06. 染
学校の帰り道、ハルカは少し遠回りをして川沿いの道を歩きつつ、三人がよく溜まり場にしていた場所を訪れた。
(この場所のことも忘れてたのかな……)
思い入れがあるその場所も、ミユナと一緒に忘れていたような気がして、ハルカは少し懐かしい気持ちになった。
川幅は十メートル程度だが、河川敷と堤防を含めればそこそこの広さで、堤沿いには緑の生い茂る桜並木が続いている。
線路の高架下まで来ると、そこには綺麗な花が供えられていて、それがミユナを供養するための献花である事はすぐに予想がついた。
ハルカはその場所にしゃがみこむと、手を合わせてお祈りをした。
「お嬢さん、あの子のお友達かの?」
そう話し掛けて来たのは、目つきの優しいお爺さんだった。
ハルカはしゃがんだまま、お爺さんを見上げた。
「……はい。ミユナは私の親友です」
「そうか、なら良かった……。私はここの散歩が日課なんじゃが、その子を供養する姿を見たんは、お嬢さんが初めてじゃ。家族らしき者さえ、見たことがなくての……」
「このお花は……?」
「それは私が供えたもんじゃよ。あの子を発見したんも私じゃった……」
お爺さんは遠い目をしながら、あの日の光景を思い出す。
横たわる体をカラス達がついばむせいで、見つけたときには血まみれだった少女の亡き骸。
「可哀想に。もう少し早く見つけてあげられたらの……」
気を落とすお爺さんに、ハルカは立ち上がって明るい表情を繕う。
「それでも、見つけてくれて良かったです。お爺さんは何か特別なんだと思います……」
今のミユナは死んでもなお忘れられた存在。彼女の亡き骸を見つけてくれただけでもありがたいと思えた。
「寺の住職が特別なもんかね。されど、これも何かの縁。彼女には私の寺で眠ってもらっておるよ……」
「そうなんですね……」
お寺の場所を聞こうかとも思ったが、結局聞かないままハルカはお爺さんと別れた。まだミユナの死を受け入れたくない気持ちが、どこかにあったのかもしれない。
いつの間にか沈みそうな太陽が、燃えるような赤とその影で、見慣れた町並みを二色に染めていた。
「ただいまぁ」
家に帰ってくるなり階段を上がって自分の部屋に入ると、ハルカはベッドの上に横になった。
保健室で休んだとはいえ疲労感はまだ残っていて、エアコンが部屋の温度を下げていくと、スヤスヤと眠りについていった。
どれくらい眠っていただろうか、ハルカが再び目を覚したのは携帯の着信音が鳴ったからで、スマホに手を伸ばすのも半分寝たままだった。
「もしもし……」
『あっ、もしかして寝てた? 起こしちゃってごめん。体調どうかなと思って……』
その心配そうな声を聞いて、ようやくハルカの目は覚めた。
「わわっ、リョウタどうしたのいきなり……」
リョウタとの初めての電話に心臓が高鳴る。
『どうしたのはないでしょ。ハルカを保健室まで運ぶの大変だったんだけど』
「ちょっ……!! リョウタ、やめよその話! ていうか私が頼んだ訳じゃないんだからね? あれはサキが勝手に……」
ハルカの慌てように、リョウタがクスクスと笑う声が聞こえる。
『心配すんなよ。ハルカの考えじゃない事くらい分かるし』
「そうなの……?」
リョウタが誤解しないでくれていると分かると、ハルカはほっと胸を撫で下ろした。
「あ、それとごめんね、迷惑かけちゃって。授業の邪魔しちゃったよね……」
ハルカが授業へ向かった時間を考えれば、リョウタは授業を抜け出して来てくれたことになる。
『いや、まぁ面白かったからいいけど……』
「えっ、何が……?」
謎の言葉にハルカは一瞬、固まった。
『保健室のベッドでさ、ハルカが気持ち良さそうに寝てるから、カメラで寝顔パシャパシャ撮ってたんだよ』
「ちょーっ!! なにキモいことしてんの!?」
『サキの奴がね……』
「アイツっ……!!」
サキのイタズラな顔が目に浮かぶ。
『とりあえず元気そうで良かった。夏休みに入ったらさ、一緒に花火でも見に行こうよ。二人だけでさ……』
急に真面目な話をされて、ハルカはドキッとした。
そして、それは凄く嬉しい提案だと思った。
「うん、行きたい……」
リョウタとの電話を終えると、ハルカは部屋を出てリビングへ向かった。
食欲があったかどうかはともかく、遅い食事を取りにリビングへ入る。
案の定、テーブルの上にあったはずの夕食はすでに片付けられていて、つけっぱなしのテレビと誰もいないソファーを一瞥し冷蔵庫の方へ向かうと、母親が食器洗いをしていた。
「ごめん、爆睡しちゃった。お母さん、今日の夕飯は?」
そう言って冷蔵庫を開けるハルカの横で、母親の洋子が顔色を変えた。
「きゃあああああ!」
洋子の短い悲鳴と共に、ガシャーンと食器が割れる音が響く。
その悲鳴に驚いて体をビクっとさせたハルカは、慌てて状況を確認する。
見れば洋子がハルカの方を見ながら怯えているように見えた為、自分の背後にゴキブリの類がいないかを振り向いて確認した。
しかし、パッと見た感じではそういう虫の気配もなく、未だ引き攣った顔をする母親に問う。
「どうしたの、お母さん?」
心配そうなハルカに対して、洋子は一歩、二歩と後退りながら首を横に振った。
「あなた、誰……?」
震えた声で洋子に言われ、ハルカは目を見開いた。
一体、何を言ってるの──?
もしかして、もしかして、もしかして……。
頭が真っ白になったまま、ハルカの心は悪い予感に溺れていく。
(目覚まし、もう鳴ったっけ……?)
なんだか酷い夢を見た気がした……と思いながら、ハルカはベッドの上で寝返りをうつ。
家の外は朝から蟬の大合唱で、もしかしたらその鳴き声に目覚ましの音もかき消されたのかもしれないと思いながら、彼女は眠たい目蓋をなんとか開いて時計の数字に焦点を合わせた。
カーテンの隙間からは強烈な光が差し込んでいて、時計を確認するまでも無かったかもしれない。
「やばっ、遅刻する……!」
ベッドから飛び起きると、階段を駆け下りて洗面所で顔を洗い、そのまま制服に着替えてから身なりを整えた。
(朝ご飯を食べてる時間は……少しだけなら……)
時計を確認してから食卓に向かうと、すでに妹が朝食を終えるところだった。
おはよう、と声を掛けてから急いで食事にしようとするが、そんなハルカを強烈な違和感が襲う。
「あれ、私のぶんは……?」
いつもなら妹のぶんと並べて置いてあるはずの朝食が、そもそも置かれていなかった。
どうして夢を見たつもりになっていたんだろうと思った。
母も妹も、おはようの一言どころか目も合わせてはくれない。
悪夢を見るのは、これからだったのだ……。