第十五話
海が見下ろせる丘の上。
微妙に涼しさを感じさせる風に吹かれながら、俺達は港に到着した船を見下ろしていた。
なにやら、やたらと大きなコンテナが、陸に揚げられている。黒塗りの大きな箱だ。あれはいったい、何を入れているんだろう?
「いい天気だなぁ」
そう呟いてみるも、シルヴィアの表情は硬く強張ったまま。
「あ、の?」
まずいな。
魔法の効果はもう切れている。こうやって不満が溜まっていくと、いつかは……。
この前の戦いで、自分の戦闘力がいかに惨めなものか、思い知らされたからな。ここでシルヴィアに去られてしまうと、かなり行き詰まることになる。
「もう、ダメだ」
「えっ」
低い声で不吉な言葉を漏らす彼女。
なにそれ怖い。
「迂闊に戦うと、ああいうことになる。追っ手がかかる前に死にかねん。そんな腕で剣を持つなんて、もう」
困った。
どうしよう。
まずは宥めないと……。
だが、肩に手を置くと、振り払われてしまった。
「今、私は真面目な話をしている」
うっ。
確かに。
でも、どうしろっていうんだ。
何が「すぐには問題にならない」だ、あの悪魔め。
逃げた先の最初の街で、もうこんなことになっているのに。
俺の女あしらいが下手すぎただけかもしれないが。
落ち着け。
こういう時こそ、合理的思考の出番じゃないか。
「じゃあ、今後とも、俺はずーっとシルヴィアに守られて生きていけ、と?」
「私は守る。そう決めた。決めた以上、絶対にそうする」
「守るほうはそれでよくても、守られるほうは?」
「なに?」
「誰かに頼らなければ生きていけない。そんな情けない人間になれと?」
この問いかけに、彼女は口篭もる。
それでいい、とは言えないだろう。なにしろ、彼女は貴族の娘でありながら、わざわざ騎士になった人間だ。
他の令嬢達のように、当たり前にきれいな服を着て、化粧をして、貴族の嫡男とお付き合いをして……こういった人生を拒否して、自力で生きていこうと。そう志して、あえて困難な道を選んできたのだ。きれいなお人形さんでいるより、泥に塗れた生身の人間になりたい。それがかつての彼女の願いだったはず。
それが今、俺が自分の力で生きたいんだと、そう主張した時、頭ごなしに否定することができるだろうか? 否、だ。
「私は……」
苦い表情を浮かべ、彼女は言葉を捜す。
「では、私は」
急に声のトーンが暗くなる。
力なく、彼女は言った。
「私は、役立たずなのか?」
「え?」
「何もかもを捨ててここまできた。なのに、大事な人一人、守りきれない」
「そんなことはない」
「ナロに死なれたら」
突然、ひしっとしがみついてきた。
「怖い」
「シルヴィア」
「自分が死ぬのは怖くない。でも、ナロが先に……そんなの」
なるほど。すぐには問題にならない、か。
でも、じわじわとは問題になる。
彼女はいまだに俺にお熱だ。
しかし、意味合いは変わってきている。
得た喜びから、失う恐怖へと。感情が揺り動かされつつある。
「大丈夫。俺は勇者だ。なんとなくでも、自分がどうすれば覚醒するのか、わかっている」
「えっ?」
全部は説明できない。
遠まわしに、なるべくきれいな言葉で説明する必要がある。
「そのためには……人が人を傷つけるような、困難の中にいなければいけないみたいなんだ。だから」
「それは、確か、なの?」
「たぶん。その証拠に……ほら、王都で殺されそうになった時だって、首を飛ばされても、なぜか死ななかった。高いところから落ちても。だから、そういう力なんだよ」
本当は、もう一度あんなところから落ちたなら、今度こそ死ぬのだが。
こうでも言っておかないと、シルヴィアが落ち着いてくれない。
俺は彼女の背中をさすりながら、なんとか安心させようとしていた。
「ま、軽い怪我なら、また教会にでも行って、治してもらえばいいんだし。どうってことないよ」
が、この一言が、地雷だった。
「……ナロ」
地獄の底から響いてくるような、低い低い声が、俺の両腕の間から聞こえてくる。
「な、なにかな」
「まさかとは思うけど」
「う、うん」
「あの、美人の女司祭に……」
ひえっ。
「わー、な、ない! それはない! 考えすぎ!」
「……本当に?」
「だって、ああいう人は、誰にでも優しいし! だいたい聖職者でしょ? こっちの宗教はよく知らないけど、そんなの、口説けるの?」
そう言われて、シルヴィアは若干、正気に戻った。
「サーク教の司祭は、確かに、在職中である場合、恋愛も結婚もできないな。公的な立場にある以上、神の前ではあらゆる人に対して、常に平等に愛を注がなければいけない」
「でしょ? だったら、最初からあり得ない話だから……」
「だが、職を辞せば、つまりあの教会の管理者としての立場を返上すれば、自由になる」
「へえっ?」
「もし、ナロと結ばれるために、教会を去れば……」
「ない! ないから! それは!」
恋は盲目、か。
自分にとって魅力的な男は、他のすべての女にとってもそうだと考える。
しかし、これは面倒になってきたな。
ガチャのレア効果で彼女になったはいいが、これによってシルヴィアは、自分を自分たらしめていたものを、ほぼすべて失った。騎士団にいたことも、彼女の重要なアイデンティティの一部だったはず。貴族の娘だったことも、そうだ。
それらがすべて失われた。今の彼女には、俺しかない。だからこそ、こうやってついてくるわけだが、ということは彼女の自己評価、自尊心の根拠は、俺次第だ。
これは不健全だ。
自立した思考ができない女になっていく可能性がある。別の言葉で言うと「重い女」だ。
そうなる前に手を打たなければ……どうすればいい?
合理的に考えると……自分で自分の存在意義を見つけさせる。つまり、別の何かに関心を持ってもらう。
それはそれでいいのだが、俺の役に立ってくれなくなっても困る。
ということは、結論はこれだ。
『俺が勇者として、世の中のために役立とうとする。シルヴィアはそのサポートのためにも必要だ』
これであれば、彼女は俺の傍にもいられるし、一方で自分の存在価値を見失うこともない。俺の横で剣を振れば、救われる人間も出てくる。その人達の感謝の言葉で、自分はやはり騎士なのだと自覚する。
で、やることはといえば、やっぱり悪者退治だ。悪人を殺す。これでウィンウィンの関係だ。やがて俺は、本物の勇者になる。
よし、この線でいこう。
「いい? シルヴィア」
「え、う、はい」
顔を近づけて、囁く。
「俺だって、役に立ちたいんだ」
「ん……」
「せっかくこの世界に来て。勇者としての力もあるはずで。だったら、何かしなきゃ、おかしいじゃないか」
「はい」
よしよし、いいぞ。
「シルヴィアだって、騎士の立場も、貴族の身分も、全部捨ててきたのかもしれない。だけど俺は、元の世界から呼びつけられたんだ。戻る手段だってわからない。だけど、自分なりに前を向こうとしてる。わかって欲しいんだ」
彼女はそれで、はっと息を飲む。
……さぞ大事なものを奪われたのに違いない。家族や友人、向こう側での学業や仕事。夢。なのに、押し付けられた運命の中でも、あえて頑張りたいというその態度。英雄的だ。
本当は、帰りたくもない家と、つまんない学校生活があっただけなんだけど、まあそれはさておき。実はいっぱい人を殺して、ボーナスを受け取らないと、天野達に追いつかれたら死ぬからなんだけど、まあそれはともかく。
「もしできれば、俺を助けて欲しい。それだけじゃなくて、シルヴィア自身、前を向いて欲しいんだ。俺だけを見てくれるのは嬉しいけど、俺は前を向いていきたい。だから、一緒に歩いて、手を貸して欲しいんだ」
口先一つで、よくもまぁ、こんなにペラペラと。
俺、完全にアレだな。夢を語るヒモっていうか。
だが、この演説に、彼女はいたく感動したらしい。
「わかった!」
目に涙が溜まりかけている。だが、流したりはしない。ぐっと食いしばっている。
「私、頑張る! 頑張ります!」
ものすごく清々しく、力強く、彼女はそう言い切った。
それからの俺達は、とてもいい感じだった。笑顔で寄り添いながら丘を下り、波止場でカモメ達を眺め、最後に市場を見て歩きながら、いつも同じ店で食べてたら飽きるね、なんて雑談をして。
そこでバッタリと顔を合わせてしまった。
「あっ、こんにちは!」
両手に紙袋を抱えて、前が見えなくなりつつある状態の、マグダレーナに。
「あ、どうも」
「仲がよろしいんですね! わ、ちょ、ちょっと」
どうやら、ややドジっ娘の素質があるらしい。いつかの時のように、また持っているものを落としそうになった。
「おっと」
駆け寄って、崩れ落ちかけていた紙袋を掴む。
「ああ、助かりました」
「これ、なんです?」
紙袋の中には、果物や野菜がぎっしり入っていた。
「今夜の夕食の材料ですよ」
「ご自分でいつも?」
「ええ! これでも料理には自信があるんです」
それは意外だ。自分で自分の指とか、切ったりしないんだろうか。
しないんだろうな。集中している間は、割としっかりしていそうだし。
教会の中では割合、物静かだった彼女だが、こうして市場に出てくると、また違った顔をしていた。
もっと明るくて、社交的な感じがする。どちらにせよ、毒気のない気持ちよさは変わらないのだが。
「そうだ、よろしかったらお二人とも、教会までいらっしゃいませんか? 私がご馳走しますよ!」
「え、いいんですか?」
「はい! 一人で食べるより、大勢で食卓を囲んだほうが、楽しいじゃないですか」
「じゃあ、是非」
「わあ! じゃあ、腕によりをかけて作りますね!」
子供のようにはしゃぐ彼女は、前に立って元気よく歩き出した。
それについていこうとして、ふと、腕に輪っかがかけられているかのような感じを覚えた。
振り返ると、笑顔のまま、硬直しているシルヴィアがいた。