大人のみ・りょ・く♥
百八十センチメートルの身長に、アイドル顔負けのハンサムフェイス、営業成績もトップクラスの二十三歳、上野くん。見つけたわ、わたしの理想の人……
「あ、おれ年上のおばさん、ダメなんで」
ちゅどーん! 二十八歳のOL、大月美奈子。わたしは見事に玉砕したわ。
「なあーにが年上のおばさんよ! わたしはまだ花の二十代よ! そりゃ結婚は焦ってるけど!」
「あっはっは! 相手が悪かったわねえ」
仕事終わりの金曜日、居酒屋の端の席で、一気に飲み干したビールのジョッキをテーブルに叩きつけるわたしの相手をしているのは、同僚のさおり。左手の薬指には恨めしい細いリングが光ってる。
「たかが五歳差よ!」
「されど五歳差」
「あんたんとこも歳の差カップルのくせにい!」
「あたしの旦那は年齢なんて気にしないもーん」
さおりは終始にこにこと受け答えしてる。そんなに負けOLを見るのが楽しいか!
「大体、今どきたかが五歳差で……」
くだを巻きだしたわたしにも嫌な顔せず、さおりはにこにこと聞いている。これが結婚した女の余裕かよ。新婚なのに飲みに誘って悪かったわね、ふん。
「姉さん女房は草鞋を履いても探せって言うのにねえ」
お、たまには慰めてくれるのね。でもそう! わかったわ! 彼は年上の女の良さがわかってないだけなのよ!
わたしはまたジョッキを飲み干し、高らかに宣言した。
「埋められない五歳差ならば、大人の魅力を見せつけてあげるわ、ホトトギス!」
「なんのこっちゃ」
さおりは肩をすくめていたけど、詳しい説明は必要ないわ。だって週明けのわたしを見ればわかるはずだもの! 期待してて!
思い立ったが吉日。わたしは映画『ナイアガラ』の冒頭を、かじりつくように見る。そして翌日には美容院に行ってパーマをかけたわ。本当ならプラチナブロンドに染めたかったけれど、さすがにそんな色じゃ会社には行けないから仕方ないわね。
そして後はメイクと歩き方の練習に休日を費やす!
そして月曜日の朝。五時には飛び起きて、支度を始める。真っ赤なドレスって訳にもいかないから、代わりにフリルがあしらわれた白いシャツを着る。胸元はちょっと開けて、パッドで底上げするのも忘れずにね。
一番重要なのはお尻。タイトスカートを履いて、その動きが見えるようにするのよ。4インチのスティレットヒール。片方のヒールを一センチ短くしておく事も忘れてないわ。
アーチ型の栗色の眉、ファンデーションをたっぷり乗せた白い肌、五種類ものルージュを重ね塗りして再現した肉感的な赤い唇。そして口元にはほくろ。
わかる!? わたしはあの往年の大スター、世界のセックスシンボル! マリリン・モンローになったのよ!
これこそ大人のみ・りょ・く♥ さあ、上野くん! わたしにひざまずきなさい!?
こっ、こっ、こっ
ヒールの音を響かせて、わたしは腰を振りながら歩く。わたしのモンローウォークは完璧ね。ほら、みんなの視線がわたしに釘付け。でもここで焦っちゃいけないわ。上野くんには大人の余裕を見せつけてやらなきゃ。
会社の中に入った途端、目の前に上野くんが! これこそ運命ね! わたしはマリリンのような妖艶な笑みを浮かべて挨拶する。
「おはよう、上野くん」
ふふ、上野くんたら、そんなに目を見開いて口をぽかんと開けて。挨拶を返す事も忘れてるわよ。わたしは颯爽と彼の横を通り過ぎる。
わたしの後姿をじっと見つめているのがわかるわ。もっとセクシーに腰を振ってあげようかしら? ふふ、ふふ、ふふふ。
「ぶわっはっはっは!」
突然盛大な笑い声が響いたわ。わたしはびっくりして思わず振り返る。すると上野くんがお腹を抱えて体をくの字に折り曲げながら、大爆笑しているの。ど、どういうこと!?
「ひーっ、ひーっ、は、腹いてえ……! ぶはははは!」
まさかと思うけど、わたしを見て笑ってるんじゃないわよね!? 涙まで流して笑っているわ!
わたしは焦りながらその場を去った。そして自分の企画編集部の部屋まで来た。そして今度は……
「あっはっはっはっは!」
さおりが盛大に笑ったわ……。ちょっとお、どういうことぉ……、わたし完璧にマリリンでしょ?
「あ、あんた、純日本人顔にモンローメイクはダメでしょ!」
さおりは大笑いしながら言う。
「あんた、ホントにサイコー!」
ダメなのか、サイコーなのか、どっちなのよ。あ、高山課長が近づいてきた。
高山課長は三十三歳、男性。上野くんほど身長は高くないし、特別ハンサムでもないけど、優しそうな顔。ううん、実際穏やかで優しい人だと思うわ。彼が部下にきつく当たっているのなんか見た事ない。
実際今も優しそうな顔で近づいてくる。いえ、ちょっと困り顔かしらね。
「大月くん、そのメイクはちょっと……」
そう言った途端、高山課長もちょっと横を向いて吹き出す。必死でこらえようとしてくれてるみたいだけど、全然こらえきれてないわ! 部署のみんなも顔を下に向けてるけど、肩が震えてるのが丸わかりよ!
なによ、高山課長~。昔はちょっと憧れてたのに。結婚したって聞いたから諦めたのよ、わたし。
トイレの鏡の前でわたしはメイクを落とす。うん、不細工じゃないけど、マリリンになるにはちょっと無理があったかしら。慣れない高いヒールと変な歩き方のせいで、足と腰が痛いわ。
わたしの恋はやっぱり玉砕ね。いいの、わたしは仕事に生きる事にするわ。
その日の仕事をがっくりしながらこなしたわたしに、帰り際さおりがなぜかウィンクする。そしてこっそり耳打ちしてったわ。
「課長がね、あんたのことかわいいなって言ってたわよ」
わたしはまたがっくり。何よ~わたし不倫には興味ないわよ~。そう思ってたら数日後に高山課長が声をかけてきた。
もう幻滅させないで、高山課長! わたしは不倫には……
「あ、あれ、知らなかったかな? ぼく三年も前に離婚してるんだけど……」
へ、そうなの?
「バツイチで、五歳も年上の男なんて、やっぱり嫌かな……?」
え、とんでもない、そんなの全然気にしない、気にしないけど……!
「仕事にも恋愛にも一生懸命な君が好きになったんだ。ぼくなんかでよければ……」
わたしの頭にリンゴーンとチャペルの鐘がなる。
高山課長、よろしくお願いします!
完
お読みくださりありがとうございました!