第十四話
一見、のどかな田園風景。収穫を間近に控えた麦の穂が、風に揺れる、そんな中。
俺は全身汗だくになりながら、剣を振っていた。
目の前には緑色の小鬼。
身長は俺より低いのに、腕も細いのに、なんて力だろう。鍔迫り合いになっても、下手をすると押し負けそうになる。
こいつの使う木の棍棒。合間に石の刃が詰め込まれている。下手にぶつけられたら、大怪我だ。
「うおおっ!」
「ギィイッ!」
俺の剣が、やっとゴブリンの肩口を捉える。
と同時に、棍棒が俺の脇腹を打つ。
「ぐふうっ!」
苦痛によろめく。
ダメだ!
すぐに立て直せ! 剣を構えろ!
剣先を前に突き出し、後ろによろめきながら、そっと前を見る。
相手も重傷を負ったようだ。
その苦しげな表情から、「殺す」という行為の実感が、じわじわと這い上がってくる。
「ぐあああ!」
それを振り払うように、俺は雄叫びをあげながら突っ込んだ。
そうだ、殺すなら、「斬る」んじゃない、「突く」んだ。
奴の棍棒が、俺の左腕を強く打つ。
と同時に、俺の剣先が、その喉に深く突き刺さった。
「グ、ギ」
短い呻き声を漏らして、ゴブリンは麦畑の中に倒れる。
やった。
初めての勝利、しかし……。
「ナール!」
遠くから、シルヴィアが全力で走り寄ってくる。その表情には、いつもの甘えた雰囲気は微塵もない。
大丈夫、ちゃんと倒したから。
いや、油断はいけない。急に他に敵が現れてもいいよう、周囲への警戒を怠らないこと。彼女がすぐ傍に合流するまでは。
「無事だったか!」
「倒したよ」
足元に転がるゴブリンを確認してから、彼女は周囲を見回した。
「掃討、完了、か……」
あれだけ戦闘を伴う依頼を嫌っていたシルヴィアが、ついに折れた。
ゴブリン退治なら、と了解をもらったのだ。もちろん、彼女が同行することが条件で。
結果はこの通り。
全力で戦って、俺の成果はたった一匹。
それに対して、彼女は十一匹も片付けている。
しかも……。
「う……」
「どうした!」
俺の異変にすぐ気付いた。左腕と、左脇腹。どちらも一撃ずつもらってしまった。
「これだから……ああ」
心底耐えられない、というように、彼女は首を振った。
「大した怪我じゃない」
「傷をなめるな!」
うおっ、と。
確かに、そうかもしれない。
現代日本であれば、ちょっとした負傷など、さほど問題にはならない。手術だってできるし、消毒剤に抗生物質……治療手段も、治療後のサポートも万全だ。しかし、ここではそうもいくまい。
「早速、手当てをしてもらおう。早めに街へ」
「わかった」
ピール近郊の農家の皆さんから、お礼の野菜を受け取りつつ、足早に引き返す。
目指すは街の中心にあるサーク教会だ。
一ヶ月もこの街にいながら、ここに来るのは初めてだ。見れば、地球のキリスト教会のような尖塔が突き立っている。外周は隙間もないほどしっかり詰まれた石の壁だ。敷地内に入ると、足元が心地よい緑の芝生に覆われている。
だが、観音開きの扉を越えて、中に入ると世界が一変した。
ステンドグラスに、点々と灯された蝋燭以外、光はない。だが、その微かな光で照らされた床には、無数の負傷者が転がっていた。一応、下に毛布は敷いてあるのだが。
なんだ、これ?
「ようこそおいでくださいました!」
かわいらしくも、はっきりとした口調で、話しかけられた。
白い法衣の女司祭だ。大きなドーナツ状の帽子に、体のラインもわからないような、ダラッとした服。縁取りは金糸だ。
すっきりした透明感のある顔立ちに、ほっそりした腕、華奢な肩。彼女も金髪だが、シルヴィアよりずっと髪の毛が長い。
「お手伝いの方ですね? お待ちしておりました! さあ、早速こちらへ」
「あ、いや」
「見ての通り、猫の手も借りたいほどで、さあ」
「あの、負傷」
そこでシルヴィアが割って入った。
「こちらのナールが負傷者なのだが、ここの教会では、人手が足りないようだな」
「えっ!?」
俺が怪我人とわかると、急に慌てふためいて、キョロキョロと観察しだした。
「えーっと……脇腹と、前腕、ですか?」
「あ、はい」
「そこまで重傷ではないようですが、わかりました。少しお待ちいただくことになりますけれど」
彼女は、俺とシルヴィアを、広間の隅の長椅子に座らせると、またすぐに駆け出していってしまった。
「えっと、シルヴィア?」
「なにか?」
「教会って、どこもこんな感じ?」
「いや……」
彼女にとっても、これは異常事態なのだろう。
「確かに教会は、病人や負傷者の面倒を見ることが多い。ただ、戦場でもないのに、こんなに怪我人であふれているとなると」
それから小一時間、ひたすら待たされた。
こうなってくると、むしろ傷口がじくじく痛んでくる気がする。やられた直後は興奮であまり何も感じなかったのに、不思議なものだ。
ちなみに、ここで待たずに病院に行くことも検討したのだが、シルヴィアが難色を示した。この世界、特に民間では、高額な支払いを要求される上に、まともな治療をしない医者が少なくないらしい。部下の兵士達が、いい加減な治療に苦しめられたのを見聞きしたことがあったという。残念なことに、聖職者のボランティアでの治療の方が、ずっとアテにできるのが現実なのだとか。
「すみません、大変お待たせ致しました!」
さっきの女司祭が、バタバタと駆けつけてきた。
「動けますか? 早速、手当てさせていただきますね」
真っ白でほっそりとした指先。それがそっと俺の手に添えられる。
「立てますか? こちらですよ」
ちょっとドキッとさせられる。顔立ちが整っている美人というなら、藤成なんかもそうだし、事実、思わず見とれてしまうのだが、彼女にはまた、違った魅力がある。
こう、聖職者ならではというか。引っかかるところのない、スッとした……なんて言えばいいんだろう。濁りのない透明な水のような爽やかさがある。
小部屋に入ると、そこは明るかった。
「では、鎧を脱いでください。自分でできますか?」
そこでシルヴィアが割って入る。
「問題ない。私が」
「では、お願いしますねー」
すると彼女はバタバタと、下の棚から薬の瓶を取り出したり、上の棚に背伸びして手を伸ばしたり……したところで、手を滑らせた。
「きゃっ」
上から、ガーゼをつめた籠が落ちてくる。それが彼女の帽子を撥ね飛ばして床に転がる。
「わわわっ」
慌ててガーゼを拾い上げる。それでも、床に落ちたものをそのまま使うわけにもいかないので、まだ籠の中に残っていた清潔なものを取り出す。
「そちらは」
「準備できている」
俺は上半身裸で、ベッドの上に寝かされている。
そこへ女司祭が屈みこんだ。
「あー、これは……」
「うむ……」
一瞬、顔色が変わったのに気付く。シルヴィアも、少し硬い表情だ。
「お腹、痛くなかったですか?」
「それは、まあ」
「頑張りましたね、よく歩いてきましたね」
こう、医療機関にいる人、お医者さんとか看護婦さんとか、そういう見え透いたお世辞めいた言葉を、よく患者にかけたりするものだが。
妙にくすぐったい感じがする。
まあ、そういう優しさがない医者よりは、百倍いいと思うのだが。
「少し痛みますけど、もうちょっとだけ頑張ってくださいね。今、お薬で傷口を洗い流しますからね」
「はい」
返事をするが早いか、ひんやりする薬が塗りつけられ、いきなりそこにピリッと痛みが走る。
「いっ」
「痛いですか?」
「いっ、いえ」
「痛いはずですよ、毒を塗られた石が突き刺さってるんですから」
「は!?」
やれやれ、といった様子で、シルヴィアが溜息をつく。
「ゴブリンどももバカじゃないということだ」
いつでもどこでもというわけではないのだが、ゴブリンは、意外に知的な戦術を用いる。
まず、目に見えて恐ろしいのが、その連携能力だ。人間には聞こえない声で呼びかけあうことがあるらしく、これにかかると、気付かないうちに包囲されてしまうこともあるらしい。また、夜目が利くため、夜間においては、その脅威は何倍にもなる。
それから、今回のように毒を用いることもある。彼らの技術力では、鉄の剣は作り出せない。だが、石を丁寧に鋭くして、棍棒にくっつける。こうした石は脆いが、鋭利な点では、鉄器に劣らない。しかも、脆いだけに厄介で、その破片が敵の体内に残る場合がある。そういう石の欠片に、毒が丁寧に塗りこまれているわけだ。
こういう毒が、敵をじわじわと弱らせるのに役立つ。即効性はあまりないので、一対一では意味が薄いが、多人数での持久戦では、無視できない影響が出てくる。
それゆえに、ゴブリンの群れは、小さいうちに叩き潰す必要がある。知的で有能なリーダーに率いられた集団は、軍隊でも油断できないほどの戦力をもつようになるためだ。
くそっ、ゴブリンのくせに。雑魚キャラのくせに、やけに合理的な戦術じゃないか。
「うえぇ」
「だから戦いをなめるなと……だから言ったのに」
傷を負うこと、即ち死ぬことだと。
戦いを知れば知るほど、そういうものだと身に沁みていくのだろう。
わかったつもりでも、まだまだ俺は甘かった。
「くっ」
細かな破片が、思った以上にたくさん突き刺さっているらしい。女司祭は、それをピンセットで丁寧に取り除いていく。
「また痛みました?」
「あ、はい、済みません、なんか」
「いえいえ」
こんな面倒な作業をしながら、それこそグロテスクな傷跡を見て、人の血にまみれながらなのに、彼女は笑みを絶やさない。
「なにか、気が紛れるお話をしましょうか」
手を止めずに、彼女は話しかけてくる。
「お二人は、どちらからいらっしゃったんですか?」
世間話……今の俺達には、なかなかに危険なテーマだ。
「えっと……」
「エキスタレア王国からだ」
「そうなんですか。遠いところからいらしたんですね」
地名とか、常識とか、その辺についてはシルヴィアに任せたほうがよさそうだ。俺だと、頓珍漢なことを言いかねない。
「この国へは、どんな御用です?」
「あ、特に、用事は、ないんだけど、なんとなく、かな」
「なんとなくですか」
「その、ほら、冒険者、はじめっ……たし」
「あっ、痛かったですね、ごめんなさい」
彼女に質問ばかりさせておくと、こちらの身元について、余計なことを口にしかねない。
となれば、こちらから話を振ったほうがいい。
「あの」
「はい?」
「ここ、いつもこんな感じなんですか?」
「こんな、と言いますと……?」
「怪我人がいっぱいいて」
「ああ!」
相槌を打ちながら、彼女は答えた。
「ここ一年くらいですね。何かあるともう、すぐ刃傷沙汰になってしまって」
「どうしてこんな」
「ええと、それは……」
少し答えにくそうにしながら、なんとか返事をする。
「やっぱり、港湾の警備員の方々ですとか、商店街の自警団の皆様ですとか、その辺りで、お怪我をなされる人が多くて」
「それは被害者の方が、そういう人達ってことですよね? では、誰がその皆さんを傷つけたんですか?」
「えっと、それは」
「ナール」
俺の質問を、シルヴィアが遮った。
「サーク教の聖職者は、言葉で他人を貶めることを許されていない」
「えっ?」
「たとえそれが盗賊どもであってもだ」
あ……
そういうことか。
「どこか遠くの外国の方なんですか?」
「えっ」
あっ。
しまった。
この女司祭、ほんわかしているくせに、なかなか鋭い。
「え、ええ、まあ」
「そうなんですか。でも、こっちの言葉はお上手なんですね」
この辺の人間なら、サーク教の常識くらい、弁えている。知らなかったのは俺だけだ。
「もうすぐ終わりですよ」
白いガーゼを巻きつけながら、そう言ってくれる。
「はい、おしまいです。完全に毒が抜けるまで、なるべく安静にしてくださいね。それと、少し出血しましたから、力のつくものを食べてください」
「ありがとうございます」
治療が終わってみると、なるほど、確かにさっきより体が軽くなったような気がする。
気付かないうちに毒の影響下にあったわけだ。
建物の出入り口で、彼女は俺達を見送った。
「私、ピール西教会のマグダレーナと申します。よろしければ、また遊びに来てくださいね」
「はい、お世話になりました」
無垢の笑みを浮かべながら、彼女は俺達を祝福した。
「ふふっ、それでは……我らが守り神、サーク・シャーの加護のあらんことを」