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 雨の日が嫌いだった。それが好きに変わったのはいつからだったろう。くるくるとお気に入りの白い傘を回しながら、私はあいつのことを考えていた。結城吉良(ゆうききら)。これがあいつの名だ。私があいつに初めて会ったのは、小学四年の夏休みで、自由研究のために訪れた博物館だった。


 その夏の最高気温をマークした日でもあったその日、私は噴出す汗を止めようとクーラーを求めて館内に駆け込んだ。暑さにうだっていた脳が、寒すぎるほどの冷気で固体に戻りつつあることにひとまずほっとしながら、すぐそばにあったベンチに腰掛けた。この博物館はかなり手の込んだ設計がされており、地域の住民からは税金の無駄使いだと非難を受けている。しかし、小学四年生が「ゼーキンのむだ」と聞かされても、それがどんなことを意味するのかもわからない。私はただ、全面ガラス張りのこの建物がとても近代的で、きれいだなと思うだけだった。だから、涼しいベンチに座り、顔を上げると目の前が全てガラスであったとき、ちょっと感動を覚えてしまったのも、さっきまで自分を痛いほど照らしていた太陽光線が輝いて見えてしまったのも、ついでにその中でひまわりと向かいあってしゃがんでいた男の子に恋してしまったのも、若気の至りといえるのかもしれない。

 私の自由研究のテーマは、『ひまわりの首が動くわけ』だった。事前に博物館に連絡を入れていたから、約束の時間を見計らってベンチから立ち上がり、カウンターに向かった。そのときにはもう、初めて見た男の子に抱いたこの感情は決して恋などではなく、暑さでどうにかなってしまったのだと自分に言い聞かせるくらいには冷静だった。

「あの、先日ご連絡しました、あかがね東小学校の近藤(こんどう)ちとせです。研究員の日向(ひゅうが)憲人(けんと)さんはいらっしゃいますか」

 受付のお姉さんは内線でどこかに連絡をとった。

「今、ちょっと手が離せない実験をしているようなので、少し待っていてくださいますか」

「はい、わかりました」

 お辞儀をしてからカウンターを離れる。しかし内心では、怒っていた。こっちは前々からこの時間で依頼していたわけで、相手がこんな子供であろうと、ちゃんと時間は厳守するべきだ。なんだか、なめられた気分だった。

 だが、その怒りが日向にぶつけられることはなかった。それは私が怒りを押し殺したというわけではなく、怒っていたことを完全に忘れたというほうが正しい。それほどに、驚いたのだ。遅れて現れた日向の隣に…あの陽だまりの中の男の子がいたのが。

「いやー、二人とも遅れてすまなかったね。はじめまして」

「こんにちは。近藤ちとせです。よろしくお願いします」

 深々と礼をしながらも、内心それどころじゃないと突っ込んでいた。二人ともってどういうことだ。何でその子がここにいる。

「よろしくお願いします。結城吉良です」

 何故、その子まで挨拶している。

「日向さん、失礼ですが、その人は」

「そういえば、まだ説明してなかったんだっけ。二人ともひまわりについてでさ。どうせだから一緒にやろっかな、と思って。かまわないよね?」

 ただ同じ講義を二回やるのが面倒なだけだろう。

「僕はかまいませんが」

 って、何でそうあっさりと承諾してるんだ。私の初恋。いや、だからこれは恋じゃないし。

「君は?」

 満面の笑みで聞かれても困る。こんな状況で断れる人がいるなら会ってみたい。

「…私も、かまいません」

 こうして、三人の夏休みが始まった。…と思ったが。

「すまないな。俺、T大学にお誘い受けちゃってさ。博物館から引き抜かれることになったんだよね」

 実際に三人で研究したのはわずか一週間で、日向は自分の今までの研究成果が認められたらしく、お偉いさんによばれていった。こんな中途半端な時期から見てくれるほど暇な研究員などなく、結局私たちは簡単に切り捨てられて、指導をくれる人がいなくなってしまった。

「えっと、吉良くんはこれからどうするの」

 日向が去った後、エントランスホールのベンチに並んで腰掛けながら尋ねた。吉良は自販機で買ったアイスを食べることに集中していて、私の言葉など耳に入っていないようだった。吉良の横顔から庭に視線を移した私は、ここに初めて来たときのことを思い出していた。ひまわりを見つめていた吉良は、暑さなどまったく感じていないかのように、身動きひとつしなかった。そこだけ時が止まっている。そんな風にも感じた。

「今更、別の研究課題に変えるわけにもいかないし」

 突然すぐそばで話しかけられ、必要以上に驚く。吉良はそんな私を特に気にした様子もなく、食べ終わったばかりのアイスの棒をしげしげと眺めた。

「私も、ひまわりのままでいこうと思ってる」

 顔を上げた吉良と目が合った。改めて考えると、吉良と目を合わせたのはこれが初めてかもしれない。これまではお互い真面目にひまわりばかりを見ていたし、話すことも日向を介してしかなかった。

「協力、して欲しい」

 光の加減で深い藍色にも見える瞳が、私をとらえていた。

「吉良くんに協力してもらえたら私も嬉しいけど。正直、吉良くんに私は必要ないと思う」

 一週分しか吉良を知らなかったけれど、彼がとてつもなく理科関連に詳しいことはすぐに気づいた。彼が私に協力を求める意図がわからない。

「もうちょっと一緒にいたいとかじゃ、だめ?」

 きゅっと、胸を締め付けられた気がした。でも、それはほんの一瞬だけだった。彼はそんな理由で、誰かと一緒にいるような人じゃない。どちらかといえば、なるべく人と深く関わることを避けようとする人。知っていた。知っていたのに。

「…いいよ」



 何で、そう言ってしまったんだろう。あのとき吉良と共に研究を続けることを選ばなければ、私はこんなに苦しい思いをすることも無かったのに。

「ちと、何で傘なんかさしてんのさ」

 突然後ろから声をかけられ、慌てて振り返る。そこにいたのは、同じクラスの美園(みその)だった。

「どうしてって、雨、」

 言いかけて気づく。雨はもう止んでいた。

「どうしたのよ、ちと。いつも冷静なあんたらしくない」

 美園は熱をはかるように額に手をあててきた。

「大丈夫だって」

 傘をたたみながら応じる。いつの間にか駅の目の前まで来ていたようだ。

「私、今日本屋寄るから。気をつけて帰りなよ」

「美園も、あんまり夜遅くならないようにね」

 背を向けたとたん、腕を強くつかまれた。

「あんたの幼馴染、光沙(みさ)が言ってた。小学校の高学年のころ、突然あんた変わったって。特に雨の日にぼうっとしてばっかりになったって。何があったか知らないけど、高校まで引きずってるって、相当な何かがあったんでしょう。私じゃ、相談もできない?」

 振り返ることができなかった。美園は高校からの付き合いだけど、もう一年以上親友で、そんな美園に相談のひとつもできない自分が薄情に思えた。こんな気持ちのままで合わせる顔なんてない。

「…ごめん。放して」

「え」

「腕。痛い」

 美園の手が離れたとたん、私は逃げるように駅に走った。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

この作品には続きがございます。

ぜひ次のお話もお読みいただけますと幸いです。

感想もお待ちしております。

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