獣人来る
“『エルフ以外の種族のための魔法解説書』”
“『グラスランナーにたかられないための100の言い回し』”
“『ドワーフとコミュニケーションを取るためには』”
“『エルフの都に住む獣人が知っておくべきあれこれのこと』”
“『人間に振り回されないために』”
※
「本の題名はそれであっているのかね?」
「あっています」
揺れる灯火の下、並べられた本を前に不敵に笑っているのは顔じゅうヒゲづらの初見の商人だ。
天井裏の先生への商談の場に俺は先生の“目”として呼ばれている。
「各地からかき集めた貴重なものですな。帝国時代のものとも伝え聞いております。……失礼ながらお目の方が?」
「……明かりの下では文字など読めぬ身でして。お話も昼ならまだ良かったのですが」
「おやおやそれは大変ですな。もしよろしければ……私、帝国時代にエルフ達にもてはやされた“万能薬”につてがありまして。
旦那さんほど学が終わりならご存知でしょう。『ツエルナナン』という秘薬を」
一介の商人がツエルナナンを知っていることに驚いた俺に構わず、商人は続けた。
「これらの貴重な書物と万能薬。手に入れるのは苦労しました。このような辺境の地で宿屋を営むご主人では用立てるのは大変でしょうが、 まあ、こちらも少しは勉強させていただかないわけでも……」
「能書き通りの代物なら。ベン、触ってみたところ、この本は羊皮紙と思ったが?」
「羊皮紙です。おそらくヤギ皮。
皮側までしっかり書き込まれたもので帝国語。余白の書き込みまであります」
「いかがですかな? バラ売りでも当方は一向に構いませんが」
商人の言葉に少し黙り込んだ先生は、おそらくぼやけている目で相手を値踏みするかのように見た。
「ツエルナナンの万能性が否定されたのはもう百数十年も前のこと。もう少し勉強した方がよろしいな」
※
“ツエルナナンは聖樹の雫といえり”
“そは万物の霊薬として崇められ”
“すりつぶしたものを飲めば若返ると”
“各貴族がこぞって金貨を積んで買いあさり”
“度を越した大量摂取により亡くなった者も歴史上少なくなく”
“近年、微量の塗布が肩こりに効くと評判に”
※
「そしてこれらの本だ」
先生は本を触りながら続けた。
「題名からしてこれらの本は帝国末期、他種族と言われた人々が帝国に流入し出した頃のもの。
ならば通常使われている紙は魔術処理された植物紙となる。わざわざ命を奪う野蛮な羊皮紙など使わない。
ゆえにこれは帝国外で作られたか、新王国時代に作られた写本の可能性が高い。
……中身が帝国時代のものか、でっち上げかまではわからんがね」
先生の言葉に商人は、相手を少し見直したかのように片眉を上げた。
「なるほど……。こちらにも少し語弊があった。
駆けずり回って集めたのはこちらの地方ではない。俺の故郷だ。
この本は帝国から俺の先祖たちが故郷に持ち帰った者の写本だ」
「……故郷?」
「俺はエルフ達が言うところの獣人だ」
※
“帝国末期、少子化から来る人手不足を解消するため活用されたのが、当時部族間の争いを避けるため帝国にやってきていた獣人たちであった。
だが他の種族から「森の引きこもり」と揶揄されたエルフ社会に定着するには、問題もかなり発生した”
※
「俺の先祖たちが争いを避けてこちらに逃げてきたのをいいことに、この地方の連中は使い勝手のいい働き手とし受け入れた」
※
“「繰り返します!人は有限なんです!
帝国の拡大はそれを支える人があってこそ! 少子化が進む昨今、支える人材が足りない!」
「無限にする方法がありますぞ。人間と獣人を使えばいい」
「……人間と獣人を、真の意味ですべての人が エルフと等しく扱いますか?」”
※
「だが気位の高いこの地方の連中は、俺たちを同じ人としてみようとはしなかった。そのために先祖たちがどれほど苦しめられたことか」
※
“ 「獣人だから、ということは理由になりません。
私共はご主人様にお仕えする使用人なのです。
ご主人様が心安らかにお過ごしになられますよう、そのお心に沿った仕事をせねばなりません。
ミスすることなく何度も。
ええ、何度も。
さらに何度も。
そして何度も」”
※
「帝国が崩壊したのを幸いに、先祖たちは争いが収まった故郷に帰ってきた。
その際に手持ちの荷物として本を持ち帰った連中がたくさんいた。 これらはその写本だ」
「なるほど。
専門書ではなく一般娯楽本のような題材はそのためか」
そう言い放つ先生の目にも見えるようにか鼻先に顔を近づけた商人は、今にも相手を取って食いそうな顔つきで言った。
「今でも俺の故郷じゃ、じい様たちが集まると 帝国での扱いの思い出話が始まる。
『帝国仕事』と言ったら『過酷な仕事』という意味だ。
だが、今でもこの地方の連中は変わっていないと口々に言っている。酒が入ると今こそ思い知らせるべきと声が上がることもある……」
そこで商人は顔中に笑みを広げた。人を喰らいつくす猛獣のような笑みを。
「そんな時に、だ。間に立って、ことを穏便に済ませられる人物が一人でもいたら便利とは思わんかね?
人としてちゃんともてなされることがあれば、俺も双方に『穏便に』と言えるというものだ。そこで……。
一冊、金貨十枚。
そしてあんたらがどこかの図書館からかっぱらってきた帝国時代の原本一冊と交換、というのはどうだね?」
俺はとんでもない条件に目を向いた。
「一体、何て事を言い出すんだ……」
「そんなもんはないとしらを切っても無駄だぜ!? ここから配る本を持ってた吟遊詩人を締め上げた!
恐れながらと教会に訴え出られたら困る本を持っているところだってなあ!」
俺の脳内に、申し訳ないと平身低頭する、かの吟遊詩人の姿が思い浮かんだ。
「故郷の血の気の多い連中を止められるのは俺だけだ!
さあ、どうする!?」
商人が大声でそう胆架を切った時。
まるでそれが合図だったかのように裏口からドッと人々が流れ込んできた。
「獣人が来てるって!?」
「本物か!?」
「今や故郷に帰ってどこにもいないと思っていたが」
「おお! 毛むくじゃらだ!」
「なぜ『犬獣人』や『猫獣人』がいないかと思っていたが、こういうことだったのか」
「おい、こら、待て」
慌てふためく商人に詰め寄るのは、いつもは他の場所にいるこの図書室の学徒全員だ。
女将さんに合図して知らせてもらったのは俺だ。
……俺もここに来た時これやられたっけな……。
「まず俺に話をさせろ、な?」
「お。それが噂の獣人なまりか」
「口の構造なのか元言語由来なのか」
「君ちょっと舌を出してみてくれんかね」
「君の部族の言葉で『こんばんは』とはどういう感じだ?」
「俺の話を聞けって言ってんだろうがあ!」
「背も大きいな」
「体も大きいな」
「暑い地方の生き物は小さくなるとも聞いたが」
「服の下も毛深いのか?」
「君ちょっと脱いでみてくれんかね」
「おい! 待て! こら!」
「ああ~……この好奇心旺盛の連中を止められるのは、一応私だけなんだ」
形ばかりの申し訳なさを添えて、天井裏の先生が言った。
「辺境の地で手元に現金がなくてね。
一冊につき手製植物紙の配布本一冊の取り扱い権利、というので手を打たないか?」