第十七話 邪神討伐
時はゼヴェラドース顕現より少し遡る。
神殿へと赴いていたシャローテは、避難してきた住民や観光客の怪我や魔物と戦闘していた冒険者の傷を癒して回っていた。
「我が神の御業をここに」
シャローテが手を組み祈りを捧げると、柔らかな光が傷を覆い跡も残さず治癒して行く。塞がったことを確認した彼女はその箇所を撫で、一つ頷く。
「これで大丈夫ですわ。あとはゆっくりとお休みになって、体力を回復させてくださいませ」
「……だが、まだ、アイツが……」
起き上がろうとした冒険者はそう呟いて、ベッドへと倒れこんでしまう。シャローテはそんな彼らに優しく毛布をかけ、神殿の外へと向かう。
突如として街に魔物が侵入したとは聞いていたが、どういう状況であるかを彼女は自分で確認していないからだ
「……ずいぶん入り込んでいますが、フェイラスとフィーリが加わっているようですね。これならば無事に……あら?」
神殿の外から友人たちの気配を感じ、安堵しているシャローテの耳に聞き覚えのある声が届く。それは彼女が信仰を捧げている女神の伴侶と、その女神にしつこく付きまとい始めた邪神の声だ。
「―本当に何もしていないだろうな。魅了は解いたようだが、後に残るまいな?」
「こんなちっぽけなやつら魅了しててもぜーんぜん楽しくないし、ミーフェちゃんがセラフィーヌちゃんを心配してたから仕方なくやってあげただけだし。心外、心外だなぁ!」
声のする方へ進んでいけば、腕を組んで険しい表情のグランとその周りをふよふよと漂うヴィアを見つける。二人は入り口から少し外れた場所で話をしているようだ。
「やはりグランとヴィアでしたか」
「シャローテか。冒険者たちの治療は終わったのか?」
「ええ、私の手が必要な方たちはすべて。それより、どうしてヴィアがこちらに?」
「ボクはね~、お祭りをするって小耳に挟んだからミーフェちゃんと一緒に回ろうかなって思って、こっちに来たんだよー。そしたらこんなことになってるでしょ?ミーフェちゃんに人間たちの避難を任されたから仕方なくここまで来たんだよ」
どうして地上に降りて来ているのか、なぜ神殿に居るのか、という二つの意味を持って問いかけたシャローテに、ヴィアは気の抜けるような口調ではあるが、きちんと答える。
おおよそ矛盾のない答えに、嘘ではないだろうと二人は考える。そして、ミーフェの名が出て来たのでそこを追加で問うことにした。
「ミーフェは何処にいる?お前に誘導を頼んだということは、彼女は討伐に加わっているのか?」
「だろうね~。ミーフェちゃん、セラフィーヌちゃんを追いかけて行ったし。まあでも、フェイラスくんとかフィーリちゃんとか、あとゼンくんとかいうのもいるから大丈夫じゃない?」
「ふむ……」
思案気に呟いて、グランは視線を街中へ向ける。ミーフェの気配を探り、その目で無事を確かめるためだろう。数十秒ほどそうして、彼は一つ息を吐き出す。どうやら彼女の無事を確認したようだ。
「フェイラスとフィーリがミーフェの傍にいる。怪我もないようだが、東門に向かっているな」
「怪我をしていないのは何よりですが、東門ですか……。ミーフェもあの子達も無視できるような性格ではありませんから、討伐に向かうとは思っていましたけれど」
「そうだな。地上世界ではかなり強い部類に入る魔物だろうが、」
はっとしてグランが視線を上げ、その数瞬後にシャローテも気付く。今まで気付かなかった僅かな負の力が誘われるように東門へと向かっていき、恐ろしいほどの力が集結していることに。
そして、邪神ゼヴェラドースは顕現した。
*
所は変わり、現在。東門にてゼヴェラドースの顕現を間近で見たセラフィーヌたちだったが、彼女たちの心を占めているのは邪神ではなく、半透明の黒い液体に捕らわれたミーフェだった。
「ミーフェ!!」
伸ばした手も虚しく、その液体は彼女たちの隙間をすり抜けて、ゼヴェラドースの元へ移動して行く。睨むように視線を向ければ、液体は街の各所から集まっていているようで、それらすべてが一瞬にして取り込まれてしまった。
「なん、なんだ、あれは……!」
「律儀にも名乗ってくれただろ、あれは神……邪神だ。セラフィーヌじゃ敵うわけもなし、俺でもかなり厳しい相手だ。だから、ひとまず逃げるぞ」
「逃げる?!ミーフェが、彼女があの邪神に取り込まれたんだぞ?!それを助けずして逃げるというのか?!」
フェイラスの言葉にセラフィーヌは声を荒げる。友人が捕らわれ取り込まれたというのに、大した感情も見せずに逃げることを提案する彼に、ともすれば斬りかからんばかりの気迫で詰め寄った。
「おい、落ち着けセラフィーヌ。何の策もなく向かっても無駄死にするだけだ。フェイラスはひとまず、と言っているだろう」
「だが……!」
「お前の気持ちも分かる。が、ここでぐだぐだ言ってると危ないから移動するぞ」
「なっ!」
見かねたゼンが間に入り、セラフィーヌの気持ちも分かると理解を示す。彼は前方に視線を向け、いつまでもここで立ち止まっているわけには行かないと判断し、彼女の手を強引に取って走り出した。
「んで、何処まで行くんだ?中央より向こうに『あれ』が来るとさすがにまずいだろう」
「ああ、だから中央までだな。フィーリも居るし、たぶんグランとシャローテも来るはずだ」
手を引かれて走る間に少し冷静になれたセラフィーヌは、二人の会話にグランが出るのは理解できたが、シャローテという神官の名には首を傾げる。しかし、邪神を相手取るということを考えれば、神官の力も必要かと思いなおした。
いまだ行動を起こさない邪神に不気味さを感じながらも、彼女たちは中央まで戻ってくる。他の冒険者たちは別の場所へ行ったのか、この場にいるのは自分たちだけのようだった。
「フェイラス!セラフィーヌ!」
そんな彼女たちに声をかけたのはフィーリだ。その手に光弓を携え、後ろにグランとシャローテを伴ってこちらへと近付いてくる。
「無事で良かったけど……ミーフェさんは?」
「っ、すまない!私がもっとしっかりミーフェを見ていればこんなことには……っ!」
勢い良く頭を下げ、自分の責任だとセラフィーヌは言う。彼らにとってミーフェは大切という言葉では言い表せないほどの存在だ。それゆえに厳しい叱責と怒りを向けられるのは当然のことで、セラフィーヌもそれは受けなければいけないと考えている。
だが、いつまで経っても責める言葉や罵る言葉は聞こえない。
「セラフィーヌ、頭を上げて欲しい。ミーフェが捕らえられたのは君の責任ではない。当然、フェイラスやゼンの所為でもない。君たちでは対処出来なかった事態なのだからな」
「グラン……」
自分に対しての怒りを感じない冷静な声に、セラフィーヌは頭を上げる。見上げたグランはセラフィーヌを見て頷き、その視線を邪神へと向けた。
地面が振動するような感覚が伝わり、邪神が移動をし始めていることに気付く。セラフィーヌはぎゅっと剣の柄を握り、同じように険しい目を向ける。
『矮小なる人間どもよ、我に歯向かうか……』
邪神ゼヴェラドースは黒い泥の巨体を動かし、辺りに泥を撒き散らしながらセラフィーヌらの居る中央部へと侵入し、そう口にした。
セラフィーヌはその声を聞いただけで胸の奥が重くなり、手足の先が冷たくなるような感覚がした。だが、それは一瞬の事で、瞬きの後にはその感覚は消えていた。
「当然、歯向かわせてもらうぞ!ここはお前ら邪神の来る場所じゃないからな!行くぞ、リュミエラード!」
ゼヴェラドースの声に反応したのはフェイラスだ。愛剣の名を呼び、空を翔るように勢い良く駆け出す。踏み締める地面に穴を開け、大きく跳躍して最上段に構えたリュミエラードを振り下ろした。
『人間如きが、贄の力を得た我に敵うと思うたか……片腹痛い』
「ッ、くそ、やっぱこの程度じゃ駄目か……!」
泥の腕に防がれ、振り払う動きに合わせて後方へ飛び、セラフィーヌたちの前へと戻ってくる。剣についた泥を払い、彼は苦い顔を浮かべた。
「リュミエラードの出力はこれが限界だ。やっぱりミーフェを取り返してからじゃないと……」
「―残念だけど~、ミーフェちゃんは渡せないなぁ~」
セラフィーヌたちの耳に届いた女性の声は、彼女たち全員に聞き覚えのあるものだ。銀色の髪と同色の獣の耳と尻尾を揺らす、ヴィアの声である。
彼女はゼヴェラドースの肩のような部分に腰掛け、にんまりと楽しそうな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「あっはっはっはっ!油断しちゃったねぇ~グランくん。ボクがそう簡単に反省して諦めると思った?」
「……はあ、そうだな。貴様の性格を考えれば、あれだけで終わらせるわけがなかった」
息を吐き出し、平然と会話をするグランにセラフィーヌは目を丸くする。調合屋で働くヴィアがどうして邪神側にいるのか。訳を聞こうにも、彼らはそれを当然として気にも留めていないから聞ける雰囲気でもない。セラフィーヌはしばし考え、今は深く聞かないほうが良さそうだ、と静観することにした。
「ふふん。さあて、ミーフェちゃんを出してもらおうかな。ほらほら早く!」
グランの言葉を聞いてなぜか自慢げに鼻を鳴らすヴィアは、ゼヴェラドースの泥の身体を叩いて取り込んだミーフェを出すように言う。しかし、ふん、とゼヴェラドースは嗤う。
『貴様の提案に乗りはしたが、贄を渡すとは言っていない……この地へ顕現する準備を整えたことには、礼を言うがな』
「はぁ?!っぎゃぶ!!」
声を荒げたヴィアを気に留めることもなく大量の泥と共に勢いよく払い落とす邪神。大量の泥と共にこちらへ落とされた彼女は、怒りに身を震わせながらその泥の中から立ち上がった。泥に塗れた獣の耳をぴんと立たせ、苛立たしげに尻尾をぶんぶんと振り回す。
「こんの、恩知らず!!ボクが、このボクがわざわざ話を持ちかけて、わざわざ場を整えてやったっていうのに!!」
『ククク、顕現したならばこちらのものよ……。貴様が固執しているあの人間の娘は、人間にしては良い力と体を持っている。力を搾り取り、死した後に我の城で飼うのも一興……』
「―……飼う、だと……?」
その時、セラフィーヌらの耳にぷつりと何かが切れる音が聞こえた気がした。
押し殺したようなグランの声に視線を向ければ、ゆらゆらと彼の輪郭がぼやけ始めていた。その変化に驚いて固まっていたセラフィーヌには、すぐ傍にいたフェイラスに手を引かれる。
「え、フェイラス?」
「離れたほうがいい。ぶち切れたグラン様の近くにいたら危ないからな」
「危ないって、いったい……」
「見てたら分かる」
二人がシャローテの傍に行けば、すぐさま防御結界が張られた。あーあ、と言うような表情を浮かべながらそれぞれの武器を収め始める彼らに戸惑いつつ、彼女も剣を収める。
結界の中から見えるグランの変化は顕著になっていく。ぼやけて光る輪郭はすでに人の形ではなく、大きなものへと変わっていく。そして、変化は唐突に終わりを向かえ、光が弾けてその姿が露わになった。
「竜……?」
ゼヴェラドースにも勝る巨体の竜が、セラフィーヌたちの目の前に現れる。雪を思わせる美しい純白の鱗を持つ竜は二枚の翼を広げ、あぎとを開く。
「ミーフェを飼うなどとふざけるのも大概にしろ邪神!」
『白竜如きに何が出来る……!』
ゼヴェラドースは自身が操る泥と黒い液体を白竜―グランへと放出する。彼はそれを迎え撃つべくあぎとの奥で圧縮させた魔力をブレスとして吐き出した。眩いほどの白い光が泥と黒い液体にぶつかるが、一瞬の拮抗の後に貫いていく。
『なッ、馬鹿な!たかが白竜のブレスで……我が、我がああ!!』
ゼヴェラドースへと到達したブレスは、その場で光の柱となり泥の巨体を包む。白竜如きに地上進出を阻まれた邪神は、その憎き姿を忘れまいと憎悪を向けた。だが、それゆえに見てしまった。
白竜の背にある、もう二枚の翼を。
『貴様あああ!!謀ったなあああ!!』
「騙してなんかないよーだ。言わなかっただけだもーん」
すっとぼけるようにそう言ってべーっと舌を出すヴィア。
邪神ゼヴェラドースは断末魔を上げ、それが聞こえなくなると光の柱が徐々に消えていく。頃合を見計らってグランはその巨体をゆっくりと動かし、光の柱があった場所へと向かう。
シャローテの結界で守られていた彼女らも同様に向かえば、多くの女性が意識を失って倒れているのを見つける。おそらく贄として取り込まれたものたちだろう。
女性たちの無事を確認しつつ、彼女たちはミーフェを探すがすぐに見つけられた。
そのすぐ傍に、巨体の白竜が寄り添っていたので。
*
心配そうな声が私の名前を呼んでいる。誰だろう、とゆっくり目を開ければ大きな竜の鼻先が見えた。
「……ぐらん?」
「ミーフェ……!」
「え、わぷ、ぐら、ちょっと……っ、そんなに擦り寄らなくても……」
ぐりぐりと鼻先を体全体に押し付けられ、ちょっと苦しかった私はそれを押し返す。グランははっとして鼻先を離し、私と目線を合わせるように地面へ腹ばいになった。
「体に異常はないか?怪我は?」
「大丈夫だよ。助けてくれてありがとう、グラン」
「―ちょっとおお、なんかいい感じで終わらせようとしないでよ!ボクを助けて?!」
前方、正確にはグランの後ろ足付近から聞こえる声に、私は彼を見つめる。首を振る彼に、なにかしら彼女がやらかしたのだろうと察した。
「また何かしたんでしょう?」
「したけど!色々したけどさぁ!こんなか弱い邪神を踏みつけるなんて酷いよ!」
「何処がか弱いか。まったく、さっさと魔界へ帰れ。今回はこのくらいで許してやる」
「ぐええ…っ、これ以上はボクもごめんだから帰るよ」
念入りに踏んでから足を上げ、ヴィアを解放するグラン。彼女もこれ以上の長居は良くないと判断したのか、早々に帰っていく。
はあ、と重い息を吐き出したグランは、竜の姿を人型へと再構築していく。
「あ……戻っちゃった」
「そろそろ面倒な事が起きそうだったからな」
あちこちから聞こえてくる冒険者や神官の声に、私は確かにと苦笑を零す。でも、それはそれとしてもう少しだけグランの竜姿を見ていたかった。
「もうちょっとだけ、見ていたかったな。グランの元の姿も格好良くて好きだから」
「ふむ……では、またの機会にな」
グランは少し嬉しそうにしながら、私を抱き上げる。歩けないほど消耗しているわけではないけど、なんとなく彼に触れていたい。
体を預けて少しの揺れに身を任せていると、次第に睡魔が忍び寄ってくる。事後処理などがあるだろうし、このまま寝てしまうのは、と抗っているがかなり厳しい。
「寝てしまっても構わないよ。それだけ、君の力が奪われてしまったのだろう」
「ん、でも……」
「大丈夫。おやすみ、ミーフェ」
ことさら優しい声で言われてしまえば、私に抗う術はない。グランに体を預け、眠りへと落ちていってしまった。
こうして、花の祝祭に起きた迷宮魔物の過剰出現および街への侵入、邪神顕現は、当該の邪神が消滅したことにより収束を迎えた。
意外にも街自体への被害は少なく、ほとんどの建造物は軽い損傷だけであり、また重傷者のすべては完全に治癒され、死者も出なかった。
その影に幾人かの尽力があり、また町の中央部で巨大な竜の姿を見たというのは、ほんの一握りの者たちが知るのみであった。




