛しているわけでもないし、何よりこいつの目的が俺にとっての死活問題かもしれないし、必要ありきだから、まぁ、いいだろう。
「でも、人間が私とえっちすると、死んじゃうんだけどねー」
「は?」
「ホントホントー。条件を満たさないと、死ぬようにできてるんだよー」
この女、根性はひん曲がっているが、あんまり嘘はつかない。
ということは、手を出したら本当に死ぬ。死んでまで情報を得ても、意味がない。
「それってどんな条件?」
「教えたくないなぁー」
「なんでだよ」
「そんなにしたいの? やー、お姉さん照れちゃうなー」
「けっ」
だめだ。
答えるつもりがないってことだ。
「拗ねないでよー。一応、こっちは応援してるんだから」
「面白がってるだけだろ」
「まー、それもあるけどー」
と、そろそろ時間らしい。
何度も顔を合わせているとわかる。こいつ、そろそろ話を切り上げるつもりだ。
「近々、チャンスがくるよ」
「チャンス?」
「つまり、ピンチね」
「どっちだよ!」
「君の場合、両方だよ。わかるでしょ?」
ってことは。
ピールの街に、何か暴力沙汰が起きる?
「薄々はわかってるんでしょ?」
「……盗賊団が、何かやらかすのか」
「なんとかうまくキル数を稼いでいかないと、今度こそ、助からないかもねー」
「おい」
「最近、サボってるからなー、君」
「しょうがないだろ」
「ってことでぇー」
女悪魔が手を振ると、俺の足元のピンクの膜が薄くなる。
「いとしのシルヴィアちゃんのところに、お帰りくださーい」
そのまま、俺は落下する。
「ん……」
目が覚める。
朝だ。
宿屋の天井。古い木材のくすんだ色。
そして、同じく、やや古びた布団。くすんだ黄土色のシーツに、二人して包まれていた。
例によって、先に目が覚めていたシルヴィアは、俺の寝顔を観察していたらしい。
もちろん、二人とも全裸だ。
「おはよ」
「おはよう、ナロ」
そう言いながら、彼女は俺に覆いかぶさり、口付けしてくる。
俺に対する呼びかけ方。全然一定していない。
これは、自分の立場を、頻繁に入れ替えているからだ。
外で俺の身元を隠す時には「ナール」、これはいいとして。
いろいろあったが、今では、勇者としての俺に話しかける時は「ナロ様」、恋人モードの時は「ナロ」に落ち着いた。
一応、フルネームは教えたのだが、名前が苗字の後にあるというのがしっくりこないらしく、今でも俺はナロのままだ。
「ちょ、ちょっ」
「んっ」
そして、口付けは一回では終わらない。
恋人でいられる時間は長くない。俺は前を向くといった。だから彼女も同じほうを向く。だけど、それはそれとして、自分と相手と、やっぱり二人きりで見詰め合う時間も欲しい。だから、少しでも貪っておきたい。こういうところ、やっぱり彼女も生身の人間なのだ。
「そんなにされたら、収まらなく」
「ん」
できれば、また手を出されたいのだ。
そうすれば、恋人タイムがもっと伸びる。
一仕事こなして、改めて水浴びを済ませた後、俺達は正気に返る。
「ナロ様」
真面目な話を切り出したい、という意志表示だ。
個室の丸いテーブルの上に、彼女は地図を広げた。
「そろそろ、次の目的地を」
「そうだな」
今朝の夢見。
ピンクの世界の女悪魔が、次のチャンス、即ちピンチがやってくると言った。
ということは、このピールに、大規模な暴力事件が発生する。
キル数を稼ぐいい機会ではあるが、今の俺は弱すぎる。
チャンスを生かしきれない場合、残るのは純然たる危険だけだ。
だから、この機会を見送って、遠くに行くのも選択肢の一つではある。
「やはりワナタイに行くのが一番いいかと思うのですが」
「でも、直行便がない」
「はい。そこで、中継地点にピラミアをと」
「なるほど」
今、俺達がいるピール市から真南には、大陸同士を隔てる海がある。
その対岸に位置するのが、ゾナマ。
熱帯雨林の広がる、それはそれは暑苦しい地域らしい。
その北東方向にあるのが、ピラミアだ。海沿いの一部と、オアシスを除けば、ひたすら砂漠が広がる地域。
だが、東の国々との貿易船は、ここで一度、足を止める。
その更に向こうにあるのが、ワナタイだ。
無数の島々からなる連合国家なのだとか。
ちなみに、陸路でこの大陸を東進する、という手もあるが、あまりオススメできない。
このグオーム王国より東には、いくつかの小国が存在するが、途中でそれらもすべてなくなる。
大昔の大戦争で、この大陸の東側にあった国々は、すべて滅び去った。今、東部の中心地にあるのは、広大な荒地だけなのだ。
大陸の東の沿岸部から、北西方向に向かっては、もう少しマシな環境が広がっている。大森林だ。そして、その北側には雪原。この辺りが、聖地テンプレーと呼ばれる領域だ。その中央に位置するのがチレム火山。この火山から南西方向にあるのがエキスタレア王国、という図になる。
「西側に行くというのは?」
「プレグナンシアあたりに亡命する、というのも手ではありますが」
エキスタレア王国ほどではないにせよ、これまた大国だ。
西方諸国の盟主といってもいい。
「あそこは今、エキスタレアと交戦状態にあります。受け入れてもらえたとしても、早晩、私達が発見される可能性が高いかと」
「確かにね」
キル数を稼ぐにはいいかもしれないが。
しかし、リスクがありすぎる。
「ゾナマは?」
「悪くはありません。が、その向こう側にいく先がありません。どちらにせよ、そこから更に逃げるとなったら、ピラミアしかないので」
「なるほど」
わかった。
じゃあ、やはりワナタイに行こうか。
「オッケー、じゃあ、もう船のチケットを取っちゃおう。とりあえず、ピラミア行きを」
「わかりました」
「朝食済ませたら、行こうか」
「はい」
そして、俺達は連れ立って外に出た。
だが……。
宿を出て少し歩いたところで、港のほうから、轟音が響いてきたのだ。