第十三話
「ただいま」
「おかえり」
ピールの街に着いてから、一ヶ月ほど。
俺はこのところ、毎日、外で剣術を習っている。
結局、俺がどんなに頼んでも、シルヴィアは俺に剣術を教える気にはなってくれなかった。それどころか、あんまりしつこく頼むと、ふて腐れてしまう。それでも頼むと、押し倒される。
「あれ? もう水浴び、したの?」
「あ……うん、でも、もう一回……一緒に……」
「あ、いいよ! もう、ご飯食べにいかないと」
では、彼女が剣術を捨てたのかというと、そうではない。今も、俺がいないところでは、日々、鍛錬を重ねているらしい。今日も外で動いてきたのだろう。だから、先に水浴びを済ませていたのだ。
季節はもう、夏の終わり頃。ただ、ここピールは南国なので、エキスタレアよりはまだ暑い。
「うーん……」
俺の拒否に、彼女は不満げな声を漏らす。
「時間なくなっちゃうから」
「うーん」
これだけ一緒にいて、わかったことがある。
当たり前すぎることだが、彼女は体力オバケだ。無尽蔵のスタミナがある。
騎士団時代には、重い金属の鎧を身につけて、何キロも走りこんだりしていたのだ。だから、今も体力が有り余っている。
その分、肉体的な欲求も激しい。食欲も旺盛だし、夜のほうも凄まじい。ただ、今までは、騎士としての禁欲的な生活態度と、貴族の娘としてのたしなみが、ある種の抑制となっていたのだ。それに、愛欲を知らずにいたのも大きい。
だが今、彼女には社会的な抑制がかかっていない。俺との関係も続いてきていて、だんだん気安い物言いをするようになってきた。変な壁がなくなるという意味では、彼女として、よりかわいらしくなったとも言えるのだが、その分、要求が大きくなってきている。
……だから、密かな危機感を覚えつつある。
「しょうがないか」
「うん、しょうがない、すぐ浴びるから」
「いや! やっぱり私も」
「ちょ、ちょっと!」
日本にいた時、高校のとある先輩の女の子が、こんなことを言っていたっけ。
『女は、オマエ呼ばわりが好きだからねー』
当時の俺には、理解できなかった。「お前」という言葉には、気安さがある一方で、相手を自分以下にみなすニュアンスもある。友人同士で呼びかけあう時に使う言葉でもあるのだが……たとえば、兄が弟に向かって「お前」ということはあっても、弟から兄にそう呼びかけることはない。
つまり、女は男に見下されたいのか? 男女平等の日本においても? そんなの不合理だ。
だが、そうではないのだ。
男には、自分より優秀な存在でいて欲しい。イケメンだとか、高学歴、高収入だとか、とにかく女を上回る何かを持っていて欲しい。そして、常に上から見守っていて欲しい。
でないと、自身そのものを捧げたのに、なんだか損したような、自分まで値打ちが下がったような気がしてしまう。
俺に剣術を教えたがらないのも、その辺が理由ではないかと踏んでいる。
戦闘力においては、今のところ、彼女は俺の遥か上をいく。強い力をもった勇者としてこの世界に出現したはずなのに、自分より弱い姿を目の当たりにしなければならない。しかも、鍛錬なのだから、駄目なところがあれば、それこそ騎士団の部下達に接するように、叱咤しなければならない。
その関係性が、いやなのだ。
魔力のせいであるにせよ、シルヴィアは俺に惚れた。
だが、それは俺のどこかの部分を、自分以上とみなしているからだ。魔法のせいで認識が狂っているにせよ。
しかし、日常生活の中で、徐々にそのメッキが剥がれていったら。
やはり、急がなければいけない。
「ほら! やっぱりはじめるんじゃ」
「だって」
「遅くなるかんっ」
まだ汗も流していないのに。
シルヴィアは、俺にむしゃぶりついた。
これを見る限り、当面のところは、心配要らないのだが。
「こんばんは」
「おー、らっしゃい!」
鍛錬とは別の疲れを背負った状態で、俺はいつもの酒場を訪れた。
店主とも、すっかり顔馴染みだ。
「いつもの」
「はいよっ!」
そうして、俺とシルヴィアはテーブルにつく。
二人とも、ろくに料理なんてできない。一応、彼女は騎士団時代、簡単な調理くらいはやった。しかしそれは、野戦用の糧食を、ただ食べられるようにするという程度のものだったし、そもそも身分が身分なので、軍隊でも普段の食事は部下が用意していた。
だから必然、こうして外食を繰り返すことになる。幸い、この国は外食文化が発達しているので、安くおいしいものが食べられる。
すぐに熱々の野菜スープと薄っぺらいステーキ、それにパンとミルクが運ばれてくる。
ちょっと贅沢かなとは感じているが、手元に金はあるのだし、多少はいいものを食べても構わないのではないかとも思う。いざ、逃げることになったら、何も持ち出せないかもしれないのだし。
「いただきま……」
「ヒャッホー!」
いつものように食べ始めようとした瞬間、この酒場の外で、喚きたてる男達がいた。そいつらはそのまま、ドカドカと店内に踏み込んでくる。
「オヤジ! 酒だ! じゃんじゃんもってこい!」
「はいよっ、ただいま!」
「ここの客にも、全員出してやれ! 俺のオゴリだ!」
「まいどありっ!」
なんだ? いきなり?
「お前ら! いいニュースだ! 喜べ!」
集団のボスザルっぽい、やや狂暴そうな小太りの大男が、声を張り上げた。
「グオーム王国軍が、ついにプレグナンシア軍を破った! リプロ砦を落として、進撃中だ!」
この知らせに、酒場中の客が、おおーと歓声をあげる。
国軍なんか信用していない庶民だが、それでも自国の勝利は嬉しい。敵国に敗北して、占領下に入ろうものなら、それこそ略奪から婦女暴行から、どんな目に遭わされるかわかったものではないからだ。
「エキスタレア王国の援軍のおかげだ! 聖剣の『勇者』と『聖女』、それに『闘士』の活躍で、砦は一瞬にして陥落したそうだ!」
……勇者?
勇者だって!?
普通に考えて、勇者は天野、闘士は比嘉のことだろう。
聖女というのが、どっちのことかは、わからない。たぶん、藤成だろう。星井は、どっちかっていうと性女だし。もしかしたら、二人とも参戦したのかもしれないが。
しかし、だ。
砦を落とした? 彼らの力で?
俺の首をキレイにすっ飛ばした天野の剣技はたいしたものだし、洞窟の中を焼き払った比嘉の能力も凄まじい。だが、あんな程度で、砦を?
もしかして。
勇者の能力の覚醒には、段階があるのか?
あり得る話だ。
俺だってそうじゃないか。今までの能力は、どれも使いきりだったとはいえ、無駄に消費しなければ、今でもまだ、一回だけは不死身だったわけだし。それに今後の報酬によっては、永続的な強化だって期待できる。
そう考えると、あいつらは、更なる覚醒を遂げていることになる。
そして、その力を戦争に使った。
ボヤボヤしてはいられない。
あの時には、逃げ切ることができた。
でも、今、奴らと相対したら?
どうやったのかはわからないが、星井は俺を見つけるのに成功した。もう、距離も離れているし、その能力がどんなものかもわからないから、もう一度俺を捕捉可能かどうかはわからない。だが、その可能性があるのなら。
「ナール」
シルヴィアが声をかけてきた。俺の表情の変化を、戒めるように。なお、外では呼び捨てにするように言ってある。
ここではみんな、嬉しそうにしている。だから俺も、めでたいと喜んでみせるべきだ。一人だけ、顔色を変えたとなると。
「食べようか」
「うん」
何事もなかったかのように、俺達は食事を喉に流し込んだ。
……その夜。
「そだよー」
久しぶりにピンクの空間に浮かんでいる。
寝る時に、あの女悪魔と話したい、と念じて横になったら、案の定、出てきてくれた。
「君がシルヴィアの巨乳の虜になってるうちに、みんなどんどん覚醒してるねー」
「マジかよ」
「もう、天野君なんか、剣を手で持ってないもんね。聖剣が巨大化しちゃって」
「そうなのか」
「もちろん、手元には白兵戦用の剣は別に持ってるんだけど、もうね、戦争なんて、大きな聖剣を砦に飛ばしてぶつけるだけの簡単なお仕事」
「うへっ」
「魔力を発散しながらだから、直撃しなくても、近くにいる兵士とか、バタバタ死ぬんだよー」
どんだけ。
せいぜいが弓矢で攻撃するような文明レベルの世界で、一人だけミサイル持参か。しかも、準備も何もなしに連発できるとか。
「じゃあ、逆に繊細なコントロールは難しいとか?」
「ん? そんなことないんじゃない? 聖剣を小さくして、手元に持つこともできるし、ついでに光のオーラもまとえるから、下手な鎧なんかもいらないしね」
あかん。
もう無敵じゃないか。
「藤成ちゃんのほうも、なかなかだねー。怪我を治す範囲も広くなって、一度に百人くらいの重傷者を、一瞬で治してたし」
「げえっ」
「そもそも、リプロ砦じゃ、怪我人すら出なかったけどね。青い光のオーラで、防御結界を張れるようになってたから、弓矢も投石器も届かないし」
「デタラメだな」
呆れて物も言えない。
「ついでに、比嘉君も、出せる火の球が、大きくなってたねー。もう、クレーターがいくつできたことか」
「……あのさぁ」
「ん? なに?」
「なんで俺だけ、こんな変な能力なわけ?」
ホント、なんでこんなに不平等なんだよ。
あいつら、みんな強くて使いやすい能力をもらってるのに。
「えっ? 文句あるの?」
「あるのっていうか……だって、何の魔力もなければ、そもそも殺されそうになったりもしなかったわけだし。いざ使おうとしても、制約が厳しくてなかなか思い通りにならないし」
「でも、君が最強なんだけどね」
「実感がわかない」
「努力が足りないんだよ」
「努力って、人殺しだろ?」
「そう!」
屈託なく言いやがって。
「もっとシルヴィアちゃんをうまく使いなよー」
「それが難しいんだよ」
「とにかく、戦いに巻き込まれちゃえばいいんだよ。そうすれば、あとは片付けてくれるだろうしさ。で、『殺せ!』っていえば、万事解決」
確かに、それくらいの強硬手段をとる必要があるかもしれない。
「ま、今日のニュースで、シルヴィアちゃんも危機感をもっただろうし、強くなることには反対しなくなるんじゃないかなぁ」
そうなってくれると、ありがたい、が。
「そういえば、ここから先、俺、どんなボーナスをもらえるんだったっけ」
「ああ、リストね。はい、これ」
目の前に紙切れが浮かび上がる。
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<成果表>
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キル数 ご褒美
………… …………
………… …………
10 ノーマルガチャ3回
13 即死攻撃(使いきり)
15 戦闘能力レベル1付与
18 絶倫二等兵
20 ノーマルガチャ5回
………… …………
………… …………
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「って感じかなぁ」
「ああ……どーも。大変そうだ、こりゃ」
「あとちょっと頑張れば、本当に強くなれるよ!」
だといいが。
「ってか、なにこの絶倫二等兵って」
「よくぞ訊いてくれました! そっちも強くなれるってワケ! サイズは小型そのままに、威力、耐久力ともアップ、オマケに連射機能まで」
「あー、わかったわかった、あと小型は余計だ」
あと、気になる能力としては……。
「即死攻撃って?」
「見たまんまだよ。念じた相手がその場でコロッと死ぬの。但し、見える範囲にいる場合だけ。間違えて誰かに使っちゃわないようにね。キャンセル利かないから」
怖っ。
チラッと思っただけで、うっかり死なせたりとかしたら困る。
便利そうだけど、ずっと抱えてるのも不安になるな。
遠くから天野とか、ヤバそうな連中を消せるならいいのに。まあ、そこまで便利なものが、そんなに簡単に手に入るわけないか。
「ちなみに、この戦闘能力レベル1って、どんなもん?」
「えっと、だいたいの目安でいうと、まぁ、脱素人ってくらいかな。ちなみにシルヴィアちゃんがレベル3相当で、天野君はレベル4くらい。人間の限界はレベル5かなー」
「全然ダメじゃん」
「ちなみに今の君は0レベル」
「げえっ、そんなに弱いのか、俺」
「頑張れ!」
無責任な激励に、俺は肩を落とすばかりだった。