第九話 夢で語るは
芳しい花の香がして私は目を開ける。広がったのは鮮やかな花が咲き誇る花畑だった。
無事に自宅へたどり着き倒れるようにして意識を失ったはずなのに、どうしてこんなところにいるのだろうと考える。
ぱっと浮かぶのは夢の世界だ。
「んー、夢の世界ならこんなところに居ても不思議じゃないけど……誰が呼んだんだろう?」
夢に関連する神や竜は存在するし、そういう子たちと会うときは夢の中が多い。しかし、こんな花畑を夢の世界として作る子はいなかったはずだ。趣味が変わったかもしれないが、それでもあんな盛大な寝落ちをしてしまった直後に、こうして呼び寄せるような子はいない。
「んー……でも、警戒しようって気にならないなぁ……。うーん……?」
私が知らない誰かが呼び寄せたのなら警戒しなければいけないが、どうしてもその気が湧いてこない。ここは安全だと感じてしまっている。
これが相手の策略なのだとすれば、私は既に嵌ってしまっているわけだが。
「―……おー、上手くいったようだな。はじめまして、と挨拶をするべきか?」
聞こえた声にゆっくりと振り向くと、にっこりと笑みを浮かべる青年が立っていた。
夜に煌く星空を溶かし込んだような髪をゆるく結び、澄み切った青空を切り取ったかのような瞳をこちらに向ける青年。
端整な、あるいは整いすぎている顔立ちに見覚えはない。ないが、なぜか懐かしさを覚えた。
「あなたが、私を呼んだの?」
「ああ、そうだ。お前と少し話をしたくてな」
そう言って青年はぱちん、と指を鳴らした。その瞬間、花畑の一角にお茶会の一式が現れた。夢の中は割と何でもありなので驚きはしないが、なぜ?という疑問は湧く。
「ただ座って話をするより、ああして茶を飲みながら話すほうが良いだろう?菓子もたくさん用意しておいたぞ」
笑みを浮かべて私に手を伸ばす青年。私はその手を取って立ち上がり、彼の用意した席へと座る。
テーブルには木苺を使ったケーキやクッキー、マフィン、マドレーヌといった様々な菓子が並んでおり、カップに注がれている紅茶も華やかな香りが鼻腔をくすぐる。
「……ええと、ひとまずあなたの名前は……?」
「ん、ああ、まだ名乗ってなかったか。んー……そうだなぁ」
青年は手の届く範囲にある菓子をぱくぱくと食べながら唸り、考えているようだ。彼の答えを待つ間、注がれた紅茶を飲み、そっと手を伸ばしてクッキーをかじる。うわ、すごい美味しい……。
「俺には色々と呼び名があるんだが……うん、ゼンと呼んでくれ。これが一番気に入っている名だしな」
「ゼン……うん、なんだかはじめて聞いた気がしない名前」
「まあ、俺とお前は一度、会っているからな」
さくさくとクッキーをかじりながら青年、ゼンはなんでもないように言う。私に彼と会った記憶はないが……可能性の一つが思い浮かぶ。
「それは、私が女神として生まれる前に?」
「お、察しがいいな。その通りだ。お前が命を終える間際に会い、そして転生させたのが俺だ」
「ゼンが……どうして、私を転生させたの?」
「んー……色々とあるんだが、世界の存続のためが主な理由だな」
「……世界の存続?」
私が目覚める前の声の主は『世界を終わらせないでくれ』と言っていた。でも、私が女神として生まれた時、この世界は世界としてきちんと成り立ってはいなかったはず……。
そんな私の呟きを拾ったゼンが紅茶を飲んでから答えてくれた。
「世界というのはな、一つでも命が生まれれば世界となる。生まれた命が世界を広げ、作り、発展させる。そうして世界は、お前達の知る世界というものになるんだ。だが、この世界に生まれた命は世界を広げず、作らず、永遠のまどろみを選んだ」
私が存続のために転生してきたのだとしたら、この世界ではじめに生まれた命はグランヴァイルスだと分かる。そして、彼ならそれを選んでしまうだろうことも私は理解できた。
彼は一人や、孤独というものが特別苦手だったから。
「広がらない世界は縮小し消えて行く。本来ならまあ、そのまま消えてしまっても問題はないんだが、この世界は今までに生まれては消えた世界と混ざり合ってしまってな。内包される力の量が膨大で、下手に消滅すると多方面に莫大な影響が出る。それを防ぐために、世界を存続させる存在が必要だった」
「それが、私?」
「ああ。その命……もう分かっているだろうが、グランヴァイルスに寄り添う存在がいれば防げるだろうと考えてお前を転生させた」
「……私の幸せを願っているっていうのは?」
「なんだ、そっちも聞こえてたのか。それは俺がただ幸福になってくれれば良いと思って言っただけだ。だが、うん。幸せそうでなによりだ」
私の問いかけに答えたゼンは、心の底から安堵したというような笑みを向ける。私に父母の記憶はないが、その笑みは子を慈しむ親のようだ。もし私に父親がいたとしたらこんな感じなのだろうか、と思わせる。
「……さて、もう少し話していたいところだが、そろそろ時間だな」
ゼンがそう口にすると同時に風が吹く。あまりの強さに目を閉じれば、それと同時に夢の世界から急速に離れて行くのを感じた。夢から離れる、つまり目覚めの時だ。
まだ話したいことがある私は強い風の中、声を張る。
「待って、まだ聞きたいことが……!」
「ミーフェリアス、俺はいつでもお前を見守っている。また会おう」
あの時とは違う、優しさと慈しみを感じる声が届く。彼の言葉通りまた会えるような気がして、私は夢から離れることを受け入れた。強い風は止み、私の意識はぷつりと途切れた。
*
ちゅんちゅん、と鳥のさえずりが聞こえる。差し込んでくる朝日に目覚めを促された私は、がばりと飛び起きた。そこは花が咲き乱れる花畑ではなく、見慣れた寝室だ。
倒れるように眠ってしまった私を彼が運んでくれたのだろう。
「凄く心配しただろうなぁ。ちゃんと謝っておかないと……ん?」
グランを探しに行こうと寝台から下りる私の足元に、一輪の花が落ちる。それはあの花畑で見た花と同じで、私が手に取ろうとすると粒子となって消えてしまった。
まるであの夢がただの夢ではないと、見守っているという言葉は嘘ではないと言われているようだ。
「……うん、夢じゃないよね。また会えるときを待ってるよ、ゼン」
小さく呟いて、私は寝室を出る。
二階の部屋を一通りみたが居らず、一階で彼が居そうな場所といえば……裏庭だろう。私が毎朝、世話をしているのを知っているし、眠っている私の代わりにしてくれていそうだし。
そう考えて庭へ向かうと、ちょうど水遣りを終えたグランと鉢合わせする。
「ミーフェ……!」
「わ、グラン……っ、ん、そんなに抱きしめなくても……」
私を見た途端、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるグラン。その腕が少し震えていて、心配させてしまったことを申し訳なく思う。
「心配かけてごめんなさい。久しぶりに力を使って、ちょっと疲れちゃっただけなの」
「本当に、心配した。君がただ疲労で眠っているだけだとすぐに分かったが、目の前で倒れるのを見て……心臓が止まるかと思った」
「うう、ごめんなさい。今度からは気をつける……」
「是非そうしてくれ」
そう言って、グランは抱きしめるのを止めて私を解放してくれた。しかし、その手は指を絡ませるように繋がれ、いまだに私を心配してくれていることが分かる。うぐぐ、彼に無用の心配をさせたことが心苦しい。
とりあえず朝ごはんを、ということで家の中に入り、二階へ向かおうとしたところで、ドアがノックされた。
「あ……もしかしてセーナちゃんかな」
朝から訪ねてくるといえば、セーナちゃんとセラフィーヌさんと、目が覚めていればセシリアさんだろう。
グランに昨日のことを大まかに説明し、玄関のドアを開ける。
「調合師さん!あのね、あのね、ママ、目が覚めたの!ありがとう調合師さん!」
「昨日は疑ってしまってすまなかった。今朝、セシリアの目が覚めてな。体の不調もないようだった。本当に感謝する」
ドアを開けた途端、飛び跳ねるようにセーナちゃんが母親の目が覚めたことを教えてくれた。嬉しさで興奮し、ぴょんぴょんと跳ねる彼女とは反対に、セラフィーヌさんは昨日のこともあって申し訳無さそうに謝罪と感謝を伝えてくれる。
セシリアさんの姿はないが、彼女たちの言葉から元気になったようだと窺えた。
「いいえ、目が覚めたようで何よりです。私は私の出来ることをしたまでですから」
「そうか……普通の調合師は邪神に魅入られたものを救ったりは出来ないと思うんだが……まさか身分を隠した聖女候補だったりしないか?」
セラフィーヌさんの言葉に私はくすくすと笑みを漏らす。
聖女候補とは、各教団の顔となる聖女になるために選ばれた子たちのことを指す。多くは身分を隠して人々のために奇跡を起こすので、疑われてもおかしくはないけれど。
控えめに笑う私に、さすがに的外れなことを言ったと考えたセラフィーヌさんの頬が赤くなり、誤魔化すようにごほん、と咳払いをした。
「……うん、その、今度は回復したセシリアと来るよ。朝早くからすまなかったな。ほら、帰ろうセーナ」
「うん!またね、調合師さん!」
「はーい、またね」
セラフィーヌさんは少し早口でそう言い、セーナちゃんの手を引いて足早に立ち去ってしまう。振り返って手を振ってくれるセーナちゃんに手を振り返し、姿が見えなくなったところでドアを閉め、家の中へ入った。
朝食を食べた後はグランの強い希望もあって、調合屋をお休みすることにした。昨日、取れなかった二人の時間を取るため、なのだが。
「まったく、君の力はほとんど回復していないというのに。どうしてそう、自らに負担を掛けることをする?」
「……そんなこと言われても、助けたいと思ったからだし。そんなに、負担にはならないかなって」
「万全であるならばそうだろうが、今の君は二割ほどしか回復していない。それに……」
居間に置いてあるソファに座り、私を膝の上に乗せて抱きしめるグランは、そこで言葉を止める。向かい合うように膝の上へ乗っている私は、おそるおそる彼を見上げる。
青い瞳には、僅かだが怒りが見えた。
「君は回復した力の大部分を私に与えていた。言ったはずだぞ、ミーフェリアス。次は怒ると」
「う……それは、だって、グランの方がたくさん必要だから、その……」
怒りと悲しみの混じる硬い声に、私はあわあわとしながら弁明を試みる。グランが私と同じ事をしたら私も怒るから彼の怒りは当然なのだけど、やっぱり怒られるのは恐いのでなんとかして静めようとしたが、言葉を重ねても難しそうだったので素直に謝ることにした。
「……ごめんなさい」
「君が、私を思って力を与えてくれていたことは嬉しく思う。だが、自らを脅かしてまでするのは良くない。分かるな?」
「うん……」
「分かってくれたのならいい。君のお陰で、私もほぼ全盛期まで力が戻ってきている。それについては感謝するよ、ありがとう」
お礼を言うグランに私は首を振る。彼がこんなに力を消耗しているのは、元を辿れば私のせいだ。お礼を言われるようなことなんてしていない。
私がそう考えていることを、彼は見透かしているのだろう。優しく、愛おしさが伝わるように私の頭を撫でてくれている。
「ミーフェ。すべて私が自分で決めたことだから、気にしなくて良い」
「…‥うん。ありがとう、グラン」
グランの優しさを受け入れ、私は甘えるように彼へ抱きつく。抱きつくといっても、私がグランの頭を抱えるような形になってしまうのは仕方ないだろう。彼の顔が私の胸に埋まるのも。
その後、私が恥ずかしくなって離れるまでずっと胸に顔を埋めていたグラン。彼は胸から顔を上げるとき、少し不満そうにしていた。その不満は、当然のようにその日の夜に解消されたのだった。
**
燃え盛る炎の中。崩れ行く世界の中。幸か不幸か、世界の終わる間際まで生き残っていた少女。
終わる世界を見届ける役目も持つゼンは、その少女を見つけ、興味を惹かれた。
「世界の最後まで生き残ったお前に問う。望みはあるか?」
世界の大部分が混沌へと還る中、ただ佇んでいる少女へと問いかけた。多くのものを奪い、喪失し、僅かな感情しか映さないその瞳をゼンへ向け、少女はぽつりと零す。
なんでもない日常を、穏やかな日々を。愛することが出来るひととの、幸福な日々を。
「……そうか。一端を担ったお前の望みは、そんなありふれたものだったか。ああ、ならば叶えてやろう。
遠く、生まれたばかりの世界で、もう一度はじめると良い」
ゼンは少女の返答を聞かず、その魂を転生という形で生まれたばかりの世界へと飛ばす。真っ白な状態ではさすがに幸福な日々は得られないだろうと考え、この終わり行く世界の知識と、少女が望む幸福を享受できる姿を与えて。
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遠い出会いの記憶を思い起こし、ゼンはふっと口元を緩める。が、すぐに表情を引き締めてから水鏡を覗き込む。
そこに映っているのは、街でデートをしている二人の姿だ。
「幸せそうだな。……ふむ、ひとの世はそんなに楽しいものか?」
ごろごろと花畑を転がりながら、ゼンは水鏡の向こうで見たことのない美味しそうな菓子を食べている二人を見つめる。役目上、ひとの世に降りることのないゼンだが、いまはその役目も立て込んではいない。
よし、と彼は思い立つ。その思いつきが世界にどう影響するか深く考えずに。




