第二十六話 前世と世界と
海底遺跡から無事に帰ってきたその日から、私は夢をよく見るようになった。
泡のように浮かぶそれに触れると『私』の記憶が流れてくる。
優しくやわらかな笑みを浮かべる青年のもとへ生まれ落ちた思い出。
穏やかで幸福な日々を過ごした思い出。
真実を知り、怒りで復讐を行った日々。
そして、すべてを終わらせるために世界を滅ぼしてしまった、終焉の日。
君に任せることになる、と青年は言う。止められるのは君だけだ、と。
目覚めたばかりの『あれ』はまだ力をうまく扱えない。時間が経つだけ、状況は相手の優勢に鳴ってしまう。それは避けなければならない。
青年は、願いを叶えてほしいと口にする。たとえ、世界を壊してしまうことになっても。
だから……私は。
*
いつものようにグランを見送り、私は一つ息を吐き出す。夢のことを考えると、つい出てしまった。
「記憶、なんだろうなぁ……」
あれからよくみるようになった夢は、私の前世というものだと思う。断片的なものだけれど、それは確かに私の前の記憶だと理解できる。
何も覚えていないし分からないはずなのに、それだけははっきりしていた。
「うーん……思うところはあるけれど、記憶は記憶だし」
あたたかさや懐かしさのようなものも感じていたけれど、そういう思い出以上に感じることはない。それは、過去の私であって今の私ではないからだろうと思う。
今の私にとって大切なのは、この世界に生きるグランや友人たちだから。
「……うん、よし。とりあえずソーニャちゃんに頼まれた調合薬でも作ろうかな」
これ以上考えていても仕方ないし、と私は気持ちを切り替えるために調合釜に向かう。
たしか、ソーニャちゃんに頼まれていたのは鎮痛薬だから……。
「これと、これと……青夢草を入れてっと」
釜の状態と、調合の方法が書かれている本を見比べ、慎重にかき混ぜていく。鎮痛薬はそれほど難しい調合ではないけれど、愛の秘薬を作った時のような事が起こらないとも限らない。
しばらくかき混ぜて、本の通りの色になったので、これで完成だろう。
「ん、よし。後は瓶に……」
「ほー、中々さまになってるな」
「ひゃわっ?!」
急に後ろから声が聞こえて、危うく瓶を落としそうになった。危ない、調合薬を入れる瓶だって安くないのに割ってしまうところだった。
「もー、急に声をかけられたらびっくりするでしょ、ゼン」
「悪い悪い。まさか入ってきたのに気付かないとは思ってなくてな」
悪かった、と謝罪をするゼンに私もそれ以上のことを言うのをやめる。気付かなかった私にも非はあるし。
ひとまず調合薬を瓶に入れてから、私は彼が訪ねてきた理由を聞くことにする。
「それで、今日はどうしたの?」
「どうって、お前が見る夢についての話をしにきたんだが。まさか忘れてたのか?」
「忘れてはないけど……」
「それならいいが。この件について、お前は知っていたほうがいい」
真剣な目を向けるゼンに、話が長くなりそうだと判断して奥へと通す。常備しているクッキーやビスケットを出し、お茶を入れ、私たちは腰を落ち着ける。
私の対面に座ったゼンは、まずクッキーをいくつか食べてから話を始めた。
「俺が以前、この世界は幾つもの世界が混ざり合っているという話をしたのを覚えているか?」
「うん。だからこの世界が消滅しちゃうと大変なことになるんだよね」
「ああ。俺が今からする話は、その混ざり合っているという部分が関係している」
用意した紅茶を飲み、今度はビスケットに手を伸ばして一息入れ、彼は続きを話す。
「結論から言えば、お前が女神として生まれる前の世界がこの世界と混じっている。これが普通の人間であれば影響が出ることもなかっただろうが、お前は特殊な生まれなうえ女神だ。本来なら何も起こりえなかったが、うまい具合に作用して夢という形で現れたんだろうな」
「……えっと、でも、私は夢を見るような記憶はないって」
「お前が覚えていなくとも、世界が覚えているんだ。お前という存在の記録を、世界が見せたのだろうな」
この世界は私の前世の世界と混ざっている。だから、前世世界から転生してきた私はその世界の影響を受けて、世界の記録を夢で見た、ということ……かな?
うーん……?
「完全に理解できなくとも、ここに生まれる前の記憶を夢で見ると思っておけばいい。そのうち、お前に与える影響も少なくなって、夢を見ることもなくなるだろう」
「……そっか。うん、とりあえずありがとう。ちょっとすっきりした」
「そうか。それならいいが、あれからなにかあったりしたか?」
ゼンの問いに、私はふと海底遺跡のことが思い浮かんだ。あの時の疑問に対する答えを、彼は示してくれるだろうか。
「何かあったっていうほどじゃないけど、少し前に海底遺跡に行ってね。その遺跡が、なんだか見覚えのあるような外観だったの。中の仕掛けっていうのかな、それにも少し見覚えがあるような気がして……」
「ふむ、おそらくそれも世界が混ざっている影響の一つだろう」
「色んな所に影響されてるんだね……。そういうものなの?」
「まあ、そういうものだと思っておけ」
ゼンが言うのならそういうものなんだろう。それ以上深く聞く気もないし、それでよしとしておこう。
ひょい、と彼が最後のクッキーを食べ、淹れた紅茶もなくなってしまった。
「さて、菓子もなくなったことだし帰るとするか。もし何かあったのなら、ここに来ると良い。あとこれもやろう」
立ち上がったゼンが私に差し出してきたのは紙の切れ端と小瓶だ。切れ端を見ればどこかの区画の番号が書いてあり、小瓶には半透明でやや桃色がかった液体が入っている。
「これ、ゼンの住んでるところ?」
「おう。そういえばお前は知らなかったと思ってな。そっちの小瓶は、ちょっと所用で手に入れた媚薬だ」
「ん、え?!び、媚薬って…!」
「友人に貰ったんだが俺は使わないし、それなら使いそうなところにやろうかと。そして、なんとこの媚薬は生命であるのならどんなものでも効く優れものだ」
「ど、どんなものでも……?」
頷くゼンに、私はじっと小瓶を見つめる。どんなものでも効くということは、おおよそ全般のものが効かないグランにも効くのでは。
以前のある出来事で見られっぱなしはなんだかもやもやするから、私が調合するしかないと思っていたけど……これは……。
「どんな存在でも効くぞ。使うか使わないかは自由だが、俺は責任取らんからな。じゃ」
「あ、えっと、色々と調べてくれてありがとう」
出ていこうとする背にそう礼を言えば、彼は片手を上げてひらひらと振り、そのまま去っていった。
ゼンと話したおかげか、なんだか心が軽くなった気がする。気にしていないつもりでも、やっぱり気になっていたのかもしれない。
器やカップを片付け、私はじっと小瓶を見つめてからいつもの収納空間へと入れる。急に手に入ってしまってもまだ心の準備とかがあるので。
その夜はいつもと変わらず彼の愛を受け止めて、眠りに落ちるまでゆったりと話をしていた。
ちょっとうとうとしてきた頃に、グランは私の手をきゅっと優しく握る。
「ん……グラン……?」
「ミーフェ。明日、一緒に来てほしい場所があるんだが……」
「あした……」
寝落ちしそうな意識で明日のことを考える。誰かが訪ねてくる予定もないし、依頼されて作った調合薬は今日のうちに渡したし、予定はない。
「うん……行く、だいじょうぶだから……」
「そうか。すまない、眠い時に聞いてしまったな。また朝にきちんと話そう」
「……ん」
ちゅ、と口づけをされ、優しく頭を撫でられる。心地よい感覚のまま沈んでいき、私は眠りへと落ちていった。
一緒に来てほしい場所ってどこなんだろうなぁ、と考えながら。




