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発熱と吟遊詩人

“発熱時に使う伝統的な薬はコロンラカヌ。

水分を大量に含んでいるため額やわきなどに当てればお子さんにも優しく熱を冷ましてくれます。

昨今の魔法製薬は三歳以前のお子さんには効きすぎるので 当伝統薬保存協会ではお勧めしておりません”



 薄暗い部屋の中、ベッドに横たわった少女の様子は芳しくない。

 コロンラカヌの大きな葉に頭のほとんどを覆われたレナの顔は、荒い息も相まって赤さが見てとれた。


「……いくら書物が揃っていても、帝国時代の医療は魔術由来のものがほとんどだ」


 眠るレナに気を使ってか、小声で天井裏の先生が語った。


「我々が作り使えるのは大昔の伝統的方法ぐらいだ。それでもそれぐらいしか頼るものがない……」


 新王国の一般民間の医術、いや「呪術」とでもいったものに比べれば、それでも効果があるだけマシといえただろう。


「大丈夫ですよ。すぐ良くなりますよ。

『飛翔の老樹』のたとえのようにこれも思い出話になる時が来ます」


 俺の慰めも天井裏の先生には通らなかった。


「それにしても熱が高すぎる……ただの風邪とも思えない……が……これしか方法がない……」



“「飛翔の老樹」

帝国十大奇景の一つ。

張り出した崖の裏から生え、太い根でその崖を抱え込んでいる。

太い幹は崖下から伸び、鳥が翼を広げるように両枝を左右に伸ばしている。

言い伝えによれば「破滅の獣」の破壊を逃れた一本で、「苦難を越えて大成する」たとえとなっている”



 レナが寝込んでもう二日にもなる。


 あとは本人の体力に期待するしかないと大人たちは皆わかっている。

 先輩や他の学徒たちなんかは「子供一人助けられないなんて」と牧場の仕事が終わった後図 書館に詰め掛けて医療の本を片っ端から調べている。

 俺は時々レナの見舞いに行っている。


「……バチがあたったんだとおもうの……」


 苦しい息の下、レナが俺にささやいた。


「森の中でね、かわいいラングレムを見つけてね、さわったんだけどおこらしちゃって、指かんでにげてったの……」


 レナの目に涙が滲む。


「ケンカ別れしたままおわっちゃうのかなぁ……」

「元気になってから仲直りすればいいさ」


 陳腐な慰めしか言えない自分に腹が立つ。



“帝国で愛されたペットは樹上小動物のラングレムだ。


野生のラングレムは冬ごもりの前に木の実をあちこちの地面に埋めて隠す習性があるため、「森を広げる手伝いをするもの」として縁起のいい生き物とされた。


後期の帝国では魔法動物が珍重されたため、庶民用となった”



 今日の夕食もあり合わせのごった煮だ。

 だが誰もそれを責められない。一番大変なのは、苦しむレナを見ているしかできないおかみさんだ。


 宿を出て夜空を見上げる。

 神に熱心に祈ったこともない俺だが、今だけは一心に祈る。


 どうかレナを!

 レナを!


 流星が一筋、夜空を流れた ....。



 次の日、すっきりとしない頭を働かせるため外で水を汲み顔を洗っていると、遠くに人の姿が見えた。


 荒い息づかいとともにゆるい坂を登ってきたのは先日の「月の宝石」に固執する吟遊詩人で、俺は自分の顔が強張るのを感じた。


「おはようございます!

いやあ森の中で迷ってしまって!昨夜中に来るつもりが夜営してしまいました!」


 こんな面倒な時に来るとは、と内心うんざりしながらおざなりの挨拶だけして中に入ろうとすると、追いすがるように彼は声をかけてきた。


「実は今日はここで泊まろうと思っていまして。おかみさんかお嬢さんにお願いしようと……」

「やめた方がいい」


 これ以上負担をかけられてたまるか。

 俺はここの看板娘が熱を出して客を増やせる状態ではないこと、まだ朝早いうちなのだから夜までには隣村にたどり着けることを今節丁寧に話した。


「……その症状なら私が持ってる薬でなんとかできるかもしれません」


 だがその話を聞くと吟遊詩人はなおさらというように、宿に足を踏み入れて言った。


「御両親に薬を飲ませる許可をいただきたいのですが」



“「トランクカルト」

伝統的な帝国の遊戯。起源は帝国初期の狩人の訓練にまで遡るという。

後に魔力を多用する形にへと変化し、「魔法使いの決闘遊戯」とまでいわれるようになった。

毎年首都で大会が行われ、最多優勝記録者は後に皇帝にまで上り詰めた”



 そう、それはかのトランクカルトの試合を見るかのような交渉だった。


 陽光の下に出されたテーブルでの交渉に平然とかの吟遊詩人は応えた。

 視力の衰えた目で天井裏の先生はその薬を吟味した。


「一日三回、食後に5日ほど続けて飲む必要があります。

旅をする際の常備薬として持っているものです。

……野生動物はどのような病魔を持っているかわかりませんので」


 俺はそっと先生にレナがラングレムに噛まれてることをささやいた。目を見開く先生に相手は続けた。


「信用できないのはわかります。

なので、同じものを私も飲みましょう。

30袋はあるのでそれだけの量はあります」


 先生は薬と相手をねめつけるかのように見比べた後問いかけた。


「……この薬の正体が知れない。

生薬ならば少なからず材料の形は残るものだ。

この白い粉では石灰の粉と言われてもおかしくないだろう」

「残念ながら私にもその正体はよくわかりません。わが一 族に伝わる薬で、帝国時代にまで製法は遡るとも聞いています」

「……一族?」

「私の一族の祖先は」


 重い口をこじ開けるかのように彼は俺の問いに答えた。


「帝国一家消失の際、最後まで仕えていた吟遊詩人だと聞いています」


 俺は思わず彼の耳を見た。

 耳の上側、何かが切り取られたかのようにまっすぐな耳を。


「そういう一族なので『取り換えっ子』もよく生まれます。

ここであの子と会ったとき彼女もまたそうだと気づきました。

どうかあの子を助けさせてください。お望みなら」


 決め手となる一手を打つかのごとき気迫で吟遊詩人は言った。


「一族に伝わる話をお伝えすることもやぶさかではありません」


 しばらくの沈黙の後、天井裏の先生は言った。


「……娘が、レナが助かってからの話だ」



 その日の夜も俺は夜空を見上げた。だが俺の心に昨日の重苦しさはない。


 受け取った薬を飲んでからみるみるレナの熱は下がり、今は微熱が残ってるかというところ。

 おそらくぶり返すことはないだろう。


「お疲れ様です。ここ、いいですかね?」


 かなりホッとしたように見える古えの吟遊詩人の末裔は、そう言って隣に座った。


「……確かにこの宿の主人はいろんな本を集める人ではありますけど」


 俺は釘を刺しておこうと思った。


「古の伝承を聞いても何の役にも立たないと思いますよ」


 そう、ここは最果てにある宿屋。図書室の存在を語るわけにはいかない。

 だがそれを聞いても彼は少し微笑を浮かべて「そうですか」というだけだった。


「そういえば、なぜ今朝あんなに大急ぎで宿にやってきたんですか?夜に泊まるとしてもゆっくり来ることはできただろうに」

「さあ?なんか、走りたくなったんですよ。思いっきり」


 そうやって夜空を見上げる彼の言葉をやはり俺は信じることができずに、ただ羽虫の羽音を少しうとましく思いながら聞いていた。



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