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 いつも通りの朝。いや、その日は観測史上最大の台風が上陸すると、朝のニュースで騒がれていた。危ないからと止める母をなんとか振り切り、博物館への道を急いだ。木が大きくかしぐのと比例するように、私は浮き足だっていた。こんなにすごい雨が降っているのなら、今日はいつもより強力な吉良の魔法が見られるかもしれない。でも、博物館に着くと、その気持ちはしぼんでいった。いつでも私より先に来ていた吉良が、どこにもいなかった。台風のせいで遅れているのかもしれないと、ずっと待ってみたけれど、いつまで経っても吉良は現れず、なぜか母が来た。

「何でこんな時間まで帰ってこないの!心配したじゃない」

 言われて初めて知った。外はもう、真っ暗だった。

「ちとせ、お昼ご飯はどこで食べたの」

「…食べてない」

 それなのに、不思議とお腹はすいていなかった。

 それから毎日、いつか吉良が来るかもしれないと博物館に通い続けたけれど、一度も会えることはなかった。陽だまりの中、ひたすらひまわりを見つめていた吉良の姿が、まぶたの奥に焼きついて離れない。そうこうしているうちに夏休みは終わりを迎え、学校が始まり、博物館に行けなくなってしまった。冬休みは博物館に行こう。そう心に決めて日常を頑張ることにしたのに、私が冬休みを迎える前にあの博物館は取り壊された。大人の事情というものらしかったが、当時の私には何故吉良との思い出の場所が破壊されなくてはならないのか理解することはできなくて、ひたすら泣きっぱなしの冬休みだった。


「あなたは一体、私に何をしたと言うの」

 もう一度ネコに問うと、こちらを振り返った。

「七年前、大型台風の来た日を覚えてるかい」

 もちろん忘れられるはずのない日だ。首肯する。

「そのころ俺は本物の猫で、しかも恋しちまってたのさ。片思いの相手、誰だかわかるか。俺の飼い主が夏祭りから連れ帰ってきた金魚だ。笑っちまうだろう。ネコが、餌であるはずの魚に恋したんだ。でも、魚は魚。いくら俺が金魚さんのことを好きでも、このままじゃ結ばれない」

 私はただネコの話に夢中で、相槌を打つことなど忘れていた。同じ恋するもの同士、察してくれたのだろう。ネコは話を進めた。

「俺は途方に暮れていた。もう金魚さんの近くにいることも辛くなって、家を飛び出した。そこで偶然、水の魔力を持つ男に出会ったのさ。俺は事情を話し、俺をミズノイノチに変えてくれと頼んだ。金魚と水なら、ずっと一緒にいられるから」

 そこで、私の中で全てがつながった。あの日は強い雨だった。吉良は当然紅の目の姿で、優しい心を持っていたに違いない。その状態の吉良が、自分の力で助けられる者があると知ったとき、どうするだろう。たとえそれで『既に形あるものの命を水に移すことはできない』という規則を犯すことになったとしても、救おうとするのではないだろうか。

「俺は知らなかったんだ。俺をミズノイノチに変えることで、あの優しき男が罰せられるなんて。それでも、俺のせいで今度はあいつ自身が好きなやつに会えなくなっちまったんだよな」

 ぺしぺしと私のほほを前足で触るネコ。

「つい二日前な、金魚さんが死んだんだ。俺は死に際の金魚さんに言われて、初めて知ったよ。普通金魚は、七年も生きないのな。あの男は、金魚さんの命まで延ばしてたんだ。それに気づいたとき、目が覚めた。今度は俺が、あの男を救う番だってな」

 私に頬ずりをしてから、天を見据える。

「今まで、本当にごめんな。これは、金魚さんと二人分の謝罪だ」

 ぴょんっと、ネコが勢いよく手のひらから飛び出した。そのまま、水溜りの中へダイブする。

「ネコ!」

 駅にいた人々が、怪訝な目で私を見ているのも気づかず叫ぶ。今私の目の前にあるのは、大きな水溜りだけ。みんなみんな、消えてしまう。私の前からいなくなってしまう。悲しいのやら苦しいのやら、もう長所であったはずの冷静さなどかけらもなくなった私は、水のかたまりをかき散らそうと、傘を振り上げた。それを下ろそうとして…できなかった。

「そんなことしたら、ネコがばらばらになるよ」

 息が止まってしまう気がした。息だけでなく、心臓さえも。だって、今真後ろから、すぐ近くから聞こえた声は。ゆっくり、振り返る。その姿が、自分の期待通りでなかったらどうしようという不安が、すぐに振り向くことをさせなかった。でも、すぐにそれが杞憂であることがわかった。

「…吉良、なんだね」

 七年ぶりに見る彼は、ちゃんと人間の七年分と同じだけ成長していた。でも、それは私がずっと、待ち続けてきた人だった。

「あ、また雨だよ。お母さん」

 どこかで小さな女の子の声がする。吉良の目は、紅に…変わらなかった。

「どうして、藍のままなの」

「規則を破ったものは、その力を剥奪される。でもそれが僕にとっては罰ではなかったから。だから今まで、ネコにかけた魔法が解けるまで、閉じ込められていた」

「魔力の剥奪なんて、立派な罰じゃない。何でそれが、」

「魔力がなくなれば、僕は人間になれるからだからだよ」

 ぎゅっと、抱きしめられた。それは、以前抱きしめられたときとは少し違って、切なさと冷たさがなかった。代わりに私たちにあったのは、再会の喜びと、これからやってくるであろう、共にあれる日々への希望だった。

       ―――Fin.




最後までお読みいただきありがとうございました。

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