08. 盗
万引きにはいくつか方法がある。
商品をポケットや鞄に入れて店を出る、カゴ抜け。商品の中身だけを抜きとる、中抜き。トイレや試着室に商品を持ち込んでから隠し持つ、持ち込み。商品のタグを切り離して盗む、タグ切りなどだ。
そして、実行するときは店員や防犯カメラの位置を考慮して、どの手口にするのかを決める。
「カエデ、店員見張っておいて」
「りょーかい」
白昼のコンビニでそんなやり取りをする若い男女がいた。
歳は二十代前半で、男は真夏にも関わらず黒いパーカー姿、女の方もロングのティーシャツを着ている。二人ともモデルのような顔と体型で色白、どこか異質な雰囲気を漂わせていた。
「こちら、温めますか?」
店員が接客に気を取られている間に、男は手際よくバッグに商品を入れていく。酒やつまみ、雑誌など。
「オーケー、もういいよ」
涼しい顔で戻ってきた男へ、女は終始窺っていたレジの方を指差した。
「ヒカル、あれ見て……」
言われて視線を移すと、一人の女子が買い物かごを手に店を出るところだった。かごの中には、なにやら食料がたくさん入っている。
「あの子がどうかした?」
「あの子、レジを通してないのよね……」
「ふーん、でも店員はなにも反応してないけど?」
その女子の態度は万引きにしては堂々としすぎているが、確かにお金を払わずに店を出て行った……。
二人は顔を見合わせると小首をかしげた。
商品カゴを持ったまま、とぼとぼと街なかを歩く。ハルカが向かった先は、コンビニから近いネットカフェだった。
入り口の自動ドアが開くと、受付の前を素通りして店内へ歩いていく。
奥には漫画や雑誌が何万冊と置いてあって、本棚とは別に個室が並んでいる。
個室は簡単な壁で仕切られ、パソコンと椅子が備えられているうえ、ネットや動画鑑賞、オンラインゲームをすることもできる。
ハルカは空いてる個室に入ると、商品かごを置いて机の上にパンやおにぎりなどの食料を並べた。
(はぁ、自宅に帰りたい……)
疲れたようすで椅子に座ると、心の内でそう思った。
ハルカが家を出る決意をしたのは、それが自分にとって最善だと思ったからだ。
『あれぇ、誰かお風呂入ってる? パパもチナツもテレビ見てるのに。それなら誰が……?』
気味悪がる家族に対して、始めは自分の存在を思い出してくれるかもしれないという期待があった。
だから、敢えて洗い物に自分のお箸と食器を混ぜたり、玄関にわざとらしく自分の靴を並べたりした。
それらはある意味効果があった。家の中という狭い空間に他人がいる違和感は相当なものらしく、両親と妹の三人は徐々に神経をすり減らした。
やがて母親が不眠症になり、ハルカは自分のしている事が嫌がらせにしかなっていないと感じた。
このままじゃ、みんな不幸になる──。
家を出たハルカが、自力で生活する手段として行き着いたのがネットカフェだった。
読みたくても読めなかったマンガ、観れなかった映画を四六時中、読んだり観たりした。楽しく過ごせると思った。しかし──。
なんかつまらない。せっかく時間があるのに、何もする気が起きない──。
マンガを積んだまま、ただぼーっと時間を潰すことが多くなった。
そして今も、ハルカは浮かない顔をしたまま思い出したように立ち上がる。
(そうだ、ドリンク取りに行かなきゃ……)
セルフサービスの飲み物を取りに個室のドアを開けると、若い女が歩いてきた。
「あー、いたいた! ねぇ、きみきみ! 万引きは立派な犯罪だよ? 飲食の持込みだって禁止なんだからね?」
そう言われて、ハルカは固まった。
女と真っ直ぐに目が合っていることが信じられず、動揺を隠せない。
なんでこの女性は、わたしを認識できるの──?
困惑するハルカに、色白の女は薄っすらと笑みを浮かべた。
夏休みのせいか昼間のファミレスは若者のしゃべり声で賑わっている。
メニューには豊富な料理とスイーツが並び、価格を見るとお手頃感がある。
ハルカは目の前でメニューを眺めている男と女を交互に見た。
「あの、わたしに聞きたいことっていうのは……?」
ネットカフェで声を掛けてきた女は、聞きたいことがあると言ってハルカを外に連れ出した。
ハルカにしても、まさか自分と会話ができる人間に出会えるとは思わず、二つ返事で着いてきてしまった。
「君もチョコパフェでいいよね?」
「えっ……?」
「カエデ、呼び鈴押してよ」
「はいはーい!」
返事をする間もなく、注文はチョコパフェに決まったらしい……。
男はメニューを閉じると、今度はハルカに興味を示した。
「君のこと、さっきコンビニで見かけたんだけど、アレってどういうカラクリ?」
「アレ……?」
「万引きしてたよね? それも店員の目の前を堂々と」
男はそう言ってハルカの顔を覗き込むように見た。
「それは……」
一体どう説明すればいいのか……。返答に困ったハルカはこれまでの一部始終を二人に話した。
「ふーん。その話が本当なら、君は透明人間だね……」
話を聞き終えると、男はつまらなそうに言った。
「信じて貰えないですよね、こんな話……」
「信じるもなにも、それなら君と会話している僕達はなんなの?」
「それは、わたしにも……」
男の指摘する矛盾はもっともで、視える人達に向かって自分は視えない存在なんですと説明していた事が、ひどく滑稽に思えてきた。
結果、変な女だと思われていることは明白で、辛い出来事を振り返ったせいもあり、ハルカは顔色を悪くした。
「すみません、ちょっとお手洗いに行ってきます……」
席を立ったハルカがトイレの方へ消えていくと、ウェイトレスがようやく注文を取りに来た。
「ちょっと、ちょっと! 流石に遅くない!? 何回呼び鈴押したと思ってんの?」
「えっ……? すみません……」
若いウェイトレスはカエデの言葉に戸惑いながら、謝罪を口にする。
「チョコパフェみっつ! 即行! 即行で持ってきてね!」
そして、ハルカがトイレから戻ってくると、すでにチョコパフェが並んでいた。
食欲は無かったが、手を付けないのも悪いからと少しだけ口に運んだパフェだったが……。
(あれ、美味しい……)
マンガをつまらないと感じた後、食べ物も美味しいと思うことは無かったのだが、今はしっかりとチョコパフェの味がする。
ハルカは少し明るい表情で、二人の方を見た。
「わたし思ったんですけど、説明するより見たほうが早いです。きっと……」
ハルカは再び立ち上がると、隣の席に近よった。
男子達がトークで盛り上がるなか、卓上のドリンクグラスをはっきりと手にとり、それを自分の席に持ち帰った。
「どうですか?」
ハルカが問うと、パフェを食べていた二人は口を開けたまま固まっていた。
隣の男子達は、ハルカの行動に気づいた様子さえ無かったのだ。