第十二話
手渡されたのは、小さな金属のタグ。見るからにボロっちい作りだ。
「よろしいですかな? それがギルド証ですのでな。決してなくさないように」
垂れ下がった眉毛まで、きっちり真っ白になった老人が、年に似合わずハキハキした口調で、そう説明した。
「名前は……確認ですが、ナールとシルヴィア、これでいいですかな」
「はい」
この日、俺とシルヴィアは、二人して冒険者ギルドに登録した。
ちなみに、シルヴィアの剣以外は、すべて新調した。鎧なら、騎士時代のものがあるのだが、あれは重量がかなりあるし、立派過ぎて目立ってしまう。だからこちらでは、革に金属の鋲を打ち込んだだけの、軽い鎧に着替えた。すべてを少人数でこなさねばならず、身軽さが重要となる冒険者の生活を考えれば、これが合理的なのだ。
馬子にも衣装。俺も一応、装備一式を身につけてはいる。まずメイン武器の剣を左側に、サブ武器としてのナイフを右側に、それぞれ腰から提げている。
冒険者というのは、世間体のいい仕事ではない。仮にも一国の騎士だった彼女からすれば、これは落ちぶれたとしかいいようがない状況だ。それでも、俺の安全を確保するために、あえて一緒に来ることを選んでくれた。
なお、俺はナールと名乗ることになった。ファーストネームがナールだ。この命名の理由だが、そういう人名がこちらの世界では普通にあるということ、それとシルヴィアがうっかり俺のことを「ナロ」と呼んでしまった場合にごまかすためでもある。
「依頼はそちらの掲示板にありますんで。受注したいものがありましたら、ここまで持ってきてください」
じゃあ、早速……と貼り紙を見る。
『リック盗賊団の討伐……頭目の捕縛または殺害に金貨千枚』
『近郊の畑にゴブリンの集団……一匹退治につき、金貨一枚』
『警備員募集……夜間手当あり、詳細は港湾管理委員会まで』
『サーク教会……負傷者の治療のため、アシスタント募集中』
盗賊団、か。おいしい獲物だ。
頭目は金貨千枚。ちょっとした賞金首だな。殺せば、一般人なら三年は遊んで暮らせる。
それに比べると、ゴブリンの相手は効率が悪いな。
一匹片付けるごとに、たった金貨一枚、か。いや、それでも二十匹倒せば金貨二十枚、つまり一ヶ月分の生活費になってしまう。ということは、そんなに簡単な仕事ではあり得ない。甘く見ないほうがよさそうだ。
他は金額が書いていないが、直接戦闘を示唆する記述がない。
警備員は、もし危険だったら、他の仲間に警告だけして逃げても、きっと許される。目的は倉庫か何かの防衛であって、敵の討伐ではないからだ。もっといえば、単にその場にいて、犯罪者を威嚇できれば、それで充分仕事したことになる。ただ、これで人を殺せるだろうか?
サーク教会は……完全に、ただの肉体労働っぽいな。これはパスだ。
さて、どれを選ぼうか……あっ。
「これがいい」
俺が選ぶ間もなく、シルヴィアは、警備員の仕事を選択してしまった。
「えっ、ちょっと」
「済まないが、事務員の方」
呼ばれて、老人はこちらに振り向いた。
「この仕事はどのような」
「あぁ、これですか。最近はなかなか物騒ですからなぁ」
「というと?」
「リック盗賊団ってのがですね、この辺を荒らしまわってまして」
ほう。
その話、詳しく聞きたいところだ。
「リック・コポルって傭兵上がりの男がいましてな、そいつがもう、去年あたりから好き勝手やっておるんで、手に負えんのですわ」
「国軍は、何をしている」
「お前さん、軍人さんかね?」
確かにその発想は、公務員ならではのものだ。庶民は国軍など、のっけから信用していない。
「あ、いや」
「軍隊がなんとかしてくれるくらいなら、冒険者なんかおりゃせんよ」
そうだ。これは気を引き締めないと。
今、スッと緊張感が心の中に入り込んできた。
シルヴィアは、世間知らずだ。
俺よりこの世界には詳しいし、武勇にも優れている。頭もいい。でも、それだけだ。
彼女は俺と違って、庶民の暮らしを体験したことはない。これは無視できない弱点だ。
貧困や苦境を知らないという意味ではない。騎士として過酷な鍛錬に身を置いてきた彼女だから、粗食にも慣れているし、好きな時に入浴できなくても我慢できる。寝床が少しくらい狭かったり汚かったりしても、文句を言わない。
ただ、庶民目線のものの考え方というのが、わからない。この世界は理不尽なのだ。下々の人々にとって、特権階級というのは憧れの存在であると同時に、嘲笑の対象でもある。
よくよく注意して、しっかりカバーに入らないと、後々大きな問題になるかもしれない、とふと思った。
「それで、そのリック盗賊団というのは、どんな連中なんですか?」
「赦免状をもっとるんじゃ」
「赦免状?」
「特許状とも言うがな」
赦免状とは、つまり、略奪許可証だ。
それも、ここグオーム王国が自分で発行したものだという。
このところのグオーム王国は、隣国のプレグナンシア王国との紛争が恒常化している。
陸上の国境はもっと西のほうにあるため、今はこの近くに戦禍が及ぶことはない。また、そもそも戦線が膠着状態でもあり、基本的には睨み合いを続けているだけだ。しかし、戦況が悪化した数年前、ここピールを災禍が襲った。
ピールは海に開かれた都市だ。
当時、有利な状況にあったプレグナンシア側は、前線に踏みとどまるグオーム軍の退路を脅かし、動揺させて士気を落とす目的で、突如、少数の精鋭部隊をこのピール市に送り込んだのだ。
その作戦は一時的に、想定外の大成功を収めた。当時の総督は無能な人物で、特に海上防衛隊の勤務態度が悪かった。海上哨戒の密度も低く、プレグナンシア軍は、あっさりと監視エリアを通り抜け、市内に上陸。そのまま、まっすぐ司令部に向かい、総督以下、指揮官の多くを殺害した。
慌てたのがグオーム王家だ。国内第二の重要都市が、こんなにあっさり陥落するとは。それなりに守備兵もおいていたはずなのに。とにかく、なんとしても奪還しなければいけない。それで大急ぎで傭兵達を大量に掻き集めた。
しかし、当座の金が不足していた。それで、傭兵達に赦免状を与えて、王家からの支払いの保証とした。つまり、街の住民の安全を抵当に入れたのだ。
戦争において、略奪の権利が与えられることはよくある。傭兵達にしてみれば、これも重要な収入源なのだ。雇い主がたっぷり食べさせてくれれば、そんな真似はしないでも済むのだが、今回は後払いの約束でもあったから、この取り決めが必要だった。
ただ、奪還対象の国内の都市に対して、この権利を定めるのは、やや異例ではあるが。この一事をもってしても、グオーム王家の考え方がわかろうものだ。
ところが、実態は違った。
確かに、無能な総督は殺害されていた。だが、当時のピール守備隊のうち、陸上部隊は、老練な叩き上げの将軍に率いられており、健全に機能していた。実のところ、プレグナンシア軍の成果は、ごく初期の勝利以外になかった。そもそも送り込まれた少数の兵士では、市内全域の制圧など不可能で、だから大方の市民生活に、深刻な影響はなかった。俄仕立ての軍勢が駆けつける頃には、ピールの奪還は、ほぼ完了しつつあった。
どうしてこんなことになったのか? 陸上部隊の指揮官は、ちゃんと使者を送って、戦況を報告していた。しかし、将軍は低い身分の出身で、中央におもねることをよしとせず、有力貴族の後援者もいなかった。そもそも、最前線から外されて後方守備にまわされたのも、そういう背景があってのことだったのだ。それゆえ、彼からの報告は後回しにされ、結果として伝わらずに終わった。
グオーム王国の腐敗っぷりがわかる話だ。
もっとも、どこの世界、どの国でも、政府なんてみんなそんなものなのだが。
しかし、本当の問題は、ここからだ。
実際には戦闘が発生しなかったため、王家は傭兵達への支払いを渋った。だが、傭兵といえども商売。お金なしに時間は割けない。
王国側は、なんとか妥協してもらえるよう、交渉に努めた。結果、多くの傭兵団は、割り引かれた金額を受け取ることで、なんとか我慢した。
しかし、そうしなかった連中もいた。彼らは赦免状を手放さず、しばらくは他所の土地で、本業に勤しんでいた。だが、どういうわけか、リック・コポルはこのピールに戻ってきた。そしてこの赦免状をたてに、悪事を働くようになったのだ。
既にこの街を守り抜いた老将は世を去り、前線も遠ざかった現在、ここには貧弱な部隊しか配置されていない。しかも彼らは、総督はじめ指揮官、つまりは貴族達を守るのに忙しい。ついでに、赦免状をもっている彼らの略奪行為は、一応ながら合法だ。何しろ王家の契約不履行が原因なのだから。
「馬鹿げている」
ポツリとシルヴィアが言う。
彼女も、この街がこんなひどい状況にあるとは、知らなかったのだろう。それも無理はない。ここは日本ではないのだ。瞬時にして世界中のニュースが飛び込んでくる俺の世界とは違う。早馬や飛脚が一番、高速であろう社会では、情報伝達の速度も遅くなるし、その密度も低くなる。
「そりゃあ、そうだとも」
「じゃあ、この討伐依頼というのは」
「要するに、略奪するのは合法なんだが、略奪する連中から身を守るのも合法ということになる。市民がリックを殺す分には、誰も何も言わんのだが」
「狂ってる」
そして、腐りきっている。
要するに、支払いを惜しんで、そのツケを庶民に押し付けているわけだ。
もっとも、こんな無道がまかり通るのも、リックの匙加減がうまいからだろう。もし、大々的に白昼堂々、富裕層を殺しまくったりしたら、さすがにグオーム王国も、彼らを討伐しにくる。小規模な略奪行為を繰り返す程度だから、見逃されているのだ。
現代日本からやってきた俺からすると、もう狂気の沙汰としか思えないのだが、考えてみれば、こういう治安レベルの社会でもなければ、武器を持った冒険者があちこちにウロウロしているなんて、あり得ないか。
「なるほど、説明、大変にありがたかった」
「で? どうするかね? この警備員の仕事は」
「お断りさせていただく」
俺が何か意見を言う前に、シルヴィアはどんどん決めてしまう。
「ふむ、では他には何か」
「めぼしい仕事はないようだ。いったん、帰らせていただこう」
それだけ言うと、ズンズン歩いて出て行ってしまう。
呼び止めても止まらない。結局、追いつけたのは、宿に戻ってからだった。
「シルヴィア? なんで?」
「いい仕事がない。やらないほうがいい」
「警備員の仕事がよくなかった? なら、他のをやればいいじゃないか」
「他……教会の手伝いなら、やってもいい」
冗談じゃない。
それじゃ、戦闘が発生しないじゃないか。俺が強くなれない。
「他にもゴブリン退治とか、いろいろあるのに」
俺の一言に、彼女はいつになく厳しい視線を向けてきた。
そして、黙って腰の剣を抜く。
「打ち込んでみろ」
完全に軍人モードだ。
「え?」
「斬りかかってみろと言っている」
「ここ、部屋の中なんだけど」
「場所を選んで戦ってくれる敵がどこにいる!」
うわっ。
いきなりの叱咤。ビビッた。
でも、そうだよな。
これが本来の彼女なんだ。
「じゃ、じゃあ」
おずおずと、さっき買ったばかりの剣を引き抜き、遠慮がちに振り下ろす……。
ギィン! と耳障りな音が耳朶を打ったかと思うと、目の前に銀色の切っ先が突きつけられていた。
「話にならん」
まったくその通りだ。
まだ剣を持っていた手が痺れている。ちなみに剣はというと、弾き飛ばされて、壁の横に転がっている。
「わかった。わかったよ。言う通りだ。だから、俺に剣術を教えてよ」
確かに、危険なことは危険なのだ。
本当はシルヴィアが黙って俺のいうままに犯罪者を殺しまくってくれれば、俺は労せずして強くなれる。だが、だからといって「勇者として覚醒するためにはイケニエが必要なんだ」なんて言ったら、どんな顔をされるか。
だから、俺自身が戦わなければいけない。強くなるためには殺人が必要で、殺人のためには強さが必要という、まるで箱の中に箱を開ける鍵があるような状況。これを打開する一番お手軽な方法がシルヴィアなのだが、彼女を戦わせるためには、俺もそこにいる必要がある。
しかし、そこに立つということは、とりもなおさず、殺さなければ済まないような犯罪者と対面するわけで。ということは、俺自身、まずは地力をあげていかねばならない。
仕方ない。
地道に体を鍛えるか。
だが、俺の提案に、彼女は黙りこくって俯いてしまった。
「どうしたの?」
「……いや」
「え?」
「いや、いや」
急に軍人からダダッ子に人格が入れ替わって、剣を取り落とす。そのまま、俺にしなだれかかってきた。ただ、何しろ体格も俺と同じくらい、肩幅も女性としては広く、筋肉もしっかりついている彼女のこと。「飛びつく」とは即ち、「押し倒す」ことに他ならない。
突進の勢いを殺しきれず、一気にベッドの上に転がされる。馬乗りになった彼女は、髪をかきあげると、そのまま圧し掛かり、俺の首筋についばむような接吻を繰り返す。
この数日で、愛撫の仕方を覚えたシルヴィアは、既にして女だった。快楽の予感に、俺の手足から力が抜けていく。
「やっぱり、戦うとか……そういうことは、しなくていい」
邪魔な革の鎧を乱暴に脱ぎ捨てながら、彼女はそうこぼす。
「私が、私がやるから」
抗弁しようと身を起こしかけるも、また押し倒される。その上からは、キスの雨が降ってきた。
なんてことだ。
今まで、体で相手を思い通りにしてきたのは俺だったのに。
気付けば、俺の方が虜にされつつある。
このままでは……。
女悪魔の言葉が、ちらと思い返される。
魔法は既に完了している、これからは普通に恋心が冷めていく……。
八方塞がりだ。
彼女に捨てられない男になろうとすれば、彼女の機嫌を損ねる。かといって、このままでもきっと。
そんな俺の思考も、襲いくる彼女の魔手に遮られる。
今日もまた、生産的な結果を残せないまま、終わってしまいそうだ。